第359夜「NAZA ナザ」ユヴァル・アブラハーム&ラヘル・ショール監督

 よく「映画で世界は変わらない」といった言葉を耳にする。ただ、その後には必ず「かもしれないけれど……」と続くように、映画の影響力、訴求力に希望を抱いている人は少なくないはずだ。

 ガザ地区での民間人大量虐殺に焦点を当てた告発ドキュメンタリー「NAZA ナザ」をこの世に送り出した製作陣は、恐らく本気で世界を変えたいと願っているに違いない。それくらいの信念で作っていることが如実に伝わってくるし、見る側にとっても単なる傍観者ではいられない覚悟を求められているような気がする。今年2026年9月のベネチア国際映画祭で初上映されるや大きな反響を呼び、審査員特別賞を受賞。日本でも異例の緊急公開となったが、確かにできるだけ早く多くの人が見るべき作品であり、見ることで映画の作り手をさまざまに支えていく必要があると感じた。

 映画に登場するのは24人のイスラエル人だ。彼らは名前も顔も伏せたまま、夜のテルアビブで、イスラエル人ジャーナリストのユヴァル・アブラハームとラヘル・ショール両監督によるインタビューに応じる。取材場所はビルの屋上で、背後には林立する高層ビルからちらちら明かりが漏れてくる穏やかな都市の風景が広がるが、真っ暗闇の中でイスラエル軍の兵士や諜報員らが口にする証言は身の毛もよだつほど恐ろしい。

 彼らは皆、ガザ地区への軍事行動に携わった人物で、大半はガザに足を踏み入れたことがなく、完全に安全な場所に身を置きつつ遠隔操作でガザの監視や攻撃に関与してきた。ドローンや無人機の攻撃目標はパレスチナの武装組織、ハマスの拠点ということになっているものの、同じ建物には全く無関係の一般市民も住んでいたりする。そんな建物を破壊すれば、民間人に犠牲が出ることは彼らも承知の上だが、誰も心の痛みを覚えているふうには見えず、「このときは何百ものNAZAが死んだ」などと打ち明ける。タイトルにもなっているNAZAとは、巻き添えになる非ハマスの民間人犠牲者のことで、つまり彼らにとって殺害した対象は「人」ではないのだ。

 聞き手のアブラハーム監督らの対応はあくまでも穏やかで、特に彼らを責め立てるようなことはしない。一人一人に対して「なぜ一般市民を殺したのか」と冷静に問いかける。そしてほぼ全員から似たような答えが返ってくる。「命令だから」と。

 そう、このやりとりはつい先日、塚本晋也監督の「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」(2026年)で見た主人公のベトナム帰還兵と精神科医との問答にそっくりではないか。ネルソンさんはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩み苦しんだ揚げ句、最後は「殺したかったから」と自分と正直に向き合ったが、「NAZA ナザ」に登場する殺人者たちは、「後悔している」と話す者はいても、誰もPTSDになっているようには見えない。中には「これはゲームだ」とまで言い切る人物もいて、戦争は命の奪い合いだという実感がまるでない。

 映画にはインタビューショットの合間合間に、夜のテルアビブの何気ない光景が映し出される。明かりのついた窓の中ではくつろぎや和みの時間が流れているが、恐らくガザ地区でもかつては同じような情景が繰り広げられていたに違いない。この平和な日常が一瞬でなくなってしまうのが現在の戦争であり、だからわれわれは今、何をすべきなのか。窓の中でただくつろいでいるだけでいいのか。淡々と描いてはいるものの、映画から鋭く問い詰められているようで、思わず身震いをした。

 アブラハームとショールの両監督は、前作ではパレスチナ人のバーセル・アドラー、ハムダーン・バラールと共同でヨルダン川西岸地区のユダヤ人入植者を題材にした「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」(2024年)を手がけ、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞。製作総指揮を務めたのはイギリス出身のジョナサン・グレイザー監督で、こちらはアウシュヴィッツ強制収容所を舞台にした「関心領域」(2023年)でアカデミー賞国際長編映画賞に輝いている。どちらも戦争、紛争の不条理さを追究した作品だったが、残念ながら世界はますます悪い方向に進んでいるようだ。映画の力が試されている。(藤井克郎)

 2026年10月24日(土)から東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムなど全国で順次公開。

©The Guardian 2026

ユヴァル・アブラハーム&ラヘル・ショール監督のイギリス映画「NAZA ナザ」から ©The Guardian 2026

ユヴァル・アブラハーム&ラヘル・ショール監督のイギリス映画「NAZA ナザ」から ©The Guardian 2026