【百年映画館】上田映劇(長野県上田市)

☆薄くなっていたピンクの壁

 10年ぶりに対面した映画館は、何だか随分と地味になっていた。

「もっとピンク色が濃かったんじゃないですか。映画の撮影で設置された看板もその後、撤去されていますからね」と上田映劇の外壁を見上げながら、支配人を務める長岡俊平さんが説き明かす。2015(平成27)年の夏にここを訪れたときは、「晴天の霹靂」(2014年、劇団ひとり監督)という映画の撮影で使われてからそれほど時間がたっておらず、東京・浅草の演芸場を模した美術装飾もそっくりそのまま残されていた。

 上田映劇はそのころ、休館中だった。1917(大正6)年に開館し、その建物のまま営業を続けてきたこの老舗映画館は2011(平成23)年、惜しまれつつ定期上映を終了する。それまでも経営は厳しかったが、同じ上田市内にシネコンのTOHOシネマズ上田ができたのが決定打となった。大手の配給会社が軒並み作品を供給しなくなり、デジタル映写の設備もなく老朽化の進む上田映劇は絶体絶命の窮地に追い込まれた。

 だが祖父の代から運営を担ってきた当時の館主、駒崎勉さんは、休館中も映画館を処分することはなかった。10年前に取材したとき、駒崎さんはこんな言葉で劇場を維持することの重要性を説いていた。

「まず建物が貴重なことですね。天井は関東大震災で被災した東京の帝国劇場と同じ造りの格(ごう)天井が残っていて、開館に当たって帝国劇場から送られた書状が事務室に飾ってあるんです。こういう古い建物は造ろうと思っても造ることはできません。それに町の中心部から人が減っている今、上田映劇は唯一、集客のできる施設です。ここを残して人を集めることで、市街地の活性化につながると思うんです」

☆帝国劇場からの書状

 現支配人の長岡さんの案内で、事務室の中を見せてもらった。木札を吊るす出勤表などとともに、額装の書状が恭しく飾られている。

「大正六年三月 帝国劇場株式会社専務取締役山本久三郎」の署名を伴った本文は、旧字体の上に達筆すぎて正しいかどうか心許ないのだが、「上田は信陽主要の都市にして信陽は我邦主要の蚕業地たり、而して蚕業の所産たる生糸は我邦主要貿易品の最を為す、国富の大部分籍りて此上に存すと称するも亦過言にあらす、然らは上田の殷賑なるを見て、之に国力の旺盛なるを察すへく、此地に演劇の振興するは即ち一国の為めに慶賀せさるへからさる所たりとす。国運の進展其止まる所を知らさると共に、此劇場の隆盛亦必す其極まる所なかるへし。謹んて祝す」と読める。「信陽」とは信濃国の異称で、つまり長野県のことを指す。

 創業当時の詳しい資料は残っていないとのことだが、もともとは上田劇場の名称で演劇の専門館としてオープンした。それ以前からこの場所には末広座という芝居小屋があり、上田の文化発信拠点だったようだ。書状にもあるように、上田は養蚕業で栄えた町で、この建物は市民の寄付で建てられたと伝わっている。

 その後、昭和に入ってから映画の上映も行うようになり、やがて映画専門館として上田映画劇場に改称。戦中戦後の激動の時代を生き抜き、映画が斜陽産業となって以降も映画館の灯をともし続けていたが、ついに2011(平成23)年、上田ゆかりの戦国武将、真田信繁が大坂の陣で散ったように刀折れ矢尽きた。

 だが誕生して百年になんなんとするこの文化の殿堂を、上田市民は放ってはおかなかった。「青天の霹靂」のロケで2カ月近く、主演の大泉洋をはじめスタッフ、キャストが上田に滞在していたことも起爆剤になり、映画館再開の機運が高まる。ちなみに大泉はその後、2016(平成28)年放送のNHK大河ドラマ「真田丸」で信繁の兄、真田信之を演じ、再び上田で長い期間を過ごす。大泉が愛した五目あんかけ焼きそばが今や上田の名物料理になるなど、上田市民にとってはご当地出身スター並みの人気者らしい。

 2015(平成27)年には、上田映劇の復活に向けてさらなる契機となるビッグイベントが催される。上田で生まれ育った鶴岡慧子監督の「過ぐる日のやまねこ」(2014年)が、定期上映終了後では初めて、特別にロードショー公開されたのだ。前回、私が上田映劇を訪ねたのも、その記者発表を取材するためだった。

