第123夜 「空白」吉田恵輔監督

 今年2021年の第34回東京国際映画祭は、会場がこれまでの六本木から日比谷に変更になるわ、プログラミング・ディレクターに東京フィルメックスを担ってきた市山尚三さんが就任するわと、いろんな楽しみがあるんだけど、吉田恵輔監督の特集が組まれるというのもうれしい話題だ。吉田監督には2013年、自らを投影したような「ばしゃ馬さんとビッグマウス」の公開時にインタビューをしたことがあるが、幼稚園のころから映画監督を夢見ていろんな映画祭に応募したものの一次審査さえ通らず、30歳手前で諦めようと思った時期もあったと打ち明けてくれた。「映画ってよく栄光と挫折が描かれるけど、栄光の経験がないから映画に勇気づけられることがなかった。スポットライトを浴びずに終わる人に言葉をかけてあげるような映画があれば感動したのに」と話していたのが、とても印象に残っている。

 当時はようやく努力が実を結び始めたころだったが、それから8年。「銀の匙 Silver Spoon」(2014年)、「ヒメアノ~ル」(2016年)、「犬猿」(2018年)、「愛しのアイリーン」(2018年)、「BLUE/ブルー」(2021年)と、話題作を次々と世に送り出し、ついに東京国際映画祭で特集が組まれるまでになるとは、夢を諦めなくて本当によかったよ。

 その最新作の「空白」を見ると、芽が出ないで苦闘した分だけ吉田監督にはたくさんの蓄積があり、それが作品の隅々にまで生かされているという気がする。何しろこの映画には実に多くの人物が登場し、その一人一人の生き方や思いがきっちりと描き込まれているにもかかわらず、上映時間は1時間47分とコンパクトにまとまっていて、それでいて驚くようなドラマ性もあれば、現実の社会を反映した今日性も備えているのだ。言ってみればお得感いっぱいの映画だろう。

 舞台は、とある海沿いの地方の町。漁師の添田(古田新太)は怒りっぽく、彼の下で働く野木(藤原季節)は我慢の限界に達していた。添田には、別れた妻(田畑智子)との間に一人娘の花音(伊東蒼)がいて、自分が引き取って育てているが、いつも口汚く怒鳴りつけるだけで、中学生になる娘の言葉にまるで耳を傾けない。ある日、学校帰りにスーパーに立ち寄った花音は、店長の青柳(松坂桃李)に万引きを疑われ、思わず走って逃げてしまう。青柳はすぐさま後を追いかけるが……。

 ここで起きる悲劇をきっかけに、怒りまくる添田と謝り倒す青柳の2人を軸とした群像劇が、幾重にも絡み合って繰り広げられる。花音の担任教師(趣里)は添田の剣幕に恐れおののき、スーパーのベテラン店員(寺島しのぶ)は世間の青柳バッシングに憤懣やるかたない。マスコミやSNSも巻き込んで騒動が騒動を呼び、登場人物の一人一人が自分の生き方について苦悶を強いられる。

 ほとんどの人物は、そもそも自分のことしか考えていない。「店長は悪くないんだから」と言い続けるスーパー店員も、ボランティアで炊き出しまで買って出る善行に酔いしれているだけで、自分勝手の極みである添田と根っこの部分では違いがない。その勝手さが蔓延しているのが現在の社会であり、マスコミに代表される傍観者も、つまり映画を見ている私たちも、そこには含まれている。謝れば謝るほどに追い詰められていく青柳も、たとえ分が悪くなっても決して謝らない添田も、どちらも今日の勝手社会の紛れもない一員であり、どちらにも決して癒やしの瞬間は訪れないという展開が、現代のせちがらい世の中をものの見事に表現していた。

 それにしても、社会性を盛り込んだこんなにも複雑な人間ドラマをすっきりと構築し、しかも要所要所に見どころを配してそれぞれの役者を際立たせた脚本をオリジナルで作り上げた吉田監督の構成力には舌を巻くばかりだ。古田新太、松坂桃李をはじめ役者陣も非常に巧みで、誰一人として感情移入できないのに、ぐいぐい引きつけられる。スローモーションの映像をバックに静かな音楽が流れる冒頭の何か起こりそうな、でも実に穏やかな空気感も、見終わってみればすべてが腑に落ちるという感じで、さすがは吉田監督、本当にすごい映画作家になったものだ。

 残念ながらここ最近の吉田作品は、タイミングが合わずに見逃していたが、東京国際映画祭でチャンスがやってきた。ぜひ大きなスクリーンで堪能したいと思っている。(藤井克郎)

 2021年9月23日(木)、全国公開。

©2021『空白』製作委員会

吉田恵輔監督作「空白」から。漁師の添田(左、古田新太)はスーパーの店長、青柳(松坂桃李)に怒りをぶちまける ©2021『空白』製作委員会

吉田恵輔監督作「空白」から。スーパーの店長、青柳(松坂桃李)はひたすら謝り続ける ©2021『空白』製作委員会