強くてぶれない監督でなくても映画は作れる 第7回大島渚賞受賞の早川千絵監督

「子どものころ、映画を作りたいと思ったのですが、イメージしていた映画監督は何でも分かっていて、スタッフがこの監督のためにやりたいという人間的な魅力もある特別な存在でした。強くてぶれないというイメージがあって、それと自己イメージがかけ離れていた。映画を撮ろうと思うまですごく時間がかかったのは、そこが乖離していたからじゃないかと思っています」

 今年2026年で第7回となる大島渚賞が「ルノワール」の早川千絵監督に決定し、3月22日(日)には授賞を記念したトーク付き上映会が、さらに翌23日(月)には授賞式が東京都千代田区の丸ビルホールで開催された。記念上映会のトークに審査員長の黒沢清監督、「ルノワール」出演者の河合優実とともに臨んだ早川監督は、黒沢監督から映画を撮りたいという思いと映画監督になりたいという意識の違いについて尋ねられ、なかなか一歩が踏み出せなかったと発言。「でもいろんな監督がいることがだんだんと分かって、子どものころに思い描いていた監督じゃなくても映画は作れるということに気が付きました」と笑いを誘っていた。

 大島渚賞は「映画の未来を拓き、世界へ羽ばたこうとする、若くて新しい才能に対して贈られる賞」で、自主映画の祭典、ぴあフィルムフェスティバルを運営する一般社団法人PFFが主催。さまざまな映画人からの推薦で選ばれた5人の候補監督から、今年は審査員長の黒沢監督とPFFディレクターの荒木啓子氏の最終審査によって決定した。これまでに「セノーテ」の小田香監督、「海辺の彼女たち」の藤元明緒監督、「やまぶき」の山﨑樹一郎監督、「遠いところ」の工藤将亮監督、「ナミビアの砂漠」の山中瑶子監督が受賞しており、早川監督は6人目の授賞者(第2回は該当者なし)となる。

「ルノワール」は、当方にとっても昨年、最も感銘を受けた作品の一つで、大島渚賞の受賞はまさに、わが意を得たり、といったところだ。黒沢監督も映画館で見て本当に驚いたそうで、「主人公の少女、フキが経験するひと夏は、人間が一生で味わうであろうくらいの多くの悪意と残酷と嫌悪、それから死が連続的に立ち現れてくる。しかもそのいくつかは彼女自身が積極的に引き起こすという恐ろしくも魅力的なひと夏の経験になっていて、感動したし、衝撃を受けました」と絶賛。「時代が1980年代ということで、どこかで早川監督の経験とシンクロするところがあったのかなと思うが、どうしてひと夏にこれだけ詰め込もうとしたのか、その発想のいきさつを知りたい」と早川監督に問いかけた。

 これに対して早川監督は「どういう映画を作りたいかというのを言葉で説明できない映画を撮りたいな、というところから脚本を書き始めた」と説明。なぜ子ども時代に映画を撮りたいと思ったかというと、そのときに感じていた胸の痛みや寂しさといった欠落していたものを埋め合わせるものに映画があったから、と打ち明ける早川監督は今回、そのときの感覚を思い出して、いつかこういう映画を作りたいと思っていたシーンを脚本として書き連ねるところから始めたという。

「ばらばらのエピソードなので、どうしたら1本のお話になるのだろうというのがなかなか見えなくて、手探りをしながら作っていったという感じですね。編集の段階になって、こういうことが言いたかったのかなというのがおぼろげに見えて出来上がった作品で、黒沢監督はじめ皆さんからの言葉をお聞きして、ああ、そういう映画だったのか、とやっと自分で腑に落ちたといったところです」と話す。

 黒沢監督が強調するのは、少女のフキが父親をはじめさまざまな人の死に接するものの、決して悲しみはしないという点だ。冒頭、人は死ぬとなぜ悲しむのかという疑問から始まって、最後は人が死んでも悲しまなくていいんだというメッセージを得るに至る映画ではないかと指摘。「人が死んで悲しいという映画は山のようにあふれていてうんざりなのだが、よくぞ人が死んで悲しくないという映画を作ってくれた。そこは痛快で拍手したいところなのですが、フキにとって死とは何だったんでしょうか」と質問を投げかける。

 これに対して早川監督は「恐らく彼女は死に惹かれていた。ファンタジーというか、憧れだったり魅入られたりしているところがあって、想像上の死にとらわれているような症状だったのが、初めて身近な人がいなくなったときに、いなくなるってどういうことかというのが感覚的にわかった、というのはあるかもしれませんね」と回答。「周りの人が普通の感覚として受け止めていることが、彼女にとっては違和感だったり、本当じゃないような感じを持っていたりする子だと思うんです。うまく立ち回ることができないので少し浮いているところがあるけれど、それでもどこかでつながる瞬間があるというか……」

 トークには、フキがひと夏の間に接触する大人の1人として、夫に死なれ、フキに誘導されるように心情を語る女性を演じた河合も参加した。たったワンシーンの出演だったが、撮影の1カ月ほど前に監督とフキ役の鈴木唯と3人でリハーサルをするなど準備に時間をかけていたことを証言。黒沢監督が「あのシーンも不思議なのは、フキが催眠誘導するかのように彼女の過去についてしゃべらせるのに、途中からフキは聞いていないんですよね。途中から河合さんは独り言のように誰に向かってでもなく語る」と話を振ると、河合は「今になってどう考えていたかなと思い返してみると、催眠術にかかったふりをしてあげるというところからスタートして、途中でなぜかほぼ催眠術にかかったのと同じような状態になって、自動的に口から言葉が出ているというゾーンに入っているんですね」と分析する。

 ほんのワンシーンだけの出演というのは、全体を見渡せず、難しかったと振り返る河合だが、完成した映画に関しては、主人公のフキと自分とを重ねて見ていたという。悲しいことや悪いことが起きても言葉にはできない、そんな心理を全くせりふにはせず、表情にも過剰に表さず、そのまま映像の中に残っていたということがとても好きだったと話す。

「どれだけ危険なことが子どもである自分の近くにあるのかということが解釈できていないし、それがほぼ全部のシーンにあったような気がします。暗くて閉じている子ではなく奔放だし、ものすごく感受性がありそうだから、ずっと大きく感じているんだけど、それが何か全く自分で分かっていない。そういうところがぐっときましたね」

 早川監督自身は「前情報を知らずに見に来た人は、ちょっと心温まる家族の話だと思っていたら、これか、ってびっくりされるかもしれない」と言いつつ、「でも自分には普通の感覚で、みんな多かれ少なかれこういう感じは持っているんじゃないでしょうか」。すると「そこもまたすごいところ」と受けた黒沢監督は「ウェルメイドに作られた映画だったら、絶対に人の死をこんなふうに扱うことはない。悲しみを乗り越えて、ハッピーなことがいろいろとあって、というフィクションがこれだけ世の中にあふれている中で、でもノーマルに考えたらこういうことなんじゃないですか、とふっと提示された気がしてびっくりしました」と最大級の賛辞を贈っていた。(藤井克郎)

和やかな雰囲気で活発なトークが繰り広げられた=2026年3月22日、東京都千代田区の丸ビルホール(藤井克郎撮影)

特別上映会のトークに参加した黒沢清監督、早川千絵監督、河合優実(左から)=2026年3月22日、東京都千代田区の丸ビルホール(藤井克郎撮影)