セクハラの根底にある差別意識をえぐる 「ある職場」舩橋淳監督
ある職場で実際に起きたセクシャルハラスメント事件をフィクションとして再構築した「ある職場」は、単に個別の事例を描いた映画ではない。作品の背後に横たわっているのは日本社会が抱える根本的な問題であり、一人一人の登場人物はどこにでもいるわれわれ日本人の姿でもある。「根底にあるのは性差別であり、その延長として暴力が起きる」と話す舩橋淳監督(47)は、驚くべき手法でこの画期的な社会派娯楽作品を編み上げた。(藤井克郎)
★ドキュメンタリーを断念してフィクションに
ほぼ全編にわたってモノクロの画面で進行する「ある職場」は、極めて個性の強い映画だ。
舞台は江の島を望む湘南の海辺。一流ホテルの保養所に、上司からセクハラ被害に遭ったフロント職員の早紀(平井早紀)の職場仲間たちが、2泊3日の旅程でやってきた。セクハラ被害に加えて実名がSNSで拡散され、誹謗中傷の嵐に遭うなど憔悴し切っている早紀を、みんなで元気づけようというのが目的だった。
だが夜の集まりで酔いが回ってくるに従ってそれぞれの本音が飛び出し、励ますどころか、逆に早紀を追い詰めるようになる。ついには彼女の実名をSNSでさらした人物がメンバーの中にいることを突き止めたと発言する者も現れ、仲間内の楽しいはずの旅行は険悪な雰囲気に包まれる。
舩橋監督によると、この作品はとあるホテルで実際に起きた事件を基にしていて、最初はカメラを持たず、録音もせずに、関係者に話を聞くところからスタートした。ところが、いざドキュメンタリーにすべくカメラを回そうと思ったところ、名前や顔を出さない条件でも「勘弁してください」という返事だったという。
「ただ、強く心に迫る痛みとつらさ、ストレスだった。その熱量がすごかったので、何とか生かせないかなと思って、完全にフィクションとして劇映画にすることにしました」と舩橋監督は振り返る。
★その場にいるかのように感じる驚きの撮影法
旅行の参加メンバー一人一人にモデルがいるのかという問いには、「個人が特定されてしまうので、何とも言えない」との答えだったが、いかにもその辺にいそうな人物が配置されている。例えば女性先輩の木下は早紀のことを気遣っているように振る舞うが、実は持論に酔っているようにも見える。そんな彼女がかみつく女性上司の牛原は「私だってセクハラに耐えて頑張ってきたのよ」と、男社会で生きる覚悟を滔々と説く。
男性陣はさらにいろいろで、堂々とセクハラを擁護する者、傍観者のくせに早紀をなじる者、ストーカー行為を働く者と、一人一人の個性がはっきりしていて、車座になって延々と激論を交わす場面は非常に見応えがある。しかも旅行は一度ならず二度目も計画され、さらに談論は過激さを増す。
出演者は、みな演技というよりも、その人物になり切って自分自身の言葉を発しているように見えるし、カメラはカメラで、まるでその場にいる一員のようにそれぞれの表情、動作をつぶさに捉える。劇映画であることを忘れてしまうようなリアルな作りだが、それは舩橋監督があえて狙ったところでもある。
「普通の映画の作り方だと、見ている人が誰かに感情移入したり、主人公がいたり、という形になると思う。そうではなく、誰にも感情移入できないし、誰もが自分が言っていることは正しいと思っていて、そう思っている人がぶつかり合っているのを、そのままドキュメンタリーのようにして撮ろうと考えました」と打ち明ける。
そのために舩橋監督が取った方法は、ちょっと驚くようなものだった。俳優には、それぞれのキーワードだけを与えて、せりふや話す順番は何も決めずに自由に語ってもらった。ある人はセクハラなんてどうだっていいと思っている、ある人は職場が大嫌いだからぶっ壊してやりたい、ある人は孤独な早紀ちゃんを守ってあげたい、そんな腹の中で考えていることだけはあらかじめ設定。その考えを信じ込むまで、俳優一人一人と徹底的に話し合い、後は、せえのどん、でいきなりカメラを回した。時にはワンカット2時間、ずっと撮り続けたこともある。
「僕がカメラも録音もやっているんですが、ときどきカメラがぶーんと振る。あれは僕も驚いているんです。誰がしゃべるか分からないから、えっ、こっちの人がしゃべるの? と驚きながらカメラを回しているんですね。映画を見ている人が、まるでこの場の渦中にいるように感じてほしいと思って、映画を作っていきました」
★受け身の人間像を監督も受け身で受け止める
この方法論に至ったのには、テーマ的なものと純映画的なものと2つの理由による。テーマ的な理由としては、日本の映画業界が監督絶対の縦社会で、しかも男性優位ということへの反発があった。
もともとこの映画を企画したのも、日本社会の男女格差に対する問題意識からだった。ニューヨークに10年間暮らしていた舩橋監督が2007年に帰国したときからずっと疑問に思っていたことで、例えばテレビのニュース番組を見ても、女子アナウンサーが軽いトピックを振った後、重鎮の男性がどんと構えて重要なコメントを口にする。それが帰国当初は極めて奇妙に映ったという。
