【百年映画館】豊岡劇場(兵庫県豊岡市)
☆コウノトリならぬ不死鳥のごとく
JR山陰本線と京都丹後鉄道宮豊線が乗り入れる豊岡駅の駅前には、一風変わった交番がある。兵庫県豊岡警察署の豊岡駅前交番には、交通事故情報ならぬ「こうのとり情報」の表示板が掲示されており、この日は452羽が野外に生息し、98羽が飼育中との数字が張り出されていた。交番勤務のお巡りさんに「これ、毎日変えているんですか」と尋ねると、「うちの管轄じゃないもんで」との返事だったが、恐らく豊岡市民にとってはコウノトリの繁殖数は重要な関心事なのだろう。何しろ野生のコウノトリは1971(昭和46)年に一度、乱獲によって絶滅している。その最後の生息地だったのが豊岡で、その後1985(昭和60)年に、友好関係にあったソ連のハバロフスク(現ロシア)から6羽のコウノトリを譲り受け、人工繁殖から始めてここまでの個体数に復活させたのだそうだ。
豊岡で復活を遂げたのはコウノトリだけではない。閉館の憂き目から不死鳥のようによみがえった百年映画館がある。それも2度というから、映画館存続に懸ける地域の人々の熱い思いが伝わってくる。
「風土的には、みんな静かにしていたい、波風を立てない、あんまり目立たない、という感じだと思うんです。だけどよそから来た人が何か面白そうなことをやっていたら、面白がる力はある。自分は前に出ないけど、前に出てくれる人がいたら一緒になって面白がるという人が多かったんじゃないでしょうか」と、2度目の復活となった2023(令和5)年3月から豊岡劇場の支配人を務める田中亜衣子さんは推察する。

☆リム・カーワイがほれ込んだ欧風の景観
豊岡駅前から復興建築なる昭和初期の建物が点在する大開通りを東に歩くことおよそ15分。カバンストリートと呼ばれるおしゃれな商店街の交差点を北に折れてしばらくすると、何とも味のあるくすんだ白壁の堂々たる建造物に出くわす。これぞ1927(昭和2)年に創建された豊岡劇場だ。
はてさて、もうここで3つものはてなに遭遇してしまった。まずは復興建築とは何ぞや。豊岡観光協会と豊岡商工会議所が発行している市内町歩きのパンフレット「Re.DISCOVER TOYOOKA.」によると、1925(大正14)年に起きた北但大震災の火災で店舗や家屋が焼失した後、鉄筋コンクリートで建設された建物のことで、市街地の中心部に点在している。「歴史ある建物を残す」という選択を町全体で進めてきたそうで、旧豊岡市役所を移動させた豊岡稽古堂をはじめ、飲食店、銭湯、病院、鞄店など、さまざまな業態のレトロな建築物が残っている。震災の2年後に建てられた豊岡劇場も復興建築の一つだ。
カバンストリートはその名の通り、鞄の小売店、工房が軒を連ねる豊岡屈指の目抜き通りだ。豊岡鞄は奈良時代から始まる柳細工を起源とする伝統産業で、江戸時代に栄えた柳行李の技術を基に、明治以降、豊岡は鞄の一大生産地として発展したという。カバンストリートにはショップだけでなく鞄の自動販売機に鞄のオブジェなども置かれていて、そぞろ歩きにはもってこいの通りだ。
で、3つ目のはてなだが、豊岡劇場は完成が1927(昭和2)年ってことは、あれ、まだ百年たっていない。そう、豊岡劇場は2026(令和8)年で百年目を迎える。とは言え、この映画館は以前からぜひとも訪ねてみたいと思っていた。兵庫県の中でも人口減少の激しい北部の日本海側で唯一の映画館だし、2度も閉館の危機に見舞われているというのにも興味があった。2021(令和3)年12月に、コロナ禍で映画業界があえいでいる中、映画館が仕掛ける配信サービスについて映画誌の「キネマ旬報」に記事を書いたときは快く電話取材に応じてくれたし、何よりも志賀直哉の名作短編で知られる城崎温泉が近くにある。