☆小津安二郎、黒澤明もロケ地に

 このとき、鶴岡監督や館主の駒崎さんらとともに話を聞いた一人に、信州上田フィルムコミッションの原悟さんがいる。上田は小津安二郎監督の初トーキー映画「一人息子」(1936年)や黒澤明監督のデビュー作「姿三四郎」(1943年)など、古くから映画のロケ地として知られていて、その誘致や撮影の便宜を図る活動を行うフィルムコミッションも2001(平成13)年、全国で10番目という早い時期に設立した。2003(平成15)年からそのメンバーとなった原さんは、映画祭などを通じて駒崎さんともつながりを持っていた。

 現在は上田映劇で編成を担当する原さんによると、復活プロジェクトの一つとして「過ぐる日のやまねこ」を公開したものの、残念ながら営業再開にまでは漕ぎ着けなかった。市民の盛り上がりがあるとは言え、駒崎さんという一個人の経営努力だけではどうしても限界がある。できれば行政の上田市に何かバックアップしてもらえないものか、と考えた。

 駒崎さんと連れ立って市役所を訪ねた原さんに、当時の母袋創一市長は言った。「面白い話だが、市税を投入してとなると今のままでは市民の理解は得られない。応援しやすい形にしてくれないだろうか」

 ヒントをもらった原さんらが考え付いたのが、NPO法人(特定非営利活動法人)にすることだった。かつて学校の教員をしていた駒崎さんの教え子で、映画「サムライフ」(2015年、森谷雄監督)のモデルにもなったNPO法人侍学園スクオーラ・今人の理事長、長岡秀貴さんに相談を持ちかけ、上田映劇再起動プロジェクトがスタートする。長岡さんの尽力もあり、2017(平成29)年4月15日、ついに定期上映が再開した。

「この再開もたまたまだったんです」と打ち明ける原さんによると、当初は上映を継続する予定ではなく、単発の企画だった。上田出身の女優、月影瞳が出演する「ゾウを撫でる」(2013年、佐々部清監督)を上映しようと準備を進める中で、佐々部監督と月影をゲストに招くことになり、これが評判を呼ぶ。さらに全国で話題となっていたドキュメンタリー映画「人生フルーツ」(2016年、伏原健之監督)もかけることになり、気付いたら映画の上映が続いていた、と原さんは言う。

「今から振り返ると、そういう形だったのがかえってよかったのかな、という気がします。佐々部監督からは、人口15万人の町で映画館を維持するのは難しいよ、と言われましたが、2年目は1年目の総数を半期で超えるくらいに定着しましたからね」

 新たに設立されたNPO法人上田映劇の初代理事長には「サムライフ」の長岡さんが就任したが、その甥に当たるのが現在、支配人を務める長岡俊平さんだ。当時、東京の大学院生だった俊平さんは就職を控えていたが、叔父からの「映劇をやるから帰ってこないか」との電話に一も二もなくはせ参じた。最初の1、2年は、決して多くはない給料だったが、映画館で働くのが夢だった俊平さんにとっては、ここにいるだけで幸せだなと感じていた。「映劇は僕にとっては宝物です」と言い切る俊平さんは、できれば上田の人たちの宝物でもあってほしいと願っている。

 現在の運営は、専属スタッフは支配人の俊平さんと編成の原さんの2人で、後はボランティアで賄っている。NPO法人の理事長は、2025(令和7)年3月に長岡秀貴さんが退任し、もぎりのやぎちゃんとして親しまれていた窓口業務のボランティアスタッフ、やぎかなこさんが就任。理事長になってからも明るく元気に、以前通りのもぎりを務めている。

 俊平さんに2階のバックヤードを案内してもらう。映写室にはフジセントラルの35ミリフィルム映写機が1台、どんと据え置かれていて、DCP(デジタルシネマパッケージ)と呼ばれるデジタル映写設備は備えられていない。最近の作品はデジタルだけの供給が多く、やむなくブルーレイで対応しているという。「フィルムで映写するのは3カ月に1作品くらいですかね」と俊平さんは説明する。

 薄暗い奥の方へと歩を進めると、こぢんまりとした畳の部屋に行き着いた。聞けばこの部屋でも「青天の霹靂」の撮影が行われ、千社札などが貼られているのはその名残だそうだ。かつては従業員が寝泊まりしていた部屋で、奥には給仕室があり、2階席の観客にお茶を提供していたこともあった。今はアロマセラピーなど、さまざまなワークショップをここで開くなどしていて、映画にそれほど興味のない人にも、上田映劇に足を運んでもらうという取り組みを行っている。

