第175夜「スペンサー ダイアナの決意」パブロ・ラライン監督

 イギリスのダイアナ元皇太子妃が死去したときのことはよく覚えている。モントリオール世界映画祭とトロント国際映画祭をはしごで訪れていた最中で、亡くなったのはパリの現地時間で1997年8月31日の未明だから、モントリオールに到着した直後のことだった。カナダはイギリス連邦の構成国で、国家元首は英国王だし、宿泊したB&Bの若いオーナーがめちゃくちゃ嘆き悲しんでいた姿が思い出される。

 そんなこんなで世界中で愛されたダイアナ元妃の華麗ながら悲劇的な人生は、これまでも映画やドキュメンタリーなどでさまざまに描かれてきた。2013年には、イギリス出身のナオミ・ワッツの主演で、離婚後の彼女の恋に焦点を当てた伝記映画「ダイアナ」(オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督)が作られている。その年の9月に来日した監督にインタビュー取材をしたが、「ダイアナは特別な存在で、彼女のような人物はその後、現れていない。だからこそいまだに多くの人がその死を悼んでいる」と語っていたものだ。

 ヒルシュビーゲル監督はドイツ出身だったが、今度の「スペンサー ダイアナの決意」を手がけたパブロ・ラライン監督は南米チリの生まれだ。さらに主役のダイアナを演じたのはアメリカ人のクリステン・スチュワートで、撮影監督はフランス出身のクレア・マトン、ヘアメイクデザイナーは日本生まれの吉原若菜と、実に国際色豊かなチームで構成されている。

 だから、と言っていいのか、イギリス王室の負の側面についても、よくここまでえぐり出したなと思えるような野心作になっていた。

 時は1991年の12月24日。クリスマスを祝うため、エリザベス女王の私邸であるイングランド東部ノーフォーク州のサンドリンガム・ハウスには、王室の面々が次々と集まってきていた。だが一人ダイアナは、自らハンドルを握る車で道に迷っていた。生家であるスペンサー伯爵家の屋敷がすぐ近くなのにもかかわらず。

 なぜダイアナの心がこんなにも乱れているのか、という疑問の答えは、大方の察しがつくところだろう。このころは夫のチャールズ皇太子(ジャック・ファーシング)との仲はすっかり冷え切っていて、王室内にダイアナの味方は1人もいなかった。唯一、心を許すことができた衣装係のマギー(サリー・ホーキンス)はいつの間にか解雇されていて、懐かしのスペンサー家に向かおうとすると警察官に阻止される。愛する2人の王子には、苦しむ母の姿を見せて心配させたくない。八方ふさがりの中で、果たしてダイアナはどんな決意を下すのか。

 と、わずか数日間の出来事だけを追いながら、ダイアナの人生観、家族観、女性観といったものがぎゅっと集約されていることに感心する。しかもこの主人公は世界中で注目される極めて高貴な立場でありつつ、夫の浮気や子育ての苦労、親族や周囲の人々との軋轢といった誰もが共感できる悩みにさいなまれていた。自分の居場所がなく、孤独と絶望に打ちひしがれてはいるものの、それでも何とか前を向いて歩き出そう。そんな一人の女性の物語に昇華させていることに、ラライン監督はじめ制作陣の意欲と創意を感じる。

 この気概に呼応して非常に研ぎ澄まされた凝った映像も見逃せない。エレガントな衣装で次々とダンスを繰り広げる場面があるかと思えば、廃墟と化したスペンサー邸の幻想的な情景をワンカットの移動カメラで捉える。ダイアナ妃を演じたスチュワートも、アメリカなまりを排して完璧なクイーンズ・イングリッシュを駆使し、でも決して型にはまらない奔放な振る舞いで気高い女性の孤独をリアルに表現する。

 さらに何よりもびっくりしたのが、ダイアナ元妃以外、エリザベス女王も含めてみな存命だった中、ここまでスキャンダラスにイギリス王室を取り上げたことだ。サンドリンガム・ハウスの外観も内装もドイツで撮影されたようだし、製作にドイツのプロダクションがかんでいるとは言え、こんなにも冒険的な作品に仕上げた勇気に感服する。ラライン監督は、「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」(2016年)では、ケネディ元アメリカ大統領のジャクリーン夫人を、夫が暗殺された後に取った行動に特化して活写していたが、対象を切り取る潔さ、鮮やかさは筋金入りなんだなと恐れ入った。

 今回の作品には、ダイアナの幼い2人の息子、ウィリアム王子とヘンリー王子が母に甘えたがる描写もある。厳しい展開の中、ほっと一息つく場面だが、先ごろのエリザベス女王の国葬で成長した姿を目にして、ダイアナの2人への慈愛の心に思いをはせた。(藤井克郎)

 2022年10月14日(金)、TOHOシネマズ日比谷など全国で公開。

© 2021 KOMPLIZEN SPENCER GmbH & SPENCER PRODUCTIONS LIMITED  Pablo Larrain

イギリス、ドイツ合作のパブロ・ラライン監督作品「スペンサー ダイアナの決意」から。孤独と絶望にさいなまれたダイアナ(クリステン・スチュワート)が下した決意とは…… © 2021 KOMPLIZEN SPENCER GmbH & SPENCER PRODUCTIONS LIMITED Pablo Larrain

イギリス、ドイツ合作のパブロ・ラライン監督作品「スペンサー ダイアナの決意」から。ダイアナ(クリステン・スチュワート)の心のよりどころは2人の息子だけだった © 2021 KOMPLIZEN SPENCER GmbH & SPENCER PRODUCTIONS LIMITED Pablo Larrain