第118夜「大地と白い雲」ワン・ルイ監督

 今年の夏もどこにも行かずに終わりそうだ。このご時世、遠出はやめておいた方がいいとわかってはいるものの、ここまで代わり映えのしない日々が続くと、もういいよって気分になる。新型コロナウイルスは日常生活をすっかり変えてしまったけれど、非日常までをも奪っていった。

 そんなときの気分転換に打ってつけの場所が映画館だ。真っ暗闇の空間に身を委ねて、大画面のスクリーンに映し出された見たこともない景色に浸る瞬間は、自粛のストレスから解放されること間違いない。しかも映画の場合、ただ単なる観光案内とは違って、才能豊かな映画作家による深くて厚みのある創造の世界が繰り広げられる。どこの劇場も感染予防のための対策はばっちりだし、まさに安全安心な非日常といえるんじゃないかな。

 中国のワン・ルイ(王瑞)監督が内モンゴル自治区で撮った「大地と白い雲」は、映画ならではの疑似旅行体験を堪能できる格好の作品だ。果てしなく広がる「大地」と真っ青な空に浮かんだ「白い雲」はここにしかない風景だし、一方、描かれているテーマは普遍的な夫婦愛と来ている。映画の醍醐味をとことん満喫できる作品といえるだろう。

 舞台は内モンゴル北部に広がるフルンボイル(呼倫貝爾)草原。モンゴル族のチョクト(ジリムトゥ)とサロール(タナ)の若い夫婦は、草原の中にぽつんとたたずむ小屋に住んで、牛や羊を放牧する昔ながらの暮らしを続けていた。故郷に愛着のある妻はこの地を離れるつもりがないが、都会での生活に憧れる夫はちょくちょく行方をくらまして、妻に心配をかけてばかりいる。今度は家畜を売って車を買うという夫に、妻は渋々同意するものの、その夜、いつまでたっても夫は帰ってこない。不安に駆られた妻は猛吹雪の中、夫を探しに外に出るが……。

 夏と冬とでがらりと表情を変えるフルンボイルの大自然の姿に、まずは圧倒される。この見晴るかす大草原の中に居を構えるモンゴル族の暮らしは、一見すると昔のままの素朴さだが、こんな辺境の地にも変化の波は押し寄せている。頭上では軍用ヘリコプターが轟音を響かせ、夫はスマートフォンの電波が入らないことにイライラを募らせる。馬に代えてオートバイで飛ばしたり、街のカラオケ店で酔いつぶれたり、彼らの毎日は都会人とほとんど変わりがない。この辺りの自然と文明を対比させた風刺は実に巧みだ。

 喜劇と悲劇が目まぐるしく交錯する展開も見逃せない。夫のチョクトは「男はつらいよ」の寅さんばりに口の達者なフーテンで、でもさっそうと馬を追う姿はきりっとしてかっこいい。生真面目な妻のサロールは夫の身勝手さにはほとほと手を焼いているものの、馬追いの雄姿を目にするとほれ直してしまう。そんな2人の丁々発止のやりとりは、まるで夫婦漫才のような滑稽さで、大いに笑わされるのだが、と次の瞬間、のっぴきならない重大なシチュエーションが待っている。喜劇と悲劇が紙一重というのもまた夫婦の機微そのもので、ワン監督の作劇術にはうなるしかない。

 さらに素晴らしいのが、このわがまま夫が妻を褒めそやす珠玉の言葉の数々だ。「君の笑顔は何ものにも勝る」といった歯の浮くようなせりふを、スマホによる会話というこれまた微妙なアンバランスさで表現する。このほほ笑ましさは、どんな恋愛映画も太刀打ちできないのではないかというほどの純朴さで、監督の優しい心根に触れた気がした。

 驚異の眺望に目を奪われ、究極の夫婦愛に心洗われる。これぞ正しい非日常の味わい方かもしれないね。(藤井克郎)

 2021年8月21日(土)から岩波ホールなど全国で順次公開。

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中国映画「大地と白い雲」から。内モンゴルの大草原を舞台に、チョクト(右、ジリムトゥ)とサロール(タナ)夫婦の愛情物語が展開する ©2019 Authrule (Shanghai) Digital Media Co.,Ltd, Youth Film Studio All Rights Reserved.

中国映画「大地と白い雲」から。内モンゴルの雄大な風景に目を奪われる ©2019 Authrule (Shanghai) Digital Media Co.,Ltd, Youth Film Studio All Rights Reserved.