☆各店秘伝の美味(おい)だれ焼き鳥

 定期上映再開8周年の特別上映を鑑賞するため、明日また戻ってくると告げて、いったん上田映劇を離れる。季節は4月中旬。上田はちょうど桜が満開で、市民の憩いの場所である上田城跡公園は大勢の花見客でごった返していた。

 上田城は1583(天正11)年に真田昌幸が築いた平城で、昌幸と次男の信繁が西軍、長男の信之が東軍と分かれて戦った関ケ原の合戦後、徳川軍によって破却される。藩主の信之が同じ信濃の松代に領地替えとなった後は、小諸から移ってきた仙石忠政によって修築されたものの、現在は本丸に櫓3基と櫓門1基を残すだけとなっている。この本丸をぐるりと囲むお堀端に、今を盛りとソメイヨシノが咲き誇り、テント張りの屋台が軒を連ねる。

 仙石氏が3代続いた後は、但馬国(現在の兵庫県)出石藩の松平忠周と所領交代となり、明治維新まで譜代大名の松平氏の居城だったが、街を歩いていると目に付くのは全て真田氏にゆかりのものばかりだ。看板や幟などあらゆるものに真田の家紋、六文銭が刻印されているし、街角のそこかしこに漫画から飛び出てきたような真田十勇士のカラフルな像が見受けられる。真田幸村こと信繁を支えた真田十勇士だけに、まるで地域のサポーターのように上田の町を力強く見守っている。

 真田十勇士は、明治末期から大正にかけて出版された立川文庫で、子どもから大人まで広く愛されるようになったヒーローたちで、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、穴山小助、由利鎌之助、根津甚八、筧十蔵、海野六郎、望月六郎の10人のことだ。私などは、NHKで放送されていた辻村ジュサブローの連続人形劇「真田十勇士」(1975~1977年)が記憶に残っているが、前作に当たる「新八犬伝」が面白過ぎたこともあって、あんまりよくは覚えていない。

 このモニュメントに添えられた説明文を読むと、例えば上田駅前にいる穴山小助は「それがしは、人が言うには、頭が良く、槍の達人だそうだ。幸村の知恵袋であり、幸村と容姿が似ていたため、影武者として身代わりにもなった」と何ともかわいらしい。また海野六郎は「それがしは、滋野一族のうちの海野氏一門の出である。比較的目立たないが十勇士のまとめ役であった。知略をもって徳川方を悩ました」とある。海野像は、その名を頂いた繁華街の海野町にあるかと思えばそうでもない。十勇士モニュメントを探して街を散策するのも楽しそうだ。

 花見客でにぎわう上田城跡公園の屋台からは、食欲をそそる音と匂いが漂ってくる。焼き鳥でもつまもうかと思ったが、いや、待て待て。もうちょっと日が落ちてから、どっしりと腰を落ち着けてうまい地酒とともに味わおうではないか。何しろ聞くところによると、上田には美味だれ焼き鳥という地元のソウルフードがあるらしい。

「美味だれ」と書いて「おいだれ」と呼ぶ上田の焼き鳥は、各店秘伝のニンニク醤油だれにつけて食べるスタイルで、昭和30年代から定着してきたという。ホテルで老舗の名店を教えてもらったが、まだ宵の口の6時半というのにすでに満席で入れず。何しろ大勢の花見客が繰り出している週末だ。残念ながらいつになったら空くかは分からない。

 もう一軒、別のお勧め店をのぞくと、さっきよりは広めの店内で、カウンター席に余裕がある。案内されるままに腰を下ろすと、店主らしきおやじから「たれは一度漬けね」と念を押される。おっ、まるで大阪の串カツだな、と期待に胸が膨らむ。

 早速、焼き鳥の盛り合わせと地酒の福無量を常温で頼む。福無量は上田で300年続く酒蔵の銘柄で、ちょっと甘めの飲み口が喉に優しい。「塩と胡椒が振ってあるから」と出された焼き鳥は、ねぎまもはらみもレバーもつくねも、一つ一つが大振りだ。「たれは好き好きだからね」と言われたが、せっかくの美味だれをつけずにはおくまい。たれが入った深めの容器に串ごとドバッと突っ込んで、一片をがぶりと頬張る。なるほど、ニンニクのうまみが口中に広がりつつ、肉が分厚いからそれほどしつこくない。「このたれだと、お酒がどんどん進みますね」と口元も緩む。

