第338夜「ヴィヴァルディと私」ダミアーノ・ミキエレット監督
思い返すと、初めて自分の意志で買ったレコードは、確かヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲「四季」だった。中学の音楽の授業で田中先生がレコード鑑賞タイムに聴かせてくれて、何だかえらく感動してすぐさま街なかのレコード店に走り、有名なイ・ムジチ合奏団の演奏による1枚を買い求めた覚えがある。中でも何かのテレビコマーシャルに使われていた第4番の「冬」がお気に入りで、針がすり切れるくらい何度も繰り返し聴いていたような気がする。
もうすっかり忘却のかなたに押しやられていたが、その「四季」の作曲者名を邦題に冠した映画が来るという。しかもイタリア語の原題は「PRIMAVERA」、つまり「春」だ。「四季」のメロディーが全編にわたって流れる音楽映画なのかしらん、と勝手な想像に胸を膨らませて「ヴィヴァルディと私」の試写に赴いたところ、あに図らんや、予想とはまるで違っていた。とは言え、決してがっかりするような裏切られ方ではなく、現代にも通じる女性の生き方をテーマにした深みのある作品に仕上がっていて、ちょっとうれしい誤算だった。
舞台は18世紀のベネチア。孤児を引き取って育てているピエタ院で成長したチェチリア(テクラ・インソリア)は、新たに赴任してきた若きヴァイオリン教師のアントニオ・ヴィヴァルディ(ミケーレ・リオンディーノ)に音楽の才能を見いだされる。第一ヴァイオリンのリーダーとしてサロンでの人気を得るが、院から出るには母親が迎えに来るか、貴族に見初められて結婚するしか方法がなかった。やがてピエタ院がチェチリアの結婚相手にと決めた将校がトルコとの戦争から戻ってくるが……。
男尊女卑が当たり前の時代、孤児院で育った少女となるとなおのことひどい待遇で、人前で演奏するときはみんな仮面をかぶらされ、個人の尊厳など一顧だにされない。そんな中でもチェチリアは何とか音楽で自立の道を切り開こうとするものの、そうは問屋が卸さないというのが大筋だ。
どこまでが史実なのかはわからないが、この手の女性の自立物語には、強固な壁が行く手をさえぎってはいるものの、どこかに救いの神が存在し、その引き立てによって努力が報われるというパターンが多い。この作品で言えばその役目はヴィヴァルディのはずなのだが、そこもまたいい意味で裏切られる。
ヴィヴァルディはとにかく純粋にチェチリアのヴァイオリンの腕を買っていて、彼女の苦境に手を差し伸べたり、ましてや恋愛関係に発展していったりとはならない。チェチリアはあくまでも自分の力で、もっと言えば逆に男どもを利用して何とか這い上がっていこうとしていて、誰かに頼って生きようなどとはこれっぽっちも思っていない。18世紀が舞台になってはいるものの、まさに21世紀の今を生きる女性の物語が紡がれている。
もちろん衣装や風俗、ベネチアの街の風景などは時代がかった雰囲気で、ヴィヴァルディが生きたころの水の都が見事に再現されている。ベネチアには20年前に一度、国際映画祭の取材で行ったことがあるが、そのときの記憶と300年前の情景がスクリーン上でシンクロして、何とも贅沢な気分を味わわせてもらった。
劇中音楽も、この当時はまだ誕生していなかった「四季」は流れないものの、ヴィヴァルディがピエタ院のために作曲したオラトリオ「蛮族の王ホロフェルネスを討伐した勝利のユディータ」の一部などが登場する。これが長編劇映画の第1作となるベネチア出身のダミアーノ・ミキエレット監督は世界的に活躍するオペラ演出家で、今年2026年のミラノ・コルティナ冬季五輪では開会式、閉会式のクリエイティブ・ディレクターを務めたそうだ。閉会式はテレビの再放送で見ているが、実はあんまり印象に残っていない。「ヴィヴァルディと私」を体験した後だったら、また違った感想を抱いたかもしれないね。(藤井克郎)
2026年5月22日(金)からシネスイッチ銀座、ユーロスペース、アップリンク吉祥寺など全国で順次公開。
©2025 INDIGO FILM, WARNER BROS. ENTERTAINMENT ITALIA, MOANA FILMS

ダミアーノ・ミキエレット監督のイタリア、フランス合作「ヴィヴァルディと私」から。チェチリア(右、テクラ・インソリア)はヴァイオリン教師のヴィヴァルディ(ミケーレ・リオンディーノ)に音楽の素質を見いだされる ©2025 INDIGO FILM, WARNER BROS. ENTERTAINMENT ITALIA, MOANA FILMS

ダミアーノ・ミキエレット監督のイタリア、フランス合作「ヴィヴァルディと私」から。チェチリア(テクラ・インソリア)は何とか音楽の力で自立を図ろうとするが…… ©2025 INDIGO FILM, WARNER BROS. ENTERTAINMENT ITALIA, MOANA FILMS