さらに強烈な印象として植え付けられているのが、リム・カーワイ監督の映画「あなたの微笑み」(2022年)だ。自主制作の映画監督が自作を上映してもらうよう全国の映画館を訪ねて回るというドキュメンタリーっぽい展開を軸に、ユーモアとファンタジーの要素を絡ませて描いたコメディーで、やっと豊岡劇場で上映してくれることになったもののチケットが全く売れないという場面がある。マレーシアの出身で、現在は関西を中心に活動するリム監督は映画館への愛着が強く、この後にはリム監督自ら全国のミニシアターを巡って支配人に話を聞いたドキュメンタリー「ディス・マジック・モーメント」(2023年)も公開している。この作品にももちろん、豊岡劇場が登場する。
リム監督には「あなたの微笑み」のときにインタビューをしているが、当初から豊岡劇場での撮影を意図していたと言っていた。というのも、「どこでもない、ここしかない」(2018年)などバルカン半島で撮影した監督作を、2020(令和2)年に豊岡劇場で特集上映してくれたときに訪れて、そのたたずまいにすっかりほれ込んだ。
「風格のある立派な劇場に出合って、ぜひここで撮りたいと思った。豊岡周辺の風景もとてもきれいで、日本らしくないというか、どこかヨーロッパっぽい、フランスっぽい景色が広がっていて、あそこで映画を作ったらいいだろうなと感じたんです。しかも特集上映のときはお客さんが入っていなくて、劇場には大変な迷惑をかけたという思いもありましたからね」と話していたリム監督。「絶対に行ってみたらいいですよ」と私にも勧めてくれた。

☆恩返しではなく「恩送り」
正面のガラスのドアを開けると、右手に1階の大ホールにつながる7段の階段があり、左手にはチケットブースと飲食物を販売するカウンターが続く。奥行きはそれほどないロビーだが、横に幅広く、右手奥のテーブル席の向こうの壁際には古いフィルムリワインダーや映画パンフレット類が飾られ、昔の興行案内の張り紙が掲げられている。左手奥を見やると、2階小ホールに向かう階段が柔らかい曲線を描く。ロビーのあちこちにグッズのPOPや上映予定作品の推薦コメントなど手書きの掲示物が多く、全体的にぬくもりがあっておしゃれで、懐かしくもほんわかとした印象だ。
スタッフが一つ一つの作品について書き込む直筆の推薦コメントは、2014(平成26)年の1回目の復活のころから続けられているのを引き継いでいるだけという支配人の田中さんだが、「どんな作品でも自分のところでかけるとなったら、その作品を好きになるというか、この作品のよさをどう伝えていくかということを考えるのは当然だと思っています。自分のところでかかることになった瞬間からその映画を愛するというのは、映画館のプロである以上、常に心がけるように、との教えを受け継いでいます」と口にする。
豊岡に隣接する京都府京丹後市に生まれ育った田中さんは、豊岡劇場には中学生のころからときどき通っていた。隣の町までどきどきしながら列車で向かうという行為は、ちょっと背伸びをした大人の味わいがあった。
そのころに見た映画で特に忘れられない作品に「ペイ・フォワード 可能の王国」(2000年、ミミ・レダー監督)がある。「シックス・センス」(1999年、M・ナイト・シャマラン監督)のハーレイ・ジョエル・オスメントが主人公の少年を演じ、受けた恩をその人に返すのではなく、誰か別の人に渡していくと、世界を変えることも可能かもしれないというテーマの人間ドラマだ。原題は「Pay It Forward」で、恩返しならぬ「恩送り」を意味する。
中学生のときに見た当時は特に感動したというわけではなかったが、寄付が循環する仕組みを作るといった誰かのために非営利で活動をしている人たちに出会うと、あの映画のことを思い出した。「私の中でずっと心に残っていて、自分の大事な指針になっているんだろうなということに後になって気付きました」と田中さんは打ち明ける。