 その後は奏龍(なきりゅう)、喜久盛(きくざかり)とやはり上田の地酒を常温で続け、都合3合もたしなんでしまった。夜ともなるとまだまだ肌寒い信州の春だが、いいころ合いに酔いしれて、さあ、明日は上田映劇で映画鑑賞だ。

☆映画館に登校する子どもたち

 定期上映再開8周年の特別上映には、2本の新作が用意されていた。1本目は66分のドキュメンタリー「うえだのまなざし」(2025年、三好大輔監督)で、続いて「過ぐる日のやまねこ」の鶴岡慧子監督による立教学院創立150周年記念映画、56分の「道のただなか」(2024年)が上映される。片や上田が舞台、こなた上田出身の監督作と、まさに上田映劇の記念スクリーニングにふさわしい2作品だ。

「切符売り場」と書かれたガラス張りのカウンターでチケットを購入して、重厚なドアから劇場内部に入る。10年前に訪れたときとそれほど印象は変わっていないが、毎日営業していることもあってか、古びた感じはしない。

 座席は、さすがにシネコンのふっくらとしたシートとは違うものの、決して座り心地は悪くない。ちょっと前の席との間隔が、今の基準からいうと狭いかな、というくらいだ。ふっと見ると、前の席の背もたれに、座席番号とは別に人名が書かれた金属プレートが取り付けてある。1席1席、異なる名前が刻まれていて、年会費1万円の特別会員の人たちの特権らしい。自分のネームプレートが付いている座席でお気に入りの映画を見るなんて、何てすてきなことだろう。

 座席数は1階が189、2階が81で、この日は1階だけが開放されていた。2階を見上げると、その上には旧帝国劇場と同じ造りの天井が神々しく広がっている。百年の重みを感じると同時に、確か10年前に来たとき、当時の館主の駒崎さんが、雨漏りがひどくて屋根を修繕したいけど、資金が足りないとこぼしていたことを思い出した。長岡支配人によると、雨水が劇場内に入り込むことはないものの、今も雨漏りはあるし、ほかにも傷んでいる部分は多いという。映画館の運営は入場料収入で充当しているが、「大規模な修繕にはかけられないので、その辺はもっと考えてやっていかないと」と苦悩の色をにじませる。

 この日は特別上映とは言え、残念ながら満席というほどではなかった。再開後の8年間でチケットが完売した大入り満員は1回だけあって、それは2019(令和元)年に大泉洋主演の「そらのレストラン」(2018年、深川栄洋監督)を上映したときのことだった。大泉の舞台挨拶を1日に3回行い、3回とも全270席がびっしりと埋め尽くされたそうだ。上田での大泉人気、まさに恐るべし。

 そこまでとはいかずとも、特別上映は2作品とも終了後に監督らのトークイベントがあり、大いに盛り上がった。

「うえだのまなざし」は、全国で地域映画作りの活動をしている三好大輔監督らスタッフが上田市民に広く呼びかけて、家族や町の風景などを撮りためた8ミリフィルムを募集。集まった23時間以上の昭和の記録映像を基に、子どもたちと効果音や音楽を付けるワークショップを実施するなどして編集し、市内で上映会を開くまでを優しい肌合いで紡いだ。まさに上田市民による上田市民の映画だ。

 上映前に「自由におしゃべりしながら見てください」とのアナウンスがあり、映し出されている町並みを懐かしそうに語り合いながら鑑賞している観客もいた。なかなか得がたい映画館体験だったが、実はこの作品には上田映劇も重要な役割を担っている。制作に携わった「うえだ子どもシネマクラブ」は、学校に行きづらい子どもたち、行くのをやめてしまった子どもたちのためのもう一つの居場所として映画館を活用しようと2020(令和2)年にスタートした取り組みで、全国初の画期的な企画として注目されている。その居場所となる映画館が上田映劇なのだ。

 具体的には月に2回、上映会を開き、子どもたちに多種多様な映画を届ける。さらに映画に関するさまざまな学びの機会を提供するほか、特筆すべきは、上田映劇にいることで、学校に行かなくても登校したのと同じ扱いになるという点だ。別に映画を見なくてもいいし、宿題など学校の教科を勉強しなくても構わない。映画館の仕事を手伝いながら、スタッフと話をしたりお茶を飲んだりして、1日を過ごす。

