第360夜「ゴジラ-0.0」山崎貴監督

 ゴジラに関しては、日本はおろか世界中に研究者やマニアと称する人がごまんといて、おいそれと口を挟むことなどできないことは重々承知している。とは言うものの、映画記者の端くれとしてこれまで幾度かゴジラ映画の撮影現場に立ち会い、さまざまな関係者に話を聞いてきた一人としては、新作の公開を前にしていささかゴジラにまつわる個人史を披瀝したいという欲望を抑え切れない。

 思い起こせば1992年に産経新聞の文化部に異動して最初に取材したゴジラ映画は「ゴジラVSモスラ」(1992年、大河原孝夫監督)だった。シリーズ19作目にして初めてハイビジョン合成を使用したこともあり、主に特撮面に焦点を当てた取材だったが、特技監督の川北紘一のほか、ゴジラを演じていた薩摩剣八郎に初代ゴジラ俳優の中島春雄にもインタビュー。第1作の「ゴジラ」(1954年、本多猪四郎監督)こそリアルタイムで接してはいないものの、ゴジラがシェーをする「怪獣大戦争」(1965年、本多猪四郎監督)以来、ほぼ全てのゴジラ映画を劇場で見てきた身としては、作品の裏側に触れることができて大感激したものだ。

 その後、20作目の「ゴジラVSメカゴジラ」(1993年、大河原孝夫監督)のときは、東京・成城にあった東宝サウンドクリエイティブスタジオで、劇伴音楽をフルオーケストラの演奏で録音する現場を取材。すでに編集済みの映像をオーケストラ背後の巨大スクリーンで流しながら、おなじみのテーマ曲を生演奏する場面を見聞できるとは、興奮以外の何ものでもなかった。調整室から細かく指示を出していた作曲家の伊福部昭にも話を聞くことができ、「生の楽器と電子音楽とではイクタス(張り)に差があるから、このやり方が一番なんです」と丁寧に説明してくれたのが思い出深い。

 伊福部には同じ1993年の暮れにも再びお会いしている。産経新聞では1994年から2年にわたって戦後50年間に起きたさまざまな出来事を振り返る大型企画「戦後史開封」を連載。その専属取材班に組み入れられ、最初に取り組んだテーマがゴジラだった。

 何しろブランケット版の紙面1ページをフルに使っての5日間の連載記事ということで、取材対象も広範囲に及んだ。伊福部のほか、第1作からプロデューサーを務めた田中友幸に主役を演じた宝田明、ゴジラ役の中島春雄、助監督の梶田興治、特殊美術の井上泰幸、それにすでに故人だった特技監督、円谷英二の次男で当時の円谷プロダクション社長、円谷皐と、錚々たる人物から貴重な証言を収集。中でも名プロデューサーとして戦後の東宝映画を支えてきた田中はそのころ、脳梗塞を患ってリハビリに励む日々だったが、東宝の宣伝部に無理を言って自宅に伺い、女優だった中北千枝子夫人の介添えでインタビューに応じてもらった。「人間の傲慢さがある限り、ゴジラは生き続けるだろう」と、本当にかけがえのない名言をいただいている。

 それからもゴジラ映画には何かとお世話になってきた。22作目の「ゴジラVSデストロイア」(1995年、大河原孝夫監督)では、東宝スタジオ内にあった大プールでゴジラが暴れる特撮場面の撮影を見せてもらったほか、米ロサンゼルスに留学中だった1997年には、ロサンゼルス南郊に位置するソニー・ピクチャーズの巨大スタジオで撮影中だったハリウッド版「GODZILLA/ゴジラ」(1998年、ローランド・エメリッヒ監督)の現場を見学。エメリッヒ監督から「自然が人間に報復するという視点でゴジラを描きたい」との言葉を聞いている。

 と、かように思い入れのあるゴジラなのだが、近年は以前ほど熱心ではなくなっている。一つにはVFX全盛になって、かつての着ぐるみゴジラにあったような手作りのぬくもりが感じられないからということもあるかもしれない。もう一つ、映像に力を込め過ぎるせいか、どうにも人間ドラマとのバランスが悪い気がしてならない。前作の「ゴジラ-1.0」(2023年、山崎貴監督)も、映像は確かにアカデミー賞視覚効果賞を受賞しただけあって目を見張るものがあったが、作品全体で言えばちょっと残念というのが正直な感想だった。「恐怖」や「怒り」はあるものの、1954年の1作目にあった「悲しみ」があまり感じられなかったのだ。

