生きた姿をさらけ出す 「愛について語るときにイケダの語ること」(池田英彦監督)真野勝成プロデューサー

 自らを被写体に最初で最後の映画を撮ったら、そこには普遍的な愛が映っていた。2021年6月25日(金)公開の「愛について語るときにイケダの語ること」は、2015年に41歳で死去した池田英彦監督が、死に向かう2年間の生きた証を映像にとどめた作品だ。ドキュメンタリーともフィクションともつかぬ斬新な切り口で世に送り出すのは、池田監督の友人で脚本家の真野勝成プロデューサー(46)。劇場公開を目前に控え、「世界中の映画が好きな人に胸を張って見てもらえる作品になったという自信がある。池田に対しても責任を果たすことができたと思います」ときっぱりと口にする。(藤井克郎)

「遊びたい」から始まった映画づくり

「愛について語るときにイケダの語ること」の主人公は池田監督自身だ。生まれながらの四肢軟骨無形成症のため、身長112センチのイケダは、39歳の誕生日を前にして、スキルス性胃がんのステージ4と診断される。残された命がわずかだと知った彼は「今までにやったことのないことをしたい」と、自らのセックスをビデオカメラに収めることを思いつく。と同時に、これらの映像を映画にしたいと、20年来の友人の脚本家、真野勝成に相談。理想のデートを演出するなど真野の協力もあって、映像素材が60時間を超えた2015年10月、イケダは息を引き取る。「僕が死んだら映画を完成させて必ず公開してほしい」というのが真野に託された遺言だった。

「最初から映画ありきではなく、初めて病気のことを伝えてきたときは、とにかくいっぱい遊びたいということでした。なぜかカメラで自分のエッチな行為を撮るということを始めて、それはあくまで遊びとしてだったんです。それが2~3か月たったころ、映画にしたいというのを池田から持ちかけられ、僕も同じことを考えていた。お互いの思いが一致して、そこから僕がカメラを持って池田にインタビューするようになりました」と真野さんは作品づくりのきっかけについて話す。

「理想のデートをしてみたい」

 中央大学を卒業後、神奈川県相模原市役所に就職した池田監督は、学生時代から付き合いのある真野さんによると、堅実で優秀な公務員だった。四肢軟骨無形成症という障害があったものの、介護やボランティアの補助は必要なく、経済的にも自立していた。「障害でご飯を食べたくないというところにはこだわりがあったのかもしれません」と真野さんは振り返る。

 だがステージ4の胃がんになったことで、大胆な行動に出る。映画は、恐らく風俗業の女性たちと池田監督がセックスしている姿を自ら撮影している映像のほか、女優の毛利悟巳と疑似恋愛をする様子も映し出される。これは、脚本家である真野さんがシナリオを書き、毛利にはあらかじめ決められたせりふを語ってもらっているのだが、池田監督には一切、脚本を見せていなかった。

「池田に、一番したいことって何なのよ、って聞いたんです。そしたら、街で手をつないでデートをしているカップルを見るとうらやましい、そういうデートがしたいと言うんですね。だから役者の悟巳ちゃんに出演依頼をして、理想のデートを演じてもらった。悟巳ちゃんのせりふは、池田が喜ぶだろうなと思う言葉を書いたんですが、池田のリアクションはわからない。例えば悟巳ちゃんが告白する場面では、池田は当然、うんと言うだろうと思うじゃないですか。そうしたら池田は急に断り始めて、そこからはもう台本にない世界なんですよね。そこで語っていることって、嘘の中の本当の言葉みたいなもので、不思議なものが撮れてしまったという気がします」と真野さんは言う。

セックス以上に愛が映り込む

 映画は池田監督の死去後、共同プロデューサーを務める映画作家の佐々木誠さんの編集で、58分の作品にまとめ上げられる。佐々木さんは、障害者のセックスをモチーフにした「マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画」(2015年)などの監督で、池田監督は生前、真野さんと一緒に佐々木作品を見にいって、すごく好きだと語っていた。

「最初に佐々木さんから編集したものが上がってきたとき、僕と池田がイメージしていたのは多分これだよね、と感じた。池田はとんがった映画がすごく好きだったので、この編集は間違いなく好きだと思います」

 こう真野さんは断言するが、果たしてこの作品に池田監督の意思はどれくらい反映されているのだろうか。映画には、病魔に侵されながらもユーモアと快活さを失わない池田監督の飾らない素顔が映し出されているのと同時に、セックスシーンには四肢軟骨無形成症の体格をいたわる女性の温かさと、彼女たちにぬくもりを求める池田監督の孤独の影が漂って、ちょっとほろっとさせられる。