 現在は毎週水曜と金曜の午前10時から午後4時までが受け入れ可能時間となっている。「昼寝だけして帰るとか、お菓子を食べて帰るといった子もいます。映画館ってもともと地域の拠点というか、日常的に人が行き来している場所で、そこに一機能を足したという位置付けです」と話す子どもシネマクラブの発起人、直井恵さんによると、最近は日に多くて10人、大体3~4人の子がやってくるという。今は主に上田映劇の本館よりも、上田映劇が別館として運営している近くの「トラゥム・ライゼ」が子どもたちの居場所になっている。ドイツ語で「夢の旅」を意味するこの映画館は、休館中だった上田電気館というやはり老舗の劇場を、2020(令和2)年にNPO法人上田映劇が借り受けて再開させた。途中で建て替えられてはいるが、もともとはこの上田電気館も1921(大正10)年創業の百年映画館だ。

 養蚕業で栄えた上田は昔から芸術や教育への意識が高く、農家の人たちが農閑期に木彫り人形などを手がける農民美術が花開いた。その推進役が日本を代表する版画家として知られる山本鼎で、大正年間には現在は上田市に属する神川村を拠点に、子どもたちがお手本にとらわれず、自分の目で見て感じ取ったものを自由に描くという自由画教育を推進。ここから自由な教育を施す自由大学の運動が起き、やがて全国へと波及していった。ちょうど上田映劇が誕生したころのことだ。

 映画館を教育に活用するという発想は、そんな土壌も影響しているんじゃないか、と話す直井さんは、以前は国際協力のNGO(非政府組織)で働き、世界をつぶさに見てきた。「でも映画は、現地に行かなくても同じような体験ができる。そういう出会いが映画にはあると思うんです。映画館は十分、学校の代わりになります」と明言する。

☆日本中を旅する「映劇はんこ」

 8周年特別上映のもう1本「道のただなか」は、映画自体は上田と関連があるわけではないが、作品を手がけた鶴岡監督は子どものころから上田映劇で何度も映画を見てきた。立教大学現代心理学部映像身体学科で映画作りを学んだ鶴岡監督は、卒業制作として上田で撮影した「くじらのまち」(2012年)が自主映画の祭典、ぴあフィルムフェスティバルで最高賞のグランプリを獲得。卒業後は東京藝術大学大学院に進んで同じ立教大学出身の黒沢清監督に師事し、やはり地元が舞台の「過ぐる日のやまねこ」で劇場映画デビューを果たす。その後も「まく子」(2019年)、「バカ塗りの娘」(2023年)と、着実に評判作を世に送り出してきた。

 今回は母校の立教学院創立150周年を記念して、創設者のチャニング・ムーア・ウィリアムズをモチーフにした作品を依頼されたが、現代の大学生を中心に歴史を絡めた幻想的な語り口は鶴岡監督らしい虚実皮膜の世界観に彩られている。上映後には立教大

学の西原廉太総長と出演者の中川友香の3人でトークイベントも開かれ、鶴岡監督は「上田映劇も立教大学くらい長く残ってほしい。ぜひ150周年を目指していただけたら」と笑顔を見せていた。

 10年前にもここで鶴岡監督に取材をしているが、上田映劇での最も古い記憶は、小学校低学年のときに見た「耳をすませば」(1995年、近藤喜文監督)と「学校の怪談」(1995年、平山秀幸監督)の2本立てだと話していた。当時は休館中だった上田映劇で自分の作品が特別公開されることについて「こんなにうれしいことがあっていいんだろうかというくらいうれしい」と興奮気味だった鶴岡監督は「映画館と映画が一緒に記憶されることに意義を感じているので、上田映劇で『過ぐる日のやまねこ』を見た思い出がいろんな人の心に残ってくれたらいいですね」と言っていたものだ。

 今回、改めて話を伺うと、「何とか再開から8年、営業を続けてきたのは、地元で支えてくれているスタッフのご苦労の賜物で、本当に素晴らしいことだと思います」と指摘した上で、「全国でどんどん映画館が消えている中、こういう空間が街にあるのは決して当たり前のことではない。建物は結構がたが来ていますが、地元の人にももっと気軽に来ていただけるとうれしいですね」と、相変わらずの熱い映画館愛を口にした。