パートタイムを転々とするいたって普通の主婦だったが、3人目の子どもが生まれて2年くらいして保育園に上がるようになると、心にも余裕が出てきた。大好きだった映画を見に行こうと、豊岡劇場に3回ほど足を運んだ。すてきな空間ですてきな作品と出合う幸せに接し、ここで働きたいという思いが募ってきた。スタッフの募集はないのかな。ずっとホームページでチェックしていたら、ある日、告知を見つけた。2021(令和3)年、田中さんは憧れの豊岡劇場のパート従業員になる。コロナ禍で全国の映画館が悲鳴を上げていたころだった。
「私は仕事がすごく楽しかったのであまり気にしていなかったのですが、確かに今から思えば、入場客が少なかったのかなという気がします。1週間後に休館のお知らせを出しますよ、と聞いて、初めて危機的状況にあることを知りました。とてもショックでしたね。ずっとここで働き続けたいと思っていましたから」
2022(令和4)年3月1日、豊岡劇場はこの年の8月末をもって休館することを発表する。2014(平成26)年のリニューアル再開後、わずか8年後に訪れた2度目の試練だった。

☆コロナ禍で直面した2度目の試練
1927(昭和2)年開業の豊岡劇場は、当初は芝居小屋としてのスタートだった。古い資料が残っておらず、あまり詳しいことは分からないというが、旅芝居や歌舞伎など大衆演劇の殿堂として地元の人々に愛されていた。戦時中は軍の医療庫として使われたこともあったが、戦後、映画の専門館となる。映画が娯楽の中心だった最盛期には、豊岡市街地に豊岡劇場を含めて4館がしのぎを削っていたという。
だが、やがてテレビの普及で映画産業は斜陽と呼ばれるようになり、さらにシネコンの台頭、デジタル映写への切り替えと、街なかの老舗映画館は次から次へと逆風に見舞われる。そんな中でも豊岡劇場は最後まで豊岡の映画文化の灯をともし続けていたが、2012(平成24)年3月、創業当時からの経営者である山崎家の3代目、山崎浩作支配人が閉館を決断する。誕生して85年、刀折れ矢尽きた瞬間だった。
豊岡市内で不動産賃貸業の石橋設計を営む石橋秀彦さんは、子どものころは映画監督になる夢を抱いていた。中学を卒業後、北アイルランドに留学し、名門のアルスター大学でアートを専攻。ロンドンでの芸術活動の後、帰国後は東京・渋谷の映画館、ユーロスペースで北アイルランド映画祭を開催するなど東京でアート関連の仕事をしていたが、家業を継ぐために豊岡に帰ってきた。2010(平成22)年のことだ。
だがそれからどれほどもたっていない2012(平成24)年3月、豊岡どころか兵庫県北部で唯一の映画館だった豊岡劇場が閉館してしまう。映画館がないような町には住みたくない。石橋さんは行動に出た。土地と建物を山崎家から購入し、ファサードや劇場内の雰囲気は変えずに使い勝手がよくなるようリノベーションを施す。作品選定や劇場運営に関しては、北アイルランド映画祭で付き合いのあったユーロスペースはじめ、各地のミニシアターに相談に乗ってもらい、配給会社ともつながりができた。こうして石橋さんが自ら支配人を務める形で2014(平成26)年、豊岡劇場を再開させた。
「ここは幼少期によく通っていて、映画監督になりたいと思う動機付けになったとても大切な建物でした。百年も建つ映画館をもう一回造るなんてことはできないし、できるだけそのまま残してあげることで、地域の歴史と品位を残したかった。僕は映画は情報だと思っています。地方にこそ世界の情報を渡すべきであり、その役割を担っているのが映画館です。新しい情報、新しい文化を持ってくるのに、世界中から多様な作品が集まって、それを同じ値段で見ることができる映画館はものすごく適していると思いますね」と石橋さんは強調する。
ミニシアター系の作品もラインアップに取り入れた新生豊岡劇場は評判も上々で、入場者数も右肩上がりで増えていった。赤字を脱却するまでには行かなかったが、2019(令和元)年には年間の動員数が1万7000人を突破し、採算が取れるようになるのも夢ではなかった。
