作り手の顔を見えなくしてきたツケ 「映画を早送りで観る人たち」著者、稲田豊史さん

 映画を題材にしたある衝撃的な本が話題を呼んでいる。光文社新書の「映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ―コンテンツ消費の現在形」は、2022年4月の刊行後、約1カ月で5刷3万部を突破。ライターで編集者の著者、稲田豊史さん(47)の元にもテレビ出演や取材の依頼が相次いでいる。いったい今、映画やテレビ番組の視聴スタイルにどんな変化が起きていて、今後はどうなってしまうのか。あくまでも倍速視聴反対派を自認する稲田さんだが、「映画は将来、オペラや能のような好事家のための趣味になるかもしれない」と予言する。(藤井克郎)

倍速でも理解できるから問題ない

「映画を早送りで観る人たち」は、稲田さんが2021年に講談社のウェブメディア「現代ビジネス」で連載した記事を基に、一冊の本にまとめたものだ。稲田さんは学生ら若者を中心に、映画やアニメ、テレビ番組の配信などを自宅で見る際、再生速度を選択できる機能を駆使して早送りで視聴する習慣のある人々に取材。その驚くべき実態、思考を書きつづるとともに、メディア研究者や脚本家、映画プロデューサーらにもインタビューを行って、倍速視聴が常態化する社会背景や日本人の生き方の変化にも鋭く突っ込んでいる。

 稲田さんが倍速視聴に興味を持ったのは、コロナ禍で自宅にこもってドラマや映画を見る人が増えたことに端を発する。それほど映画ファンやドラマ好きでもなかった人が、フェイスブックなどSNSで「〇〇を見た」と投稿するのを目にするようになり、中には自分がやるやらないは別にして「1.5倍速で見た」とか「10秒飛ばしで急いだ」といった表記が目立つことに気がついた。

「それが若者ではなく、30代、40代の大人たちの投稿なんですよね。え、ホントにそんな人がいるのかな、と思ってちょっと調べてみたら、もう若者の間ではそんなに珍しいことではないということが分かりました」

 こう語る稲田さん自身、かつて仕事で倍速視聴を余儀なくされたことがある。DVD業界誌の編集者をやっていた20代の頃、大量のサンプルVHSをチェックするために早送りをせざるを得なかったが、後にそのうちの1本を普通に見る機会があり、全くと言っていいほど作品のよさに気づいていなかったことに衝撃を受けた。

「少なくとも僕に関しては倍速視聴では映画を味わえていなかった。でもやっている人の言い分を聞くと、倍速でも理解できているから問題ないと言い切る。本当なのか、というのが疑問の出発点でしたね」と稲田さんは振り返る。

不快なものは見たくないという主義

 こうして自分の意見は抑え、なるべくフラットな視点でおよそ1年をかけて取材を重ねた結果、おぼろげながら見えてきたのが「快適主義」という怪物だった。本によると、作り手の思惑とは関係なく、どうやって見ようが見る側の勝手というのが倍速視聴者の言い分で、その裏には「不快なものは見たくない」という気持ちが働いている。

「大学生に聞いたら驚愕の意見が山ほど出てきてびっくりしたのですが、みんな優秀な子たちだし、自分の言葉をちゃんと持っている。決して宇宙人ではありません。大人からすると、そういうのはリテラシーの低いばかがやることだ、と思いがちですが、決してそうではないんです」

 稲田さんが特に驚いたのは、脚本家を目指す作り手の卵も、がんがん倍速視聴をやっている事実だった。稲田さんが取材した脚本家の小林雄次さんは日本大学芸術学部でシナリオ専攻の講師を務めているが、優秀な学生にもかかわらず、登場人物が誰がどう見てもいい性格だったりして、人間造型としてどうなんだというシナリオしか書いてこない教え子が結構いるのだという。

「主人公の中に邪悪な気持ちが芽生えたり、裏切りたいという思いとの葛藤があったりして、そういうのがドラマになってくるわけですが、それを見るのは不快だってことです。不快なものは書きたくない、となるわけです」

情報を処理するだけで精いっぱい

 この快適主義は、ただ単に映画やドラマの視聴スタイルにとどまらない。さまざまな社会現象に及ぶ問題でもあり、だからこそ大きな反響を呼んだのではないかと稲田さんは見る。

「氷山の一角というか、現代人のライフスタイルだとか、他人とどういうコミュニケーションを取りたいのか、といったいろんなことが倍速視聴に凝縮されている。だからけしからんと言っても意味がない。けしからんと言いたくはなるけれど、かなり根っこは深いんです」

 本を読んだ印象で言うと、倍速視聴をする人は常に時間に追われていて、さぞや生きていくのが大変だろう、というのが正直なところだ。何しろ友人の輪、それも中学、高校の同級生に、大学、バイト先とそれぞれ異なるコミュニティーのSNSに対応して、あらゆるはやりものに追いついていかなければならないようなのだ。とてもじゃないが、じっくりと自分の好きな作品に向き合う時間なんて作れそうにない。

「本人たちに苦しいという意識があるかどうかは分かりません。苦しいですとは言わないし、でもよく考えたらそうですよね」と認める稲田さんによると、本に登場する博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所の森永真弓さんが、講師を務める大学で「無駄なことをしてもいいんだよ」と言うと、「えっ、いいんですか」と驚いたような反応が返ってくるという。

