第162夜「X エックス」タイ・ウェスト監督

　どうにもホラー映画が苦手だ。映画について書いている以上、どんなジャンルの作品も分け隔てなく見るべきだと頭では理解しているものの、どうやら恐怖を楽しむ精神構造にはなっていないらしい。

　特に1990年代にブームとなったいわゆるJホラーが駄目で、現実に見えないはずのものを見せるという表現が何とも耐えられない。その嚆矢とも言える「女優霊」（1996年、中田秀夫監督）を半蔵門にあったぴあ本社の試写室で見たときは、観客は自分を含めてたったの2人だった。まさかこんなに怖い映画とは知らず、始まってすぐに後悔の念に駆られたものの、何とか必死にこらえたものだ。ジャンルに関係なくよくできた名作だとは思うけれど、いまだ2度目の鑑賞は果たしていない。

　アメリカのスプラッター系はそこまでではないが、それでも好き好んで見たいという感じではない。それなのに「X エックス」の試写会に行こうと思ったのは、お気に入りのエドガー・ライト監督が絶賛していると知ったからだ。「ホット・ファズ　俺たちスーパーポリスメン！」（2007年）以来、驚きの映像世界にやられっぱなしの名匠が褒めちぎっているとなれば、見逃すわけにはいかない。ホラー色の濃い「ラストナイト・イン・ソーホー」（2021年）も十分に楽しめたし、意を決して完成披露試写会に足を運んだ。

　映画は惨劇のその後からスタートする。1979年、テキサス州。広い農場にぽつんとたたずむ一軒家に、警察車両がやってくる。遺体を確認しながら「いったい何があったんでしょう」と尋ねる部下に、「分かるわけがない」とぶっきらぼうに答える保安官。恐る恐る地下室に足を踏み入れると、愕然とした顔でつぶやく。「こりゃひでえ……」

　こうして前の日に起きた出来事が再現されるのだが、この導入部だけで、見たいという好奇心と見たくないという拒否感との葛藤が心に渦巻く。実に巧みだ。

　前日に農場を訪れたのは6人の若者で、彼らは離れの納屋を借りて映画を撮影しようとしていた。農場主の老人には、映画のことは内緒だった。

　彼らが撮ろうとしていたのはポルノまがいの超B級映画という設定で、これがまたホラー気分をかき立てる。6人は、女優の卵のマキシーン（ミア・ゴス）にプロデューサーのウェイン（マーティン・ヘンダーソン）、セクシー女優のボビー・リン（ブリタニー・スノウ）にベトナム帰還兵の俳優、ジャクソン（スコット・メスカディ）、それに自主映画監督のRJ（オーウェン・キャンベル）と録音担当の真面目な学生、ロレイン（ジェナ・オルテガ）の3組のカップルだ。この映画撮影の風景や6人の人間模様自体、B級感丸出しで、笑いの要素もてんこ盛りとなっている。

　例えば監督兼カメラマンに起用されたRJはゴダールに心酔する映画青年で、大真面目な芸術映画を撮りたいと主張するが、プロデューサーのウェインは安く撮ってもうかればいいという実利主義者だ。かみ合わないどたばたがメンバーの間で繰り広げられ、大いに笑わせてくれるのだが、そこにちらっちらっと映る不穏な影が不気味さをあおる。

　と、後は見てのお楽しみといったところだが、一つだけ明かすと、恐怖の正体は恐らくホラー映画史上、最も怖さと縁遠い存在ではないかと思われることだ。まさかこのせいでこんなにも身の毛がよだつとは思いも寄らず、あっけに取られるやら、感心するやら。後半はそれこそ脅しに次ぐ脅しの連続で、うわあっと声は上がるわ、座席からずれ落ちそうになるわ、まこと心臓に悪い。あまりにものけぞり過ぎたせいか、知らぬ間に尻ポケットから財布が落ちていて、後で宣伝担当に見つけ出してもらったほどだった。

　ただ恐怖の正体以外はアメリカンホラーの伝統を受け継ぐ正統派で、そもそも能天気な若者グループがパニックの一夜を明かすというシチュエーションは、ホラー映画の金字塔「悪魔のいけにえ」（1974年、トビー・フーパ―監督）以来の王道と言える。エロスと笑いを絡ませるのもお定まりのパターンだし、「ジョーズ」（1975年、スティーブン・スピルバーグ監督）をはじめとした過去の名作のパロディーも随所に登場する。

　その一方で、高齢化社会やカルト教団の風刺など社会性をちらっと盛り込んだり、主役のミア・ゴスが意外な人物と一人二役を演じていたり、斬新な驚きも欠かさない。1980年生まれと若いタイ・ウェスト監督はじめ、作り手の遊び心と創意工夫がスクリーンからあふれんばかりに伝わってきて、胸が熱くなった。でも怖いのは、しばらくはいいかな。（藤井克郎）

　2022年7月8日（金）、全国公開。