そこに新型コロナウイルスの嵐が襲った。翌2020(令和2)年には入場者数が8300人に落ち込み、コロナ禍が落ち着いた後も戻ってくることはなかった。2021(令和3)年11月には豊岡劇場が独自に作品をセレクトして配信するプラットフォーム「ミニシアター映画配信サービス」をスタートさせるなど、生き残りを懸けてさまざまな試みを行うが、打開策とはならなかった。石橋さんはついに休館することを決意する。
「会社として不動産や飲食店などをやっていく中で、ダメージを受けた映画館を続けていくのは危険を伴うと判断した。閉館ではなく、あくまで休館で、それで休館の間に誰か手を上げてくれたら話をしましょう、というスタンスです。本来は民間企業で運営ができたらいいし、できるべきだけど、人口が減っている中で、映画館の経営は本当に厳しい。だから皆さん、映画を見に来てくださいね、という思いでした」
こうして2022(令和4)年8月31日、豊岡劇場は2度目の休館となる。だが時をおかずして名乗りを上げた人がいた。パート従業員の田中さんだった。

☆大好きなロビーに響くジャズの調べ
「でも私たちは継続でしたからね。これまでの8年間があった上での営業再開といった感じだったので」と恐縮がる田中さんによると、まずは会員を集めるところから始めることにした。会員になると1年間、映画を見ることができるという特典を付けて募集し、集まった会費およそ300万円を元手に一般社団法人豊岡コミュニティシネマを設立。土地や建物は石橋設計所有のまま、新たな組織が運営するという形で上映再開を果たす。2023(令和5)年3月25日、休館から7カ月後のことだった。一般社団法人にしたのは特定非営利活動法人(NPO法人)よりも作りやすかったからだ。
「とにかくやりたい一心で動いたので、やらない理由は考えなかった。しかも何も知らなかったから、できるとしか思っていなくて」と話す田中さんだが、さまざまな失敗もしたし、いろんな人に迷惑もかけたと反省する。いや、3人の子どもたち家族への迷惑は、今も進行中だ。そうやってたくさんの人から受けた恩は、ここを続けていくことで還元していく。そう、田中さんが心に残っている映画のテーマ「ペイ・フォワード」が豊岡劇場の方針だ。
新体制になってから、徐々にではあるが客足も戻ってきている。「みんなの映画館を標榜している田中さんが運営していることもあって、僕たちのころはいなかったボランティアも大勢の人が手伝ってくれているし、来場者も増えている。素晴らしいことです」と石橋さんも頬を緩める。
「文化ってある程度、自分たちがありたい社会の理想像をガイドできる力があると思う。そこを広める土壌を作るのが僕たちの仕事だと思っています。ただ次の時代は次の世代が、やり方も変えて頑張ればいい。自分が全部やるよりはほかの人たちに託すことで、もっと広がるんだなという実感がある。僕は地域の方々と一緒に、若い人たちが活躍できる場を守っていきたいと思っています」
石橋さんもまた、確実に「ペイ・フォワード」の精神を実践している一人だろう。
「みんなの映画館」だけに、映画以外での活用の機会も増えた。この日は夕方の7時から「Jazz BAR in Toyogeki」と称して、ジャズのライブ演奏がロビーで開かれるという。ボランティアのスタッフでもある豊岡在住のジャズシンガー、石口カオリさんが持ち込んだ企画で、2025(令和7)年の2月から月に1度、ジャズのナンバーを披露している。
「自分の得意なことで豊岡劇場を盛り上げたいと思ってくださっていて、じゃあぜひ一緒にやりましょうとなって、カオリさんとの共同企画として開催しています。そんなふうに思ってくださっている方が、ありがたいことに増えてきていて、みんなが、これやりたい、あれやりたい、とどんどん巻き込まれていっているという感じですね」と田中さん。