「女性で有能な人の方がよっぽど多いんじゃないかと思うんだけど、女性はこまごまとしたことをやって、男性は重要なことをやるというのが社会的に決まっている。あらゆるところに性差別があって、これは何か映画を作らないといけないなとずっと思っていました」
さらに映画監督となると絶対権威で、スタッフは監督の意のままにすべての欲求を聞いてくれる。アメリカで「ビッグリバー」(2006年)を撮ったとき、女性の助監督にばりばりに仕切られたのと比べると、申し訳ないと思うのと同時に、強い違和感を覚えた。
「男性の監督として意見を発信していくことの限界を感じました。僕が牛耳って、こうですってやるのではない形はないものかと考えたとき、女性の俳優にもいっぱい入ってもらって、ジェンダーギャップについての意見を自由に交わす。そして僕は受け身で受け止める。という形がいいんじゃないかと思ったんです」
一方、純映画的な理由としては、舩橋監督がドキュメンタリーと劇映画を行き来して活動しているという側面が大きい。
「劇映画の俳優というのは前面にエネルギーを出して、私が演じます、という感じだが、ドキュメンタリーの対象者は受け身なんですよね。受け身だけど自分の人生を背負っていて、僕はそっちの方にひかれるんです。その人自体の実存をカメラに収めるにはどうしたらいいのかということを、ずっと考え続けていて、そういう映画的な探求心から、本当に自分が思っていることを言っているように発してもらうという方法を考えました」
★時代が感じる無意識の問題をすくい取る
もともと大学では映画批評が専門だった。たくさん映画を見まくったが、そのうちに作るのも面白そうだなと感じてニューヨークに留学。映画制作を学んで卒業した後、映像の現場で下積みから始め、やがて監督として一本立ちを果たす。
「映画の批評を書くことの延長が撮影につながると思ったのは、ヴィム・ヴェンダース監督がきっかけですね。彼も映画が好きでたくさん見まくって、学生時代からエッセーや批評を書いていた。アメリカにいたとき、英語版のエッセー集を読んで、レベルは雲泥の差ですけど、とても親近感を抱いたんです。そうやって映画を撮る方に傾いていきました」
アメリカにいるときから、アルツハイマー病に関するドキュメンタリーも撮れば、オダギリジョー主演の「ビッグリバー」も監督するなど、ジャンルの隔たりなく創作。帰国後も、福島第一原発事故で全町避難を余儀なくされた福島県双葉町の人々を追った「フタバから遠く離れて」(2012年)など、ドキュメンタリーにフィクションにと幅広く手掛けている。
「僕がずっと映画でやってきたのは、時代がうっすらと感じている無意識の問題をすくい取ること」と話す舩橋監督に言わせると、セクハラの根底には性差別があり、その意識は人種差別も、見てくれで人をばかにするルッキズムも、年齢でばかにするエイジズムも、あらゆる差別に通じるものだという。
「セクハラと言うと、飲み会で女性にお酌をさせちゃだめだよ、といったレベルになっていて絶望的になるが、その根底にある意識を子どもの頃から教えなきゃいけないと思う。日本ではそれがまだまだ整理されていなくてぐちゃぐちゃだということを、この映画ではやりたかった。異なる存在をばかにするということが、実は暴力と連続性があるということを伝えていかなきゃいけないんじゃないかと思っています」ときっぱりと口にした。
◆舩橋淳(ふなはし・あつし)
1974年生まれ。大阪府出身。東京大学卒業後、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツで映画制作を学び、「echoes」(2001年)を初監督。第2作の「ビッグリバー」(06年)はベルリン国際映画祭などで上映され、07年に帰国。「フタバから遠く離れて」(12年)、「小津安二郎・没後50年 隠された視線」(13年)、「道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY OF NMB48」(16年)などのドキュメンタリーに、「桜並木の満開の下に」(13年)、「ポルトの恋人たち 時の記憶」(18年)などの劇映画と、幅広く作品を手掛けている。
◆「ある視点」(2020年/日本/135分)
監督・撮影・録音・脚本・編集:舩橋淳
出演:平井早紀、伊藤恵、山中隆史、田口善央、満園雄太、辻井拓、藤村修アルーノル、木村成志、野村一瑛、万徳寺あんり、中澤梓佐、吉川みこと、羽田真
配給:株式会社タイムフライズ
2022年3月5日(土)、ポレポレ東中野で公開
© 2020 TIMEFLIES Inc.
「セクシャルハラスメントを個別の案件で対処するのは間違っている」と話す舩橋淳監督=2022年2月16日、東京都新宿区(藤井克郎撮影)
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