「無駄は悪で回り道だと思っていて、自分でも本当に好きなものが分からなくなっているんでしょうね。自分は何が好きなんだろうと考える前に、あれが面白い、これはお勧め、これがはやっている、という情報が入ってくれば、それをこなしていくだけで精いっぱいで、己の心に聞いている暇がない。むちゃくちゃ忙しくて、情報を処理するだけになってしまっている。それは大人でも同じですよね」

高校時代は「ぴあシネマクラブ」を熟読

 そんな稲田さん本人は、小さい頃から映画が大好きだった。よく父親に映画館に連れていってもらい、小学校の高学年になると、お小遣いでビデオをレンタルして過去の名作を見まくった。高校生の頃は、ぴあが発行していた「ぴあシネマクラブ」というカタログ年鑑を買って、掲載してある映画情報を片っ端から熟読。映画を見てもいないのに、作品名やあらすじ、スタッフ名など、どんどん覚えていった。

 大学ではミニコミ誌のようなものを作っていて、卒業後は出版か映画の仕事に就きたいと思うようになる。映画配給会社のギャガに入社すると、2年目には希望していた出版部門に配属。分社化の後、キネマ旬報社に吸収され、DVD業界誌の編集長や書籍の編集などをこなし、38歳で独立する。現在はフリーランスの編集者、ライターとして、映画やアニメのほか、離婚男性、ポテトチップスと、幅広い分野で健筆を振るっている。

 まるで倍速視聴者並みの多忙ぶりだが、「忙しいけど、一種類だけの仕事だと飽きちゃうんです」と柔和な表情を浮かべる。

「もともと好きだったものを突き詰めているだけで、仕事のために改めて学んだり、新たに好きになったりというのはありません。過去の遺産です。自分はこれが好きだというのを言いまくっていて、それを編集者の知り合いが覚えていて、だんだんと書く機会が増えていったということですね」

オペラや能のような富裕層の趣味に

 そんな中でも、やはり映画は特別な存在であることには変わりがない。だからこそ、倍速視聴を許すような素地のある今の映画業界には、残念な思いがある。

「例えば音楽は、アーティスト個人が発信して個人に届けることができる。特にインターネットが発達して以降、大手プロダクションに所属していなくても、いろんな場所で曲を発表してブレイクして、というのが今は主流になっている。聴いた分だけアーティストに還元される仕組みは、誠実だし分かりやすい。漫画やライトノベルも、作家個人から読者個人へという割とシンプルな運ばれ方をしていますよね」

 だが映画はそうではない、と稲田さんは言い切る。作っている人の顔が見えない上に、ちゃんと映画のよさを伝えるキュレーターが少なすぎる。シネフィル向けの評論家はいても、一般の人々を相手にまともに解説できる人は数少なく、映画の宣伝と言うと、やたら旬のタレントを前面に押し出して、テレビのワイドショーに露出することだけを狙ってきた。そのツケが回ってきたのではないか、と稲田さんは指摘する。

「なんでタレントばかり起用するのか。ここに監督がいるでしょ、と。映画が、この人が作っています、とはっきり見えていたら、もうちょっと倍速視聴や10秒スキップはされにくくなるんじゃないか。顔が見える努力を今までしてきましたか、と言いたいです」

 このままだと、倍速視聴されても構わないと思って分かりやすくするのか、倍速視聴されないようになるべく沈黙のシーンをなくすのか、そんな映画ばかりになるのではないかと稲田さんは予測する。

「一方で、人の言うことは一切聞かずに、分かってくれないのならそれでいいと、濱口竜介監督みたいに3時間たっぷり見てよという姿勢を貫くか、そのどちらかの2択になるでしょう。あるいは現実感はないが、マーベル・コミックの映画みたいにむちゃくちゃ作り込んで、誰が見ても満足できる懐の深い作品を作るか。いずれにしても映画館で映画を見るという行為は、すでにある程度イベント化されていますが、もっと特別な経験になると思います。オペラや能、狂言のような、消えはしないけど、そんなにカジュアルな趣味ではなくなる気がする。でも文化ってそういうものですからね。歌舞伎だって昔は庶民の娯楽だったのに、今では富裕層の趣味じゃないですか」と、ちょっと寂しそうに笑った。

稲田豊史(いなだ・とよし)

1974年生まれ。愛知県出身。横浜国立大学経済学部卒業後、映画配給会社のギャガ・コミュニケーションズ(現ギャガ)に入社。キネマ旬報社でDVD業界誌の編集長、書籍編集者を経て、2013年に独立。著書に「セーラームーン世代の社会論」「ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代」「ぼくたちの離婚」「『こち亀』社会論 超一級の文化史料を読み解く」「オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情」などがある。

「既存のメディアの人たちからの反響がすごい」と語る「映画を早送りで観る人たち」の著者、稲田豊史さん=2022年5月16日、東京都杉並区(藤井克郎撮影)

「映画館で映画を見ることは好事家の趣味になるかもしれない」と語る「映画を早送りで観る人たち」の著者、稲田豊史さん=2022年5月16日、東京都杉並区(藤井克郎撮影)

稲田豊史さんの著書「映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ―コンテンツ消費の現在形」