6月下旬の夕刻はなかなか日が暮れない。ドアの外はまだほんのりと明るい中、初めはボーカルなしのキーボードとベースだけの演奏でジャズのステージが始まった。ロビーの左端、2階へ続く階段手前に楽器が配され、カウンター前の細いスペースに置かれた椅子に来場者が腰を下ろす。その数、15人といったところか。ドリンク代600円を払って芋焼酎をロックでいただく。「A列車で行こう」の心地よいスイングが酔いを加速させる。
2曲が終わったところでカオリさんが登場。「後ろの方、見えますか」との問いかけに、ロビー右奥の大ホール入り口前の階段に腰かけたお客さんが大きくうなずく。
「このお暑い中、たくさんの人にいらしていただいて、ありがとうございます。ジャズってよく、敷居が高いよ、分からないよ、と言われますが、何も考えずに楽しんでいただけたらと思います」と話すと、温かい拍手が湧き起こった。
途中、20分間の休憩を挟み、おしゃべりも交えながら8時45分まで、カオリさんの素直な歌声がロビーに響き渡る。ミュージカル映画「オズの魔法使」(1939年、ヴィクター・フレミング監督)でジュディ・ガーランドが歌った「虹の彼方に」のときは、子どものころ、虹は渡ることができるものと思っていたというエピソードを披露。「追っかけても追っかけても、どんどん向こうに行っちゃう。そしたら母に、虹を渡るには努力しないといけないと言われました」と笑いを誘う。
アンコールも映画に関連したナンバー、ロバート・ワイズ監督で1965(昭和40)年に映画化もされたミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の「私のお気に入り」で締めて、ステージは終了。「始めたころは5、6人のお客さんだったんですが、今日は後ろの方はこちらから見えない方もいらっしゃって大盛況でした」と喜ぶカオリさんは、熟成した音楽であるジャズは熟成した空間が似合う気がすると言う。
「ジャズは戦争など苦難の歴史を乗り越えた音楽で、ここの豊岡劇場もいろんな変遷を経て今に行き着いている。私は豊岡劇場の中でもこのロビーが一番好きで、いろんな人たちの息遣いが染み込んでいると思うんです。文化的な施設が消えてしまうと若者は帰ってこない。高校生ら若い人たちにも、豊岡は大人がかっこよく遊んでいる町だと思ってもらえたらうれしいですね」

☆顔が見える町の手伝いたくなる場所
外に出ると、辺りはとっぷりと日が暮れていた。日本海に近い豊岡ならではの味を求めて、田中支配人お勧めの居酒屋に入る。お酒の銘柄に迷っていると、カウンター越しに若いご主人が魚とお肉それぞれに合う地酒を紹介してくれる。まずは魚介類をいただこう、と、オニエビの塩焼きに干グベの唐揚げ、それにお酒は香住鶴のRICH山廃を常温で頼む。香住鶴は豊岡の隣町、同じ但馬の香美町に蔵がある1725(享保10)年創業の老舗だ。
オニエビはイバラモエビとも呼ばれ、日本海の深海に生息するかなり稀少なエビらしい。殻は極めて香ばしく、一口噛めば、中に詰まったうまみエキスがじゅわっと口中に広がる。すっきり飲みやすい香住鶴が確かによく合う。また一口、殻ごと貪る。噛むたびにうまみが染み出てきて、まるで殻にまでエキスが詰まっているようだ。これはめちゃめちゃうまい。
一方のグベも深海魚だそうで、別名ノロゲンゲという。口が大きい細長い魚で、お皿に唐揚げが3尾、並んでいる。いかにも深海魚の風情で、頭からがぶりとくわえる。香ばしいが、かなり皮が硬い。食べ応えというよりも、噛み応えがある。香住鶴をごくり。
お次はお肉といこうかな。お酒も肉料理に合うという竹泉(ちくせん)の黒松純米酒に変える。同じ但馬でも内陸部の丹波、丹後との国境に近い朝来市にある蔵で、こちらも創業は1702(元禄15)年というから、歴史の重みをひしひしと感じる。
