第167夜「ぜんぶ、ボクのせい」松本優作監督

 序盤はそれほどでもないのに、途中から急に生き生きときらめいてくる作品に出合うことがある。当方が生涯ベストワンだと思っているジャック・リヴェット監督の「セリーヌとジュリーは舟でゆく」(1974年)なんて、初めて見たときは最初の2時間ほど、いったい何を見せられているのかさっぱり分からなかった。それが残りの1時間くらいですべてが氷解して、しかも圧倒的な感動に包まれるという感覚を味わった。しばらくは劇場の座席(建て替えられる前の渋谷のパルコ劇場だったなあ)から立ち上がれないほどの衝撃だったが、3時間を超える作品なりの理由があることに得心したものだ。

 松本優作監督の初の商業映画「ぜんぶ、ボクのせい」は2時間ほどの作品なんだけど、最初の30分くらいはどこかで見たような割とありがちな展開かなという感じだった。ところが中盤、主人公の少年がオダギリジョー演じるおっちゃんと出会うところから俄然、きらきらと光り輝き出す。

 児童養護施設で暮らす13歳の中学生、優太(白鳥晴都)は施設にも学校にもなじめず、いつか母親(松本まりか)が迎えに来てくれると信じて暗く絶望的な日々を過ごしていた。ある日、母親の居どころを知った優太は施設を抜け出して、見知らぬ町のアパートを訪ねる。だが男と同居して自堕落な生活をしていた母親は、優太に施設に戻るよう冷たく言い放つ。どこにも行く当てがなく、海辺の町にたどり着いた優太に声をかけてきたのは、ちょっと風変わりなおっちゃん(オダギリジョー)だった。

 おっちゃんは道端に止めてある軽トラックに寝泊まりし、がらくたを廃品工場に持ち込んで得たなけなしの金で食いつないでいた。何も事情を聴かないおっちゃんと寝食を共にするようになった優太は、やがておっちゃんの元をたびたび訪ねてくる高校生の詩織(川島鈴遥)と親しくなる。

 このおっちゃん、詩織、優太の3人の関係性が、何とも言えずいいんだよね。詩織は裕福な家庭に育ちながら、心の空白を埋めるために援助交際をしている。今はみすぼらしいなりのおっちゃんも、軽トラックの中には自分が描いたすてきな絵がいっぱいあって、栄光の足跡を彷彿とさせる。

 そんな3人が初めて顔を合わせる場面、お互いにあれこれ詮索することなく、赤みがかった夕空を背景にただ浜辺にたたずむ姿がとてもいとおしい。陰影に富んだ3人の表情にそれぞれの心のひだが刻み込まれていて、深くしっとりと心に染み入ってくる。「共喰い」(2013年、青山真治監督)や「凶悪」(2013年、白石和彌監督)などの今井孝博カメラマンの美的感覚が冴えわたる名ショットだ。

 この砂浜はその後も何度かキーになる場面で登場し、特に終盤、今度は朝日が差し込んでくるショットは、出会ったときの赤とはがらっと異なる青黒い色調で、その対比の鮮やかさには見ほれるばかり。優太も詩織もまだ人生はこれからだというのに、その前途は決して暖かく包み込んでくれるものではないということが暗示されていて、何とも切ない気持ちになる。

 加えて心に響くせりふの数々が実に印象的で、「死はただ一つ自分で選択できること」とか、「何不自由ない暮らしだけど、心が不自由」とか、脚本も手がけた松本監督は1992年生まれとまだ若いのに、何とも重みのある言葉を連ねる。エンディングテーマ曲の「夢で逢えたら」の使い方もぐっと心をつかまれるし、このみずみずしいセンスには圧倒されっぱなしだった。

 さらに何よりも、オダギリジョーの存在感がこんなにも強烈だとは驚きだった。もともとうまい役者だとは思っていたが、本当に登場した瞬間から映画の空気感をがらっと変えて、ぐいぐいと画面に引き込んでいく。自分の役だけでなく、オーディションで選ばれた主役の白鳥晴都の魅力も巧みに引き出していて、改めてすごさを実感した。ベネチア国際映画祭に出品された「ある船頭の話」(2019年)や、NHKのドラマ「オリバーな犬、(Gosh‼)このヤロウ」(2021年)などで脚本や監督も手がけているが、今後ますます活躍の場が広がっていくのではないかと確信した。(藤井克郎)

 2022年8月11日(木・祝)から、新宿武蔵野館など全国で順次公開。

© 2022『ぜんぶ、ボクのせい』製作委員会

松本優作監督作品「ぜんぶ、ボクのせい」から。児童養護施設を抜け出した優太(左、白鳥晴都)は、軽トラックで暮らす坂本(オダギリジョー)と出会うが…… © 2022『ぜんぶ、ボクのせい』製作委員会

松本優作監督作品「ぜんぶ、ボクのせい」から。おっちゃんを通して詩織(左、川島鈴遥)と知り合った優太(白鳥晴都)は…… © 2022『ぜんぶ、ボクのせい』製作委員会