第202夜「セールス・ガールの考現学」センゲドルジ・ジャンチブドルジ監督

 モンゴルには一度行ったことがある、ということは以前にも書いた。1991年の夏で、日本、モンゴル合作の映画「チンギス・ハーン」(1992年、ベグズィン・バルジンニャム監督)のロケを取材するためだったが、撮影現場だった見渡す限りの大草原で移動式住居のゲルに泊まったほか、首都のウランバートルのホテルにも何泊かしている。まだ民主化されて間もない時期で、モンゴル最大の都市ながら、夜になると真っ暗な闇に包まれる何もない街、というのが正直な印象だった。

 それから30年。ウランバートルを舞台に、こんなに都会的でオフビートな映画が作られるとは、いやあ、時代の変化を実感せずにはいられない。

「セールス・ガールの考現学」の主人公は、原子力工学を専攻する大学生のサロール(バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル)。野暮ったくていかにも真面目そうな彼女は、クラスメートのナモーナ(バヤルマー・フセルバータル)から、けがをして働けない間だけアルバイトを代わってくれないかと頼まれる。それほど仲がよくないのになぜ、といぶかしむものの、バイト代は高額だし、それにサロール自身、どこかぼーっとしているところがあって、まあいいかも、と簡単に引き受ける。

 こうして始めたアルバイトは、アダルトショップの店員という、まあ堅物で世間知らずのサロールにとって、これほど似つかわしくないものはないという仕事だった。店には一癖も二癖もある変わり者が入れ代わり立ち代わりやってくるし、何よりオーナーのカティア(エンフトール・オィドブジャムツ)がかなり癖の強い女性で、うぶなサロールにセックスをはじめとして人生の何たるかを指南する。最初はそれこそ淡々と仕事をこなしていたサロールも、徐々に世の中を知っていくにつれ、情感豊かな女性へと変貌を遂げる。

 とまあ、欧米でも日本でもありがちな青春成長物語なんだけど、まだ若手のセンゲドルジ・ジャンチブドルジ監督が繰り出すオフビート感覚の工夫が楽しくて、肩の凝らない良質のコメディーに仕上がっている。中でも音楽の使い方が秀逸で、草原やバスの中のシーンなどでいきなりロックが流れてきたかと思うと、モンゴル出身の人気アーティストだというマグノリアンが現れ、バンドを従えて演奏している。ちょっと「メリーに首ったけ」(1998年、ボビー・ファレリー&ピーター・ファレリー監督)を彷彿とさせる仕掛けで、笑いに加えて音楽もじっくりと聴かせたいという狙いがほの見える。

 夜の街のまばゆさにアダルトショップの怪しげな内装、それにカティアの部屋のゴージャスな造りなど、素朴さとはかけ離れたけばけばしい装飾も、モンゴルのイメージからは程遠いし、何よりも驚いたのは主役を演じるバヤルツェツェグの大胆な演技だ。この作品が映画デビュー作だそうだが、チャーミングな笑顔はとっても愛らしく、国際派女優として世界に羽ばたく日も近いかもしれないね。

 ほかにも、クラスメートのナモーナがけがをする羽目になったバナナの皮で滑って転ぶ冒頭の場面をはじめ、ボーイフレンドの飼い犬のセントバーナードにバイアグラをやったり、退屈な授業で女性教授の似顔絵を描いていたり、といったクスリと笑える小ネタが山盛りで、スクリーンから片時も目を離せない。と同時に、本筋の部分では今を生きることの大切さについてカティアと激論を交わすなど重みのあるテーマを内包していて、軽いノリで深いことを語るというのはコメディー映画の王道とも言える。

 かように巧みな腕を見せるセンゲドルジ監督だが、ネットを検索すると、センゲドルジ・ジャンチブドルジという表記もあれば、逆のジャンチブドルジ・センゲドルジと書かれているサイトもある。映画の公式サイトやプレス資料はセンゲドルジが前にきているが、チラシではジャンチブドルジが先で、はてさてどっちが正しいのやら。モンゴルに行ったときに聞いたのは、モンゴル人には名字というものがなく、父親の名前を前につけて名字代わりにしているということだった。基本的には名前だけで通用するらしいが、センゲドルジとジャンチブドルジのどちらが本人につけられた名前なのか。これから世界的に高い評価を受けるにつれて、きっと明らかになっていくに違いない。(藤井克郎)

 2023年4月28日(金)から、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷など全国で順次公開。

© 2021 Sengedorj Tushee, Nomadia Pictures

モンゴル映画「セールス・ガールの考現学」から。アダルトショップでアルバイトをすることになったサロール(バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル)は…… © 2021 Sengedorj Tushee, Nomadia Pictures

モンゴル映画「セールス・ガールの考現学」から。サロール(左、バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル)は、アダルトショップのオーナー、カティア(エンフトール・オィドブジャムツ)から性と人生の指南を受ける © 2021 Sengedorj Tushee, Nomadia Pictures