第106夜「ペトルーニャに祝福を」テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ監督

 東京・神保町の岩波ホールと言えば、1968年開館の老舗中の老舗で、殊に1974年からはエキプ・ド・シネマ(フランス語で「映画の仲間」の意味)運動として世界中の良質な映画を発掘、紹介してきたまさにミニシアターの元祖と言っていい存在だ。当方も30年近く前からずーっとお世話になりっぱなしなのだが、ここのすごいところは、配給会社と一緒になって上映作品の選定にかかわり、宣伝にも積極的に携わっていることだ。

 マスコミ試写会に行くと必ず劇場スタッフが待ち受けてくれるし、監督の来日インタビューでも常に控えている。岩波ホールのおかげで、ヘルマ・サンダース=ブラームス、小栗康平、ジョン・セイルズ、浜野佐知、ガリン・ヌグロホ、佐々木昭一郎、ヨアンナ・コス=クラウゼ、中みね子、オタール・イオセリアーニ、アフィア・ナサニエル、ソンタルジャ、アクタン・アリム・クバト、日向寺太郎と、国内外の名だたる映画作家にお会いすることができた。産経新聞を退職後、最初に原稿を依頼してくれたのも岩波ホールが発行する機関誌の「友」だったし、本当に感謝に堪えない。

 2020年には、3月21日公開予定だった「モルエラニの霧の中」のパンフレットに坪川拓史監督のインタビューを書かせてもらい、続くラインアップも楽しみにしていたところに新型コロナウイルスがやってきた。ほかの映画館が成り行きを見守る中、岩波ホールはいち早く「モルエラニの霧の中」の延期を決断。この珠玉の作品を万全の態勢で見てほしいという配慮だったが、以後も順繰りに延期され、9月には当初から予定されていたリニューアル工事に突入した。

 今年2月6日、「モルエラニの霧の中」はリニューアル後の第1作として、1年遅れで公開。連日、大勢の観客でにぎわったが、第3波、第4波の襲来で、再び映画業界に暗雲が立ち込める。4月25日からは東京都などに3回目の緊急事態宣言が出され、大手シネコンなど軒並み休館を余儀なくされる中、岩波ホールは、今回は毅然として上映を続行。ホームページに換気実証実験の動画を掲載するなど、感染予防に万全を期していることを訴え、来場を呼びかけている。横並びではない個性派劇場の気概がひしひしと伝わってくる。

 で、「ペトルーニャに祝福を」だ。当初は「モルエラニの霧の中」に続いて2020年4月25日に封切られるはずだった作品で、岩波ホールの英断がなければ、またさらに延期される危険性もあった。どうやら5月22日に無事に初日を迎えることができそうで、作品の関係者はほっとしているのではないか。

 舞台はバルカン半島に位置する旧ユーゴスラビアの小国、北マケドニア。あまりなじみのない国の、それも東方正教会というキリスト教の教派がモチーフになっているなどと聞くと、ちょっととっつきにくいと思われるかもしれないが、さにあらず。日本を含む世界中で抱える現代の社会問題を鋭く皮肉った作品で、適度なユーモアもあって十二分に楽しめる娯楽作になっていた。

 小さな町に両親とともに暮らすペトルーニャ(ゾリツァ・ヌシェヴァ)は、大学で歴史を学んだものの就職口が見つからず、32歳の今も怠惰な毎日を過ごしていた。口うるさい母親が知人のつてで見つけてきた仕事の面接にいやいや行くと、面接官からはセクハラまがいの行為を受ける始末。帰り道、やけくそ気味のペトルーニャは、偶然に出くわした伝統の神事で、手に入れた者は幸せになれるという十字架をつい、つかみ取ってしまう。だがその神事は、男性にしか参加が許されていない厳粛なものだった。

 怒り狂った男どもやテレビの取材クルーなどで混乱する現場から逃げ帰ったペトルーニャだが、やがて警察に連行される。司祭や警察署長の説得にも、頑として十字架を返そうとしないペトルーニャ。果たして彼女は、幸せを手にすることができるのか。

 映画はその一つきりの争点で推移するが、ここには男女格差を軸にさまざまな社会問題が横たわっている。女性を見た目だけで判断する一般の風潮。厄介な事案には深入りしたくない教会や警察の日和見主義。独善的な正義感だけで突っ走るマスコミの無責任体質。現在はベルギーに住む1974年生まれのテオナ・ストゥルガル・ミテフスカ監督は、そんな北マケドニアの社会にはびこる病巣を、たっぷりの風刺と諧謔を盛り込んで、滋味豊かに織り上げる。

 にやにやして眺めつつ、これらは決して北マケドニアに限ったことではなく、現代の日本にも厳然として存在しているということに気づかされる。伝統を盾に女人禁制を強いる現場は数々あるし、だから公的な立場にある人間が「女性が多いと会議が長い」と平気で発言しても、失言だとは思わない。根っこは日本も北マケドニアも、恐らく世界中どこでもおんなじだ、ということを改めて知らしめてくれた気がする。

 コロナ禍で公開が1年延びたが、日本の政治、社会の貧困が浮き彫りになった今の方が、胸にずしりと突き刺さる作品になっているかもしれない。岩波ホールの判断が、図らずも功を奏したと言えるかもね。(藤井克郎)

 2021年5月22日(土)から岩波ホールなど全国で順次公開。

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北マケドニア・フランス・ベルギー・クロアチア・スロベニア合作「ペトルーニャに祝福を」から。警察に連行されたペトルーニャ(ゾリツァ・ヌシェヴァ)は…… © Pyramide International

北マケドニア・フランス・ベルギー・クロアチア・スロベニア合作「ペトルーニャに祝福を」から。なかなか幸せが訪れないペトルーニャ(ゾリツァ・ヌシェヴァ)だが…… © Pyramide International