コロナ時代に問う地域文化の姿 「裏ゾッキ」篠原利恵監督、伊藤主税プロデューサー
映画のメーキングという枠を超越しているばかりか、コロナ新時代の地域社会における文化芸術の存在意義をも考えさせるような深いドキュメンタリーになっていた。そうは言っても決して重くはなく、笑いあり、涙あり、と娯楽の要素がいっぱい詰まっている。5月14日(金)から公開が始まった「裏ゾッキ」は、数々のテレビドキュメンタリーを手がけてきた篠原利恵監督(34)が初めて取り組んだ劇場用映画だ。「最初に会ったときにコミュニケーション力、取材力の確かさを感じた」と起用した伊藤主税プロデューサー(42)の言葉に、期待の新人監督は「伊藤さんの説明がまた面白くて、早くカメラを回さないともったいないと思いました」と笑顔で振り返る。(藤井克郎)
★弁当のふたの一つ一つ異なるメッセージ
「裏ゾッキ」は、今年4月に公開された映画「ゾッキ」の舞台裏を追いかけたドキュメンタリーだ。「ゾッキ」は大橋裕之の漫画を原作に、俳優として活躍する竹中直人、山田孝之、齊藤工の3人が共同で監督したジャンル分け不能の作品で、全編を原作者の大橋の出身地である愛知県蒲郡市で撮影した。
「ゾッキ」の製作も担った伊藤プロデューサーによると、当初からメーキング映像を「裏ゾッキ」として劇場公開する予定だったが、篠原監督に白羽の矢を立てたのは、クランクインのわずか1か月ほど前のことだった。以前にプロデュースした山田孝之のドキュメンタリー「No Pain, No Gain」(2019年)の牧有太監督から「新進気鋭の素晴らしい監督がいる」と推薦された篠原監督は、一橋大学大学院で文化人類学を学んだ後、制作会社のテレビマンユニオンに所属。ネット依存やシングルマザー、大相撲など多様な社会が興味の対象だったこともあり、「映画と一緒に地域の創生もやっていきたいという部分もあって、いいものを作っていただけるかな」と伊藤プロデューサーは思ったという。
一方、依頼を受けた篠原監督は、「パン屋さんも居酒屋さんも映画づくりに参加するんです」と興奮して力説する伊藤プロデューサーの言葉に、蒲郡ではすでに面白いことが起きていると実感する。
「それに取り合わせにひかれました。私は異色の組み合わせが大好きで、ドキュメンタリーとしても強度があるものが撮れるだろうなという確信がありましたね。すごく重大な役割だなと思いつつ、やりたいという気持ちが勝って……」と二つ返事で引き受けた。
異色の組み合わせとは、単に撮影場所としてだけでなく、地域住民がスタッフの一部と言ってもいいほど映画づくりにはまっていることだった。「地元の方も仲間とみなすということを伊藤さんが決めていましたからね。役者さんや監督ももちろん追うんですが、それが蒲郡で起きているんだということが、この映画の場合、特別なことなんじゃないかと思ったんです」と篠原監督。
住民の思いが映画製作陣の心をがっちりとつかんだエピソードに、ロケ弁のふたに貼られたメッセージカードがある。蒲郡で居酒屋を営む笹野弘明さんは、撮影中のスタッフ、キャストに弁当を提供する役回りだったが、その弁当には市民が一人一人、直筆でしたためたメッセージが添えられていた。「裏ゾッキ」には、弁当を食べようとして、クルーをねぎらう文言が一つ一つ異なることに気づいた竹中監督らが驚嘆の声を上げる場面が映し出されるが、「それまでは皆さん慣れていないところもあったので、お互いに様子見の部分もあったけど、あれでつながりが出ましたね」と伊藤プロデューサーも認める。
★地元への愛情の深さと映画との相性
こうして3週間に及ぶ撮影期間はあっという間に過ぎ去り、2020年2月24日にクランクアップを迎える。市民と撮影クルーの思いが一つになった瞬間だったが、世の中はすでに新型コロナウイルスが拡大し始めていた。
「裏ゾッキ」ではその後、「ゾッキ」の完成から公開に至る苦難と傷心の日々も、じっくりと見つめる。今年3月20日の蒲郡での先行上映会には、緊急事態宣言中の東京から3監督を招くことはできなかった。あれだけ一枚岩となってロケに尽力した市民の中にも温度差が出てきて、もうすっかり活動をやめてしまった人もいた。
果たして映画に熱狂した幸せな日々が蒲郡に戻ることはあるのか。その答えはこの異色のドキュメンタリーを見てもらうとして、驚くのはつい先月の4月の様子まで収めているにもかかわらず、東京や名古屋では5月14日(金)から公開中であることだ。蒲郡ではまだ上映されていないものの、すでに目にした一部の市民からは「私たちの宝物です」との言葉をもらっている。