 もう一つ「映劇はんこ」についても触れておきたい。上田映劇のロビー正面、チケットカウンターの上には、表紙に「上田映劇」と書かれた紫、緑、青3種類の小さなノートが置かれていて、1冊500円で販売している。開くとパスポートタイプになっていて、鑑賞の記録に入場券を貼ったりメモを書き込んだりできるのだが、ユニークなのは作品ごとに映画のワンシーンが描かれた手作りの消しゴム印を押してくれることだ。全国のさまざまなミニシアターを回ってきたが、こんなサービスはほかでは見たことがない。

 聞けば定期上映を再開して8カ月後の2017(平成29)年12月からスタートし、はんこの数はすでに1600作品に達するという。全国の希望する映画館には、この映劇はんこの貸し出しも行っていて、「旅する映劇はんこプロジェクト」と称している。ミニシアター系の作品は、東京や大阪など大都市を皮切りに全国順々に公開されるケースが多く、その作品とともにはんこが旅をするなんて、何だかとっても夢のあることではないか。しかもこの1600にも及ぶはんこは、1人の人が作り続けているというのだ。

 本職は古本屋というそのコトバヤなるお店を訪ねた。旧北国街道の昔ながらの町並みが残る柳町通りにたたずむコトバヤは、古民家を利用したこれまた味わい深い木造の建築物で、所狭しと組み上げられた木の本棚に、絵本をはじめ多種多彩な本が並べられている。そんな一角に手作り感にあふれた消しゴムはんこのコーナーもあった。

 はんこを創作している髙橋さとみさんは、この店を始めて10年くらいになる。映劇はんこのきっかけは、上田映劇の原さんと街で会ったときに、映画のスタンプラリーみたいなことができないかと持ちかけられたことだった。年間パスポートに押せるような記念のはんこができたら、と言われ、思い付きで作ってみたら気に入ってもらえた。じゃあやりましょう、と今に続いている。はんこを1つ彫るのに、映画を1本見るのと同じくらいの時間がかかるが、「集めてくださっている方もたくさんいらっしゃるとお聞きしていて、本当にありがたいですね」とほおを緩める。

☆柳並木の枝を切り落とした巨匠

 コトバヤがある柳町は、実は映画のロケ地としても知られている。市川崑監督の「犬神家の一族」では1976(昭和51)年版でも2006(平成18)年版でも使われたほか、「君を忘れない」(1995年、渡邊孝好監督)、「学校の怪談4」(1999年、平山秀幸監督)など枚挙にいとまがない。柳町は柳の並木が風情ある町並みを形作っているが、ある巨匠が映画のロケ中、「あの枝、邪魔だな」と言って枝を1本切り落としたという逸話も残っている。

 百年を超える威容を誇る上田映劇も、「青天の霹靂」だけでなくさまざまな映画の撮影に使われてきた。2018(平成30)年の配信ドラマ「Jimmy~アホみたいなホンマの話~」(光野道夫監督)、2021(令和3)年の配信映画「浅草キッド」(劇団ひとり監督)などのほか、最近では2025(令和7)年公開の劇場映画「BAUS 映画から船出した映画館」(2024年、甫木元空監督)でもここで撮影されている。「映画以外にミュージックビデオでも撮影に使ってもらうことが多くて、すごくうれしいです」と支配人の長岡さんは相好を崩す。

 ロケ地と言えば、上田駅から上田電鉄別所線でおよそ30分、日本武尊によって発見されたと伝えられる信州最古級の温泉地、別所温泉も忘れてはいけない。ここの温泉街は、戦前の「恋の花咲く 伊豆の踊子」(1933年、五所平之助監督)に「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」(1976年、山田洋次監督)、「淀川長治物語神戸篇 サイナラ」(2000年、大林宣彦監督)などなど幾多の名作の舞台になってきた。長野の善光寺に参詣したら併せてお参りすべし、とされる北向観音もあり、これは何としても訪ねねばなるまいと、2日目の宿を上田映劇に紹介してもらう。

「いつも何かと力になってくれている」と長岡支配人が勧めてくれたのは、アースワークスというゲストハウスだった。ゲストハウスとはバックパッカーらが利用する簡易宿泊所のことで、若者や外国人旅行者向けというイメージがある。温泉地に行って温泉旅館に泊まらないというのもまた一興。どんな出会いがあるやも知れず、胸を躍らせながら2両編成ののどかなローカル電車で別所温泉へと向かった。