この酒は極めて個性的な風味で、ものすごく癖が強い。確かにこってりした食べ物に合いそうだ。ということで但馬牛の串焼きを注文する。かなり軟らかく、深い味わいだ。それほどしつこくないが、竹泉がごくごく喉を通る。お魚もお肉も新鮮でおいしく、おまけにお酒も多彩とあっては、但馬はのんべえにはたまらない土地のようだ。
さて今夜のお宿だが、豊岡劇場も懇意にしているというゲストハウスを予約している。ふれあい公設市場と称する日本で最も古い木造の公設市場とされる奥にあり、年季の入った長屋風の建物をおしゃれにリニューアルしてある。経営しているのは同じ日本海側の京都府与謝野町出身の岡田圭輔さんで、2017(平成29)年に地域おこし協力隊として豊岡に来て以来、町の活性化に一役買っている。グッズや飲食物の販売など豊岡劇場の事業についても積極的にお手伝いをしているという。
「豊岡は何もないからこそ面白い」と話す岡田さんは、都市とは違ってお互いに顔が見えることで、ちょっとずつ「手伝おうかな」という思いになるのではないかと指摘する。「神戸のように人が多いと手伝わなくてもいいかなとなるし、余白があって人が少ないことのよさでもあるのかなと思います」と認める。
豊岡劇場は「映画を見るよりもコーヒーを飲んでいる回数の方が多かったりする」というほど入り浸っている場所だが、田中支配人の人柄が魅力的で、最近はボランティアのスタッフはもちろん、地域の女性たちが談笑している風景が増えたと証言する。
「映画館は本屋さんに似ているけれど、本と違って、一度映画を見てしまえば誰とでもいろんな話をしやすい。亜衣子さん(田中支配人)が上手なのは、みんなで読書会をしましょう、という感じではなく、映画を見た帰りとか見る前とか、自然な形で会話が生まれていること。日常の中で話をしていて、暮らしの中の楽しみにもなり得るのかなと思うんです」と岡田さん。
そんな楽しみの一助になれば、との思いで豊岡劇場と関わっているが、2025(令和7)年2月、映画館に隣接して、というよりも豊岡劇場とは建物続きで新たにゲストハウスがオープンした。「TOYS 927」は、石橋さんの石橋設計が整備、開業した宿泊施設で、準備段階から相談に乗るなど、岡田さんが運営に全面協力している。
翌朝、石橋さんに「TOYS 927」の中を見せてもらう。1階、2階と2グループが泊まれるようになっており、1階は大きなフィルム映写機に映画館のシートがでーんと設置され、壁はそこそこの大きさのスクリーンに加え、看板やらポスターやら案内板やらフィルム缶やらでびっしりと埋め尽くされている。さらに奥の部屋には大きなダブルベッドが2つ並んでいて、4人まで宿泊可能だという。
一方、2階は壁1枚を隔てた先が映画館になっていて、格子状の小さな扉を開けると、映写室をのぞくことができる。石橋さんによると、かつて劇場のオーナーが住んでいた部屋だそうで、定員は5人。壁には映画作品の大きな幟が何枚も飾られていて、やはり映画資料室の趣だ。「本当はミュージアムにしたかったのですが、ゲストハウスという案が出てきて、こういう形になりました」と石橋さん。ちなみに「TOYS 927」の927とは、豊岡劇場が開業した1927(昭和2)年にちなんでいる。

☆お風呂も食事もはしごの城崎温泉
この日は豊岡劇場で映画を見るのが最大の目的だ。午前11時50分からの「ごはん」(2017年、安田淳一監督)を鑑賞しに1階の大ホールに入る。階段状のフロアに比較的新しい142席のシートがゆったりと配置されていて、とてもリッチな雰囲気だ。昔ながらの大きな映画館でなければ得られない余裕だろう。ところどころ椅子ではなくテーブルが置かれているが、聞けば冬にはこたつ席になるという。こたつで映画というのも、何とも贅沢な体験だ。
