第152夜「チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ」北村皆雄監督

 産経新聞在職中は割といろんなところに異動を命じられ、おかげで大いに知見を広げることができた。中でも2010年7月からおよそ3年にわたって赴任した北海道は、相当な学びの場になったと思っている。アイヌの文化にじかに接するというのも北海道じゃないとなかなかできないことだし、今では国立の民族共生象徴空間「ウポポイ」と名を変えた白老町のアイヌ民族博物館をはじめ、旭川市の川村カ子トアイヌ記念館、釧路市の阿寒湖アイヌコタンなどあちこち訪ねては、伝統文化を継承している人や、さらに新しい文化に発展させようとしている人たちに取材をしたものだ。

 とは言え、さすがにイオマンテを目にすることはかなわなかった。イオマンテとは霊送りの儀式のことで、動物の姿を借りてこの世に現れてきている神様を、神々の世界(カムイモシㇼ)へ丁重に送り返すというものだ。「山の神」を意味するキムンカムイと呼ばれるヒグマのイオマンテがよく知られていて、2020年にはイオマンテを題材にした「アイヌモシㇼ」(福永壮志監督)という劇映画も公開されたが、実際のイオマンテは残酷だとして、もう何年も行われていない。

 この「チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ」は、そんなアイヌ文化を代表する儀礼の一部始終を収めた貴重な記録映像だ。カムイモシㇼに送られる神は、キムンカムイではなくチロンヌㇷ゚カムイ、すなわちキタキツネの神で、1986(昭和61)年に屈斜路コタンの美幌峠で行われたイオマンテを撮影している。ちなみにチロンヌㇷ゚の語源は「われわれがどっさり殺すもの」で、獲物という意味だ。

 イオマンテを司るのは、道東の屈斜路湖畔で民芸店を営んでいたアイヌ神事の伝承者、日川善次郎エカシ(エカシとは「長老」とか「おじいさん」の意味)で、撮影当時は75歳だった。映画は、民芸店でくつろぐ普段着の日川エカシの姿から捉えていて、まるで飾らない様子はそんじょそこらにいるみすぼらしい老人そのものだ。

 だがひとたびイオマンテが始まると、アイヌ伝統の民族衣装に身を包み、大勢の住民の陣頭に立って、アイヌの言葉で厳かに儀式を進行する。言葉を間違えれば、すぐに神の怒りを買ってしまう。緊張感の漂う中、男も女もウポポ(歌)やリㇺセ(踊り)を捧げ、礼の限りを尽くしてキタキツネの魂をカムイモシㇼに送り届ける。前夜祭から何日かかけて行うこの祭礼は、断じて観光目的でやっているわけではなく、伝統芸能ではない。人々の暮らしに根差した民族のアイデンティティーそのもので、そのすべてをこうやって映像として目にできるということに、ちょっとした興奮を覚えた。

 実はイオマンテで送られる神は、人間に飼われてかわいがられている必要がある。映画「アイヌモシㇼ」でも、主人公の少年がチビと呼ぶ子熊の世話をする様子が描かれていたが、「チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ」でもカムイモシㇼに送られるキタキツネは常吉と名付けられ、コタンで飼育されている。映画はこの常吉の目線で描かれていて、語り(豊川容子)は常吉の一人称によるものだ。客観的に見れば、育てていたキツネを殺し、その皮や身を剥いで頭蓋骨にするというのは残酷かもしれないが、家畜というものはすべて人間のために殺されている。残酷と言うのなら豚や牛だって同じだし、このような心からの感謝の念を捧げて命をいただくというのは、非常に崇高な行為なのではないだろうか。

 この映画は、映像民俗学、映像人類学を掲げて日本全土やアジア各地で映画、テレビ番組を撮り続けてきた北村皆雄監督が、撮影から35年を経て完成させた。日川エカシが唱えるアイヌ語の祈詞は、人気漫画「ゴールデンカムイ」のアイヌ語を監修した中川裕・千葉大学名誉教授が翻訳。当時のイオマンテに参加した人の現在の様子なども織り込んで、決して過去の遺物ではない、現代にも息づくアイヌ文化としてよみがえらせた。

 さまざまな制約などもあって、現実にイオマンテを実施するのは、もう難しいかもしれない。だがこうして映像作品として残ることで、アイヌの人々の自然や暮らしへの思い、生きるための豊かな知恵を未来永劫、うかがい知ることができる。映画の持つ力を、また一つ思い知った。(藤井克郎)

 2022年4月30日(土)からポレポレ東中野など、全国で順次公開。

©VisualFolklore ©堤大司郎

北村皆雄監督作品「チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ」から。キタキツネの神を前に祈りを捧げる日川善次郎エカシ ©堤大司郎

北村皆雄監督作品「チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ」から。儀式は1986年、屈斜路湖を見下ろす美幌峠で行われた ©VisualFolklore