 終点の別所温泉駅から緩やかな坂道を上ることおよそ10分。アースワークスゲストハウスは、陶器などを展示、販売しているアースワークスギャラリーの裏手にあった。もっと山奥にある工房でアメリカ人の夫と焼き物などを創作しているルミW・バウマンさんが運営しているゲストハウスで、ギャラリーで扱っているのは夫妻の作品が中心だ。ルミさんによると、もともとギャラリーの建物だけを借りていたが、地主から同じ敷地内にあるぼろぼろの空き家も一緒に買ってほしいと言われ、築百年以上の古民家を自らの手で改修。2016(平成28)年に瀟洒なゲストハウスとしてオープンした。

 舞台挨拶などで上田映劇に来る映画人もよく泊まるそうだが、「上田は温泉街もあっていいところですね」と皆、そのよさに気付いてくれるのがうれしいと言う。「上田映劇は、希望を言ったらその作品を上映してくれるし、ずっと見守っていたい存在ですね。客が私1人だったときもあって、申し訳ないなと思うこともあるけど、でも本当にいい映画をやってくれるんですよ。なくしてはいけないところだと思います」とルミさんは力を込める。

☆「現世利益」をお願いして

 ゲストハウスは自分で料理を作ることも可能だが、ルミさんにおいしい地のものが味わえるお勧めの飲食店を教えてもらう。家族連れや男性客でにぎわっている狭い店のカウンターに、1人腰を下ろす。壁に貼られているメニューに「信州上田満喫セット」の文字を見つけた。聞けば、七久里(ななくり)煮、いなご煮、馬肉煮、そして美味(おい)だれせせりをちょこちょこと出してくれるという。「美味だれ」は昨晩の焼き鳥で学習済みだ。いなごと馬肉はいかにも信州という気がする。でも、七久里煮って何だ。

 七久里とは、別所温泉を古くは「七久里の湯」と呼んでいたことによる。何でも、さまざまな山のものを煮しめた料理で、今は1軒だけで作っているが、後継者がいないからうちの店にあるもので最後になるんじゃないか、と言われる。えっ、そんな貴重なものをいただいてもいいの、と恐る恐る箸を付けたが、フキとカンピョウはどうにか分かったものの、ほかの材料はさて何なんだろう。後日、インターネットで調べてみたら、イモガラ、貝べり、干しシイタケ、桜エビとあった。ふむふむ。色はどれも濃いめの茶色で、甘辛い味付けにピリ辛のテイストも加わって、やっぱり酒が進む。

 この日は月吉野を常温でいただく。別所温泉の麓、塩田平にある酒蔵の酒で、まろやかで飲みやすい。決して上等な酒ではないかもしれないが、信州の野趣あふれる肴には、こういう飾り気のない酒がお似合いだ。

 最後に、今日採れたばかりの初物だと、フキノトウ、タラノメ、山ウド、コゴミの天ぷらを出してくれた。「初物七十五日」と言って、初物を食べると寿命が75日延びると言われている。75日なんてケチなことは言わず、750日くらいは延びないものかな。

 翌日は、北向観音をはじめ、常楽寺、安楽寺と別所温泉の名所を散策する。桜が満開だった上田の市街地と比べてまだようやく咲き始めたころで、標高570メートルと少々山深いこの温泉地にもいよいよ春が来た。

 北向観音は平安初期の825(天長2)年の開創で、本堂が北に向いていることでこう呼ばれる。100円で売られていたパンフレットによると、北向きの本堂はほとんど例がないそうで、観世音菩薩が出現した際、「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」というお告げによるものだそうだ。南に面した善光寺で「未来往生」、北向観音で「現世利益」を祈願しなければ片詣りになるらしいので、うん、次は長野で善光寺にお参りしよう。

 ところで温泉はどうなった。昨晩、木曽義仲や北条義政もこの湯で癒やしたという大湯なる共同浴場に入りに行ったが、雨もしょぼつく肌寒さで、入浴客も多かったことから、そそくさと出てしまった。これから訪ねる予定の全国の百年映画館には、近くに温泉街があるところも多い。次はもうちょっと温泉風情も楽しんでみようかな。

《上田映劇》1917(大正6)年、上田劇場として創業。現在はNPO法人上田映劇が運営。長野県上田市中央2‐12‐30

※2026年3月刊行「百年映画館」(草思社)から抜粋