「ごはん」は「侍タイムスリッパー」(2024年)が大ヒットした安田監督の過去作で、京都で農業を営む父親の急逝を受けて里帰りした東京のOLが米作りに奮闘するという成長物語だ。「侍タイムスリッパー」の評判を受けて6日間限定での上映だったが、こういう柔軟な編成も大ホールと小ホールの2スクリーンあるからこその強みだろう。この日は大ホールで4作品、小ホールで4作品、計8作品を1日1回ずつ上映。それを木曜の定休日を除く週6日間、毎週入れ替わりでプログラムを組んでいくのは、かなり骨の折れる作業なのではないか。
「今は大作を軸にミニシアター系を入れていくという感じですね。でもミニシアター系は、これもやりたい、あれもやりたい、というのがいっぱいあって、本当に配給さんには申し訳ないという思いです。石橋さんの教えで、定期的にお付き合いのある配給さんの作品は1年に1回か2回は絶対に取ろうね、お世話になれるように頑張ろうね、ということでやっています」と田中さん。こうして上映が決まった作品は、ほぼ全てにスタッフが手書きのコメントを書き記すのだから、本当にみんな映画が好きなんだな、と感心する。
明日もまた戻ってくると告げて、JR山陰本線で2駅先の城崎温泉に向かう。志賀直哉の「城の崎にて」では何となくじめっと陰気なイメージだが、日本を代表する温泉地がこんなに近くにあるのだから、行かない手はない。
宿に着くと、いきなり通行券を手渡され、全部で6カ所ある外湯の場所を案内される。女将さんが言うことには、城崎温泉は街全体が一つの旅館みたいなもので、外湯で温泉に浸かり、飲食店で食事をするというのが常道だそうだ。宿にも温泉はあるが、この日の宿泊客は私1人らしく、お湯を引いていないという。確かに駅からここに来る間も、まだ日が高いにもかかわらず、浴衣に下駄履きの観光客が、からんころんと音を立てて、大谿川(おおたにがわ)のほとりを闊歩していた。
早速、浴衣に着替えて街に出る。とりあえず午後しかやっていない柳湯とまんだら湯に赴く。柳湯は露天がなく内湯だけで、無色透明のお湯はぬるっと肌に吸い付く感じだ。すぐにぽかぽかしてきて、そそくさと湯船を出る。6月末ながら、とにかく今日は暑かった。へばり付いた汗を払うには、熱々の温泉が一番だ。
まんだら湯は内湯のほかに屋外の桶湯がある。湯船が大きな木の桶のような形状で、入るとざばーっとお湯があふれ、爽快そのものだ。今日はもうこんなもんでいいだろう。早く冷たいものが飲みたい。
街全体が旅館と言うなら、食事もはしごをするに限る。まずは宿の女将さんお勧めの餃子がおいしいという店に入る。温泉街で餃子というのもどうなんだろうと思ったが、ここは普段はテイクアウトだけの店だが、土日だけは店内で食べられるという。本当はお好み焼きがメインだそうだが、自家製餃子を醤油たれ、味噌たれ半々でオーダーする。温泉上がりの生ビールにちょっとピリ辛の味噌たれ餃子がうまい。ビールをお代わりしたくなるが、我慢我慢。まだ次の店が待っている。
続いてはおでんが名物の居酒屋へ。これまた初夏におでんとはいかがなものか、と思うものの、お勧めとあらば試してみたくなる。竹泉の常温を傾けながら、二方(ふたかた)蒲鉾のおでんをつまむ。二方蒲鉾とは城崎の海岸沿いにある1921(大正10)年創業の練り物会社で、あ、ここも百年の歴史だ。ちくわ、ゴボウ天、キャベツ紅生姜天、エビまんじゅうを食べたが、どれも練り物としては歯ごたえがあり、うまみがにじみ出る。ゴボウ天などはゴボウの土臭さがそのままで野趣あふれる味だし、エビまんじゅうはもちもちとろとろして染み具合が絶妙だ。昨晩いただいた癖のある味わいがたまらない竹泉に合う肉料理も欲しい。但馬牛すじこんは、牛すじのこりこり感とコンニャクのぷるぷる感が相性抜群。竹泉がぐいぐい進んで、また明日。

☆未来の子どもたちへ「ペイ・フォワード」
