第79夜「おらおらでひとりいぐも」沖田修一監督
ミニシアター党としては、どうしてもオリジナルストーリーを貫く映画作家に肩入れしたくなるんだけど、原作ものでも優れた作品はいっぱいある。この「おらおらでひとりいぐも」は、芥川賞を受賞した若竹千佐子のベストセラー小説を原作にしながら、映画でなくては表現できない多彩な工夫が随所に施されていて、沖田修一監督の個性が遺憾なく発揮されている。しかも主だったシネコンチェーンで全国一斉公開されるということで、どうか多くの人に足を運んでもらいたいと願わずにはいられない。
主人公は70代の桃子さん(田中裕子)。2人の子どもはとうに巣立ち、夫には先立たれて、都会の片隅でもう長いこと一人ぼっちで暮らしている。やることといったら、ちゃぶ台の前に座ってお茶をすすることと、46億年におよぶ地球の歴史を図書館で調べてノートに書き込むことくらい。今日も代わり映えのしない一日が過ぎていく。
そんな孤独な日常を描いて、しかも2時間を超えてもちっとも飽きることのない楽しい作品に仕上げるのだから、映画の魔法には恐れ入る。
その最大の創意が、桃子さんを演じるのが田中裕子だけじゃないということだろう。生まれ故郷の東北から20歳で上京してきた当時は蒼井優が扮するが、それだけでもない。原作では、一人暮らしの桃子さんの寂しい心の中を、東北なまりの言葉が騒々しく飛び交うという表現がなされている部分、その心の声の「柔毛突起ども」が、映画では可視化されるのだ。
さてどうやって可視化されているのかは、ぜひとも劇場で確かめてもらいたいが、そのことが小説とはまた違った映画ならではの豊かさをもたらしている。言ってみれば現実には起こりえないファンタジーなんだけど、見ていて全く違和感がないから不思議だ。病院のロビーで居合わせた全員がこの柔毛突起どもの声に反応しても、まるで不自然に感じない。映画の世界にどっぷりと浸かっているわが身に気がつく。
ほかにも桃子さんの感情のうねりを表現する多彩なアイデアには舌を巻くばかりだ。一人寂しく座っている居間がぎゅーんと伸びたり、きらびやかなナイトクラブで田中裕子が熱唱したり、雪が降り積もる中をマンモスと一緒に家路に向かったり、すてきで奥深いイメージがスクリーンいっぱいに広がる。映画でなければ得られない情緒が、どんどんどんどん湧き出してくる。
中でも最大の見せ場は、桃子さんが亡き夫の周造(東出昌大)の墓参りに行く場面だ。リュックを背負って、林の中を一人っきりでさまよい歩く。途中、亡き夫と出会い、若かりし頃の自分と向き合い、子ども時分の家を訪ねる。本当は人一倍の寂しがり屋なのに、夫が死んで自由になれると頭をかすめたことが後ろめたさとなり、あえて一人で生きている自分。でもやっぱり誰かと交わりたい。そんな複雑な桃子さんの心情が見事に表現されていて、ぐっと胸に迫ってきた。
それにしても沖田監督は、前作の「モリのいる場所」(2018年)では、97歳で没した実在の画家、熊谷守一の最晩年をモチーフに老後の忙しい一日を映画にするなど、高齢映画づいている。今年43歳の若さでここまで老人の心をすくい取り、それでいて決して枯れた感じではなく生き生きと生を描くなんて、なんとも驚くばかり。他に類を見ない非凡な才能であることは間違いない。(藤井克郎)
2020年11月6日(金)、全国公開。
© 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会
沖田修一監督作品「おらおらでひとりいぐも」から。一人暮らしの桃子さん(田中裕子)は、夫の墓参りに出かけるが…… © 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会
沖田修一監督作品「おらおらでひとりいぐも」から。桃子さんを演じる田中裕子が、一人暮らしの孤独な心情を見事に表現する © 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会