蒲郡にほど近い愛知県豊橋市出身の伊藤プロデューサーによると、蒲郡はもともと繊維産業で発展し、市内に温泉がいくつもあるなど、観光でも潤っていた。「それがわかりやすく衰退していった」と話す伊藤プロデューサーは「ここの人たちは自分たちの育った町のことが大好きで、ここを守りたい、盛り上げたいという思いが根幹にある。そのことが映画と非常に相性がよかった。映画は、人をまとめるとか、やる気にさせるとか、一つにできるとか、そういう力を持っている。何か町でやってみようよ、ということに映画は非常に適していると思います」と強調する。
★映画は必要なものかという問いの怖さ
だがそんな映画の力が、コロナ禍で揺らいでいるのも確かだ。「裏ゾッキ」が公開されている東京の映画館、アップリンク渋谷は、5月20日(木)で閉館することになっているし、自粛要請などで全国どこの映画館も厳しい経営に直面している。
「コロナは、蒲郡の人たち一人一人にとって、映画との付き合い方が変わってくるポイントだったと思います。映画を作っている半狂乱のときは、細かいことは考えずに乗った者勝ちの楽しさを味わっていて、幸せな日々だった。でもコロナのせいで、それぞれの優先順位が変わってしまい、今また映画のおかげで再び集まることができた。そんな皆さんの姿を撮っているだけで、いろいろと考えさせられましたね」
そう話す篠原監督は、映画が生活に必要なものなのかどうかは、この「裏ゾッキ」を通して一人一人が考えてくれたらと願っている。
「私個人としては、映画が必要なのかという問いはものすごく怖い。もちろん人命の方が上だっていうのもわかるし、コロナを収束させなきゃいけないというのは大前提なんですけど、こんなにも人が夢中になっているものをほかの人が必要かどうか判断するということは、とても恐ろしいことだと思うんです」と話す篠原監督は、初めての劇場用映画が公開された今、これまでに携わってきたテレビとの違いを実感している。
「一生懸命にドキュメンタリーを作るという点ではどちらも同じなんですが、お客さんが映画館という暗闇の場所に集まって、こんなにも積極的に見てくれるということにびっくりしましたね。感想も一人一人さまざまだし、映画ってお客さんがいて完成するんだなと思う日々です。上映館を広げていくのは困難な状況ではあるけれど、幸いこの映画のチームは知恵と工夫を出し合って乗り切ろうとしている。上映できないよ、と暗い雰囲気じゃないのが後押ししていますね」と、蒲郡の人たちを含めた仲間に感謝していた。
◆篠原利恵(しのはら・りえ)
1987年生まれ。茨城県出身。早稲田大学を卒業後、一橋大学大学院で文化人類学専攻。2013年、テレビマンユニオンに入り、NHKやフジテレビなど数々のテレビドキュメンタリーを手がける。2016年にはNHK BS1「ドキュメンタリーWAVE/子どもたちの“リアル”を取り戻せ 韓国ネット依存治療最前線」でATP(全日本テレビ番組製作者連盟)優秀新人賞を受賞した。
◆「裏ゾッキ」
撮影・編集・監督:篠原利恵 音楽:重盛康平 題字:大橋裕之
出演:蒲郡市の皆さん、竹中直人、山田孝之、齊藤工 ほか ナレーション:松井玲奈
主題歌:竹原ピストル「全て身に覚えのある痛みだろう?」(ビクターエンタテインメント)
配給:イオンエンターテイメント
2021年5月14日(金)から、東京・アップリンク渋谷、名古屋・伏見ミリオン座で「ゾッキ」とともに公開中。21日(金)からは東京・アップリンク吉祥寺、神奈川・鵠沼海岸のシネコヤ、22日(土)からは神奈川・本厚木のあつぎのえいがかんkiki、大阪・十三のシアターセブンなど、全国順次ロードショー。
Ⓒ2020「裏ゾッキ」製作委員会
ドキュメンタリー映画「裏ゾッキ」の裏話を披露する篠原利恵監督(左)と伊藤主税プロデューサー=2021年5月18日、東京都渋谷区(藤井克郎撮影)
蒲郡の市民手づくりのマスクをかけて笑顔を見せる篠原利恵監督=2021年5月18日、東京都渋谷区(藤井克郎撮影)
ドキュメンタリー映画「裏ゾッキ」から。3人共同で「ゾッキ」を手がけた齊藤工、竹中直人、山田孝之の各監督(手前右から) Ⓒ2020「裏ゾッキ」製作委員会
ドキュメンタリー映画「裏ゾッキ」から。お弁当には蒲郡市民の手書きによる一つ一つ異なったメッセージが添えられていた Ⓒ2020「裏ゾッキ」製作委員会