第280夜「ANORA アノーラ」ショーン・ベイカー監督

 アカデミー賞の授賞式を3月2日(日本時間3日)に控えて、ノミネート作品が続々とお目見えしている。ティモシー・シャラメがボブ・ディランを演じて8部門でノミネートされた「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」(ジェームズ・マンゴールド監督)も今週末の公開で、見応えのあるとってもいい映画なんだけど、やっぱりカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝いた「ANORA アノーラ」を外すわけにはいかない。アカデミー賞では6部門でノミネートされていて、作品賞の最有力に目されているみたいだが、さあて、正直に言ってどう評価したらいいのか、少々戸惑いを覚えたというのが偽らざる心境だ。

 確かに序盤、中盤、終盤でまるで作品が変わったような趣になる構造は斬新だし、目まぐるしい場面転換に速射砲のようなせりふ回し、捧腹絶倒の迷演技と、娯楽の面では文句なしの面白さかもしれない。ただ主人公のキャラクターが一昔前のハリウッド大作にありがちな紋切り型のヒロイン像というか、ちょっと頭の弱いコケティッシュな女性で男に都合よく振り回されるという、いかにも男性目線で作り上げた印象なんだよね。自主映画で揉まれたショーン・ベイカー監督があえて典型的ミューズとして描くことでミソジニーを皮肉っているとも思えるし、うーん、読み解くのが難しい。

 とは言え、見せ方の革新性には度肝を抜かれた。ニューヨークのストリップダンサー、アニーことアノーラ(マイキー・マディソン)は、働いているクラブで派手に遊びまくっていたロシア人青年のイヴァン(マーク・エイデルシュテイン)の相手をすることになる。ロシア移民の祖母の影響でロシア語が少しばかりできることから呼ばれただけだったが、アニーの魅力に一発でとりこになったイヴァンからあちこちに連れ回され、ついには「ロシアに帰りたくない」と駄々をこねるイヴァンの願いをかなえるべく、2人はラスベガスで結婚式を挙げる。こうしてアニーは、ロシアの大富豪の御曹司の妻の座に収まることになった。

 ここまでの展開はめちゃくちゃスピーディーで、えっ、なになに? と考える暇もなく、次から次へと短いシーンが流れていく。すべての場面が尻切れトンボのようでもあり、しかもほとんどのショットがクロースアップで、遠目から落ち着いて眺めるカットが一つもない。と思いきや、イヴァンの両親から遣わされた見張り役のアルメニア人司祭、トロス(カレン・カラグリアン)にイゴール(ユーリー・ボリソフ)、ガルニク(ヴァチェ・トヴマシアン)がイヴァンの豪邸にやってきて、というところから味わいが激変する。

 ここから後はもう見てもらうしかないんだけど、姿をくらましたイヴァンをアノーラが3人組と一緒に探し回るという展開は、ワンシーンワンショットの長回しで捉え、しかも別々に交わしている会話を同時に収めるという、これまた画期的な手法が取られる。そして終盤は、アニーとイゴールがほとんど沈黙で心情をつづるという、まあここまで多彩で革命的な映像表現をそろえるなんて、恐れ入りやした、という感じだ。

 ってことで、映画技法、スタイルにはすっかり参ってしまったわけだが、一方でテーマ性というか描いている内容については、どう受け止めればいいのかわからない。アニーは後先考えずに勝手な解釈で独り相撲を取った挙げ句、最後には自分の情けなさに気づいて涙を流す。そんな主人公に、この21世紀も4分の1が過ぎた時代、どういう見方をすればいいのだろう。確かに演じるマイキー・マディソンは全身全霊での奮闘ぶりだし、めちゃくちゃ早口でロシア語も交じるせりふ回しなど、演技賞も納得の熱演だが、だからこそ余計に男が思う「守ってあげたいかわいそうな女」の典型に見える。女性同士のマウントの取り合いやイヴァンの母親の居丈高な態度など、全体的に女性の描き方が古臭いステレオタイプなんだよね。

 それでいて「男色趣味」といった性的少数者への差別的表現もどんどん発するし、ロシア人やアルメニア人など外国人や移民への偏見も著しい。ベイカー監督としては、あえて男女差別、民族差別、LGBTQ差別を盛り込むことで、多くの人に問題意識を持ってもらいたいという狙いがあったのかもしれないが、ここまでどたばたコメディー要素が強いと、果たしてどこまで届くだろう。そこを見越してカンヌのパルムドールだとしたら、グレタ・ガーウィグ監督を委員長とする審査員の慧眼は相当なものだ。

 さて、アカデミー賞はどうなるか。作品賞の候補作10本のうち6本を視聴しているが、他を圧倒するずば抜けた作品には出合っていない。果たして「ANORA アノーラ」が「失われた週末」(1945年、ビリー・ワイルダー監督)、「マーティ」(1955年、デルバート・マン監督)、「パラサイト 半地下の家族」(2019年、ポン・ジュノ監督)に続くカンヌ最高賞とのW受賞を成し遂げた4作目になるかどうか。結果が楽しみだ。(藤井克郎)

 2025年2月28日(金)、全国公開。

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ショーン・ベイカー監督のアメリカ映画「ANORA アノーラ」から。アニー(右、マイキー・マディソン)はイヴァン(マーク・エイデルシュテイン)と出会って望外の幸せを手にするが…… ©2024 Focus Features LLC. All Rights Reserved. ©Universal Pictures

ショーン・ベイカー監督のアメリカ映画「ANORA アノーラ」から。多彩な映像表現で現代のシンデレラストーリーを見つめる ©2024 Focus Features LLC. All Rights Reserved. ©Universal Pictures