翌朝、鴻の湯、御所の湯、一の湯、地蔵湯と残る4つの外湯を巡り、但馬鶏やコウノトリ育むお米など地元の農産物によるバランスの取れた朝食を堪能した後、宿をたつ。帰途、女将さんから「素晴らしい眺めなので、ぜひ寄ってみたらいい」と言われた開通したばかりの新城崎大橋まで歩く。午前中からの酷暑に汗を拭っていると、円山川の河川敷に広がる田んぼのあぜ道に、くちばしの長い大きな白い鳥が「たちずさんで」いる。おっ、コウノトリだ。
カメラのシャッターを切りながら、「1羽で寂しいな」と思っていたら、飛び立ったかと思うとすぐ近くの細長いコンクリート塔のてっぺんに降り立つ。見ればほかに2羽がうずくまっていて、恐らくコウノトリの巣になっているのだろう。調べると人工巣塔と呼ばれる建造物で、豊岡市内には27カ所あるらしい。家族3羽、仲むつまじく羽を寄せ合っている姿は、本当に復活してよかったねと思わずにはいられない。
鈍行列車で引き返して、三たび豊岡劇場を訪ねる。この日は「おしゃべりシネマカフェ」が開かれることになっていて、これに参加しようと思ったのだ。
「おしゃべりシネマカフェ」とは、地元の人たちが主催して不定期に開かれているイベントで、映画を上映した後、観客有志がコーヒーなどを飲みながらその作品について自由に語り合うというものだ。上映されたのは、アメリカの大学で学んだ山崎エマ監督が東京の小学校を見つめたドキュメンタリー「小学校~それは小さな社会~」(2023年)で、参加者は1階の大ホールで映画を鑑賞した後、2階の小ホールに移動しておしゃべりを交わすという段取りだ。
映画の上映にはたくさんの観客が詰めかけたが、シネマカフェに参加したのは10人ほど。34席の小ホールの座席を回転させ、対面にしておしゃべりを交わす。映画館の椅子を逆方向に回転させるという離れ業は初めて目撃した。
今日の参加者は、映画の内容から学校の先生が多く、東京の小学校は豊岡とはちょっと違う、とか、改めて日本の学校ってすごいんだなと思った、とかさまざまな意見が飛び交う。次の映画の上映もあり、40分ほどでお開きとなったが、ロビーに下りてきてからもみんな銘々でおしゃべりを続ける。確かにゲストハウスの岡田さんが言っていたように、自然な会話の輪が豊岡劇場の何よりもの恵みなのかもしれない。
最後にもう一つ、豊岡劇場のとってもすてきな取り組みを紹介したい。「U18みらいチケット」は、大人が1枚500円のみらいチケットを購入すると、18歳以下の子どもがそのチケットを500円で買って映画を見ることができるという仕組みだ。つまり1人の大人が、誰かは分からないけれど、1人の子どものために通常は1000円する子ども料金の半分を寄付することになる。
コロナ禍でなかなか映画を見に行けなかったときに発想したもので、今は見ることはできなくても、チケット代を寄付して劇場にキープしておけば、未来の子どもたちが映画を見るという恩恵にあずかることができる。まさに支配人の田中さんがスローガンとして掲げる「ペイ・フォワード」の精神そのもので、田中さんが中学生のときに「ペイ・フォワード 可能の王国」を見たことが映画への恩返しにつながっていったように、みらいチケットで映画を見た今の子どもたちが、未来の誰かのために映画の恩を渡してくれるかもしれない。
アルバイトのスタッフにも若い人たちが多く、2021(令和3)年に豊岡市内に開校した兵庫県立の芸術文化観光専門職大学の学生も5人が働いている。その1人、蛭田絵里香さんは言う。「ここで働いていると映画は見放題だし、アルバイトをしながら勉強させてもらっている感じです。民間の施設でどうしたら地域の拠点になり得るのか、ここで学ぶことは多いですね」

《豊岡劇場》1927(昭和2)年、創業。現在は一般社団法人豊岡コミュニティシネマが運営。木曜休館。兵庫県豊岡市元町10‐18
※2026年3月刊行「百年映画館」(草思社)から抜粋