 今回の「ゴジラ-0.0」は同じ山崎監督で、出演者も前作に引き続いて同じ役で出ている人が多く、その意味でもさほど期待はしていなかったのだが、いやいや、どうしてどうして。ついにやったか、山崎監督、という感じで、まさにゴジラ映画の金字塔とも言える作品に出来上がっていた。

 ストーリーは、うん、これはあまり詳しく言わない方がいいだろう。設定は前作の2年後ということで、戦争からも、さらにゴジラ襲来からも復興を図ろうとしている時期ではあるものの、いまだGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下にある。そんな中、突如として謎の巨大生物が日本に現れ、長野県松本市の街を破壊する。その怪獣の正体とは、そしてゴジラとの関連は……。

 といった大筋の流れに沿って、元特攻パイロットの敷島浩一(神木隆之介)とその妻、典子(浜辺美波)に水島(山田裕貴)、秋津(佐々木蔵之介)、堀田(田中美央)、澄子(安藤サクラ)、そして野田(吉岡秀隆)が前作と同じ役で登場。さらに野田が局長を務める大型災害対策事務局に気象台から派遣された青山(長澤まさみ)や生物学者の村上(田中泯)といった新たな顔も加わり、かなり重厚な人間ドラマを織りなす。ほかにもパイロット役として井之脇海、奥野瑛太らが出演しているが、脇役に至るまで一人一人の苦悶、葛藤が掘り下げられ、怪獣に立ち向かう気概や覚悟がきっちりと描き込まれている。ゴジラ映画でここまで大人数のキャラクターが立っている作品は初めてではないだろうか。

 一方、怪獣映画には欠かせない特撮技術の方ももうこれ以上はないと言っていいほどで、究極を実現したように思える。序盤の謎の怪獣と戦闘機が繰り広げる空中戦だけでレベルが違うということを実感するし、とにかくゴジラともう一体の造形が神がかり過ぎる。子どものころから大のお気に入りだったあの怪獣がこんな迫力ある映像でスクリーン内を暴れ回るなんて、60年前の自分が見たら腰を抜かすだろう。着ぐるみにミニチュアの手作り感も素晴らしかったが、どうせVFXを駆使するならこれくらい徹底してほしい。

 だが今回、何よりも感銘を受けたのは、ゴジラの原点である核兵器の脅威について真正面から取り上げていることだ。もともと第1作の「ゴジラ」は、1954年にマグロ漁船の第五福竜丸が南太平洋を航行中、アメリカの水爆実験に遭遇して被曝した事件がヒントになっている。インドネシアとの合作映画を企画していた東宝の田中友幸プロデューサーが、交渉に失敗した帰国便の機中から眼下の太平洋を眺めていたときに「人間が作り出した核に人間が復讐される恐怖を映画にできないか」と考えたのが端緒だった。

 ゴジラは核の落とし子で、口から吐く熱線は放射能を帯びている、というのはこれまでの作品でもさんざん示されてきた。だが日本に投下された核爆弾と結びつけた描写は恐らくなかっただろうし、戦争の悲惨さを彷彿とさせる描写はあっても、物語上ではゴジラ襲撃と先の大戦とはほとんど無関係だった。

 前作の「ゴジラ-1.0」で戦争の影をにじませ、今度の「ゴジラ-0.0」では核被害との関連に踏み込む。戦後80年が過ぎ、世界中で戦争、紛争が絶えない中、日本でもきな臭い空気感が漂うなど、決して核と無縁とは言い切れない。その恐怖をここまで圧倒的な映像と音響で、しかも娯楽性を最大限に追求して世に問うとは、山崎監督ら作り手の本気度を垣間見た。(藤井克郎)

 2026年11月3日(火)、全国公開。

© 2026 TOHO

山崎貴監督「ゴジラ-0.0」から © 2026 TOHO

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