「セックスは単純に楽しかったみたいで、好きだからやっていたというのが正しいと思います」と真野さんは言うが、映画は確かに池田監督が愛を求めてさまよっていたようにも見えると認める。タイトルも、生前は2人で「主犯・池田英彦」とか「セックスとがんと障害者手帳」といったアイデアを出していたが、編集した作品を見ると、セックス以上に愛を探し、愛を語っていて、「愛について語るときにイケダの語ること」に決まった。

「映画に対する責任ということに関しては、池田は多分、無責任だったと思う。死んじゃうんだから関係ないや、って。ただセックスシーンは絶対に使ってくれと言っていましたね。世間の自分に対する優しさは、善意なんだけど偽善かもしれないし、そういう疑惑に対しての池田なりの答えだったかもしれません。僕にもこういうところがあるよっていうのをたたきつけたかったんでしょうね。きれいごとじゃない自分の姿を世の中に出すことで、社会が思っている障害者像とのずれみたいなものを見せたかったんだろうなとは思います」

ほかでは見られないものを見せる

 真野さんは、学生時代からの友人の池田監督にはよく励まされたし、感謝することは多い。週刊誌のライターをしていた真野さんが、20代後半で脚本家を目指したものの、なかなか芽が出なかったとき、ご飯をおごってもらったこともある。「全然書けないんだ」などと悩みを打ち明けると、池田監督は「神が降りてくるから大丈夫よ」と軽いのりで返してくれた。「だから逆に気楽でしたね」と真野さんは懐かしむ。

 やがて真野さんは35歳のときに、TBSテレビの「新参者」(2010年)で脚本家としてデビュー。その後、テレビ朝日の人気シリーズ「相棒」などテレビドラマを中心に活躍の場を広げ、池田監督も喜んでくれた。

「脚本家を目指したのは、山田太一さん脚本のドラマが好きだったというのがきっかけです。思い返すと、山田さんが書いた『男たちの旅路』シリーズ(NHK)の中に『車輪の一歩』(1979年)という有名なエピソードがあって、車いすの青年が勇気を出して風俗に行くという話なんです。今回、ドラマではなかったけど、くしくもそれと重なるものが作れたんだなと思いましたね」

 山田太一ドラマにも通じるように、「愛について語るときにイケダの語ること」には何か本質的なものが映り込んでいるのは確かだ。それは愛かもしれないし、生きるということかもしれない。そこにはプロデューサーを務めた真野さんの力とともに、今は亡き池田監督の思いも確実に込められている。

「池田という人間が生きたということが全部の映像に張り付いていて、それは池田の完全な意思ですからね。完成した作品は見ていないけど、こういう映画は世界のどこにもないと思っていたはずです。映画ってある意味、見せ物というか、ほかで見られないものを見ることができるというのは大事な要素だし、そこも池田は十分に理解していた。自分というものと世間というものがわかった上で世に出すということなので、そういう意味ではすごいですよね」と改めて亡き友人への敬意を表した。

◆池田英彦(いけだ・ひでひこ)

1974年生まれ。神奈川県出身。中央大学卒業後、相模原市役所に勤務。39歳を目前にしてスキルス性胃がんのステージ4と宣告され、自らを被写体にドキュメンタリー映画の撮影を開始する。2015年、映画の完成を待たずに死去。享年42。

◆真野勝成(まの・かつなり)

1975年生まれ。東京都出身。週刊誌記者を経て、第21回フジテレビヤングシナリオ大賞の佳作入賞。脚本を担当した作品は、テレビドラマ「新参者」(TBS)、「相棒」(テレビ朝日)、映画「デスノート Light up the NEW world」(2016年、佐藤信介監督)など。

◆「愛について語るときにイケダの語ること」(2020年/日本/58分)

企画・監督・撮影・出演:池田英彦 出演:毛利悟巳 プロデューサー・撮影・脚本:真野勝成 共同プロデューサー・構成・編集:佐々木誠 配給・宣伝:ブライトホース・フィルム

2021年6月25日(金)からアップリンク吉祥寺など全国で順次公開。

© 2021 愛について語る時にイケダが語ること

亡き親友が初監督した最後の作品「愛について語るときにイケダの語ること」について語る真野勝成プロデューサー=2021年5月27日、東京都新宿区(藤井克郎撮影)

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