第339夜「箱の中の羊」是枝裕和監督
フランスで開かれていた第79回カンヌ国際映画祭が閉幕した。ベテラン、新鋭の監督作合わせて22本が上映されたメーンのコンペティション部門で、韓国のパク・チャヌク監督を議長とする審査員団が最高賞のパルムドールに選んだのは、ルーマニア出身のクリスティアン・ムンジウ監督「Fjord(原題)」だった。ムンジウ監督にとっては2007年の「4ヶ月、3週と2日」に次いで2度目の快挙となる。
ムンジウ作品は、当方が一度だけ取材の機会を得てカンヌを訪れた2016年の第69回でもコンペティション部門に「エリザのために」が選出されていて、監督賞を受賞している。このときの受賞者会見で、ムンジウ監督は母国のルーマニアでは映画の制作本数が極めて少ないことに言及。「もっと多様性が必要で、映画制作への支援体制も充実させなければならない。そのためにも受賞には大いに希望を持っている」などと語っていたものだ。
今度のパルムドール作品は、ルーマニアからノルウェーに移住した夫婦の児童虐待疑惑を描いた人間ドラマだという。早くスクリーンで鑑賞したいところだが、昨年2025年のパルムドール作品「シンプル・アクシデント/偶然」(ジャファル・パナヒ監督)がつい先日の5月8日に公開されたばかりだから、日本にやってくるのは1年後くらいになりそうだ。今年のコンペティションには、ほかにもアンドレイ・ズビャギンツェフ、パヴェウ・パヴリコフスキ、ルーカス・ドン、ナ・ホンジン、ネメシュ・ラースロー、アスガー・ファルハディ、ペドロ・アルモドバルといったおなじみの名匠、巨匠の新作が並んでいて、日本での劇場公開が待ち遠しくて仕方がない。
そんな中でいち早くお目見えするのが、是枝裕和監督の「箱の中の羊」だ。残念ながら受賞はならなかったものの、カンヌはオリンピック以上に参加することに意義がある。現地に行かなかった身としては、世界最高峰の映画をまだ映画祭の余韻が冷めやらぬうちに日本で味わうことができるというのは何ともありがたい。
時代は少し先の未来という設定になっている。建築家の音々(綾瀬はるか)と工務店の社長を務める健介(大悟)の夫婦のもとに、事件や事故で家族を失った遺族にヒューマノイドを無償でレンタルするという案内が届く。夫婦は2年前、一人息子の翔を7歳で亡くしていた。
あまり乗り気ではない健介を無理やり誘って説明会に参加した音々は、メンテナンスに来ていたヒューマノイドの少年と出会ったことでレンタルに前のめりになる。やがて自宅にヒューマノイドの翔(桒木里夢)が届くが、何のためらいもなく「おかえり」と迎え入れた音々に対して、健介は自分のことを「おじさんと呼べ」と冷たく言い放つ。
といった導入部だけで、いかにも是枝監督らしい独創性と引っかかりにあふれていて、オリジナル脚本でこんなシチュエーションを発想するとは、もうさすがと言うしかない。ここから先の展開は見てのお楽しみといったところだが、夫婦の職業が建築に関わるもので、さらに重要なアイテムとして森の風景が差し挟まれるというのがミソだ。「住まい」は人が人として生きる上での基本であり、特に日本の家は木材、つまり生き物である植物が使われている。樹木は切り倒されて生物としての命は失うが、建物として人のために生き続ける。
それは亡くなったわが子をヒューマノイドとして生き永らえさせることにも通じるし、一方でいくら頑丈な家にしたところで、建造物にも寿命はある。人の心も同じで、いつまでも悲しみを記憶にとどめておくべきなのか、あるいは自然に朽ち果てるように忘れていくのが幸せなのか。夫婦とヒューマノイドによって繰り広げられるふくよかなドラマの奥底には、そういった根源的な問いが投げかけられているような気がした。
物語を立体化する役者陣がまた、実にナチュラルな現実感をまとっていて見入ってしまう。是枝作品は「海街diary」(2015年)以来という綾瀬はるかはもちろん、お笑いコンビ、千鳥の大悟が、妻と同じ喪失感を抱えながら微妙に温度差がある夫をシリアスに徹して巧みに表現。さらにヒューマノイド役を演じる子役の桒木里夢が、心のない、でも夫婦の中にある記憶はそのままという超難役を、無表情なのに人間味があるという奇跡的な演技で魅せる。これまでも「誰も知らない」(2004年)の柳楽優弥を筆頭に、「奇跡」(2011年)、「そして父になる」(2013年)、「万引き家族」(2018年)、「ベイビー・ブローカー」(2022年)、「怪物」(2023年)と次々と名子役を発掘してきた是枝監督だが、また一人、思いっ切り将来が楽しみな新星が誕生した。
是枝作品は、10年前に取材に訪れた第69回カンヌ国際映画祭でも「海よりもまだ深く」(2016年)が「ある視点」部門に選出されていて、公式上映で大きな拍手に包まれてにこやかに登壇する監督の姿を目にしている。上映後の会見で「やっぱりここが一番厳しい」と話していた是枝監督は「作品に対してはもちろん、審査に対しても批評に対しても厳しく、これだけ拍手とブーイングが繰り返される映画祭はほかにない。みんな真剣に映画と向き合っていて、そこに作品を持ってくるというのは大変な緊張を伴う。その緊張に堪えられる監督になりたい」と口にしていた。
そのころからすでに世界的な評価を得ていた是枝監督だが、その後、「万引き家族」がパルムドールに輝くなど、今ではすっかりカンヌの顔になった。賞を取ろうが取るまいが、かの地で厳しい観衆の目にさらされた作品を、決して見逃すことのなきように。(藤井克郎)
2026年5月29日(金)、TOHOシネマズ日比谷など全国で公開。
©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

是枝裕和監督「箱の中の羊」から。健介(左、大悟)と音々(右、綾瀬はるか)の夫婦は、2年前に亡くなった一人息子、翔のヒューマノイド(桒木里夢)をレンタルするが…… ©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

是枝裕和監督「箱の中の羊」から。音々(左、綾瀬はるか)と健介(右、大悟)の夫婦は、2年前に亡くなった一人息子、翔のヒューマノイド(桒木里夢)をレンタルするが…… ©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

