高齢男性同性愛者の実像を可視化 「老ナルキソス」東海林毅監督

「ナルキソス」とは、ギリシャ神話に登場する美少年のことだ。自分しか愛せないナルキソスは自己愛を意味するナルシシズムの語源にもなっているが、映画「老ナルキソス」の主人公はナルシストの男性同性愛者で、孤独のまま高齢を迎えた。そんな老人が若いゲイと出会って……、というところから豊かな人間ドラマが紡がれていく。メガホンを取った東海林毅監督(48)は「特に高齢の性的マイノリティーはあまり可視化されておらず、取り上げられるとしても苦難を耐え抜いた象徴みたいに描かれがち。そうではなく、もっとフラットな高齢者像を見せたかった」と語るが、主人公が直面する愛と孤独は人間の本質に迫る普遍的なもので、きっと多くの人が共感を覚えるに違いない。(藤井克郎)

★2つの世代の意識の違いに社会性も組み込む

 絵本作家の山崎(田村泰二郎)はナルシストのゲイで、衰えゆく自分の姿に耐えがたいものを感じていた。作家としても壁にぶち当たっていた山崎は、ある日、若いゲイのレオ(水石亜飛夢)と出会って、その美しさのとりこになる。山崎の絵本で育ったというレオも、彼と過ごす時間はかけがえのないものになっていったが、レオには一緒に暮らす隼人(寺山武志)というパートナーがいた。

 映画は、山崎とレオの共鳴と反発を軸に、山崎の昔のゲイ仲間の現状やレオと隼人との考え方の違いなど、世代を超えた男性同性愛者の物語が多角的に進行。パートナーシップ制度や養育里親制度など性的マイノリティーをめぐる社会の動きも取り入れつつ、やがて再生に向けて山崎が新作の絵本に取り組むまでが、VFX(視覚効果)なども駆使してふくよかにつづられる。

 もともとは2017年に発表した同名の短編映画がベースになっていて、この短編が世界各地の国際映画祭に招待されて上映された際、行く先々で「長編にしないのか」と声をかけられたことが今回の長編化に結びついた。

「自分としてはもう短編で完結しているしなあ、と思っていたのですが、上の世代や逆に若い人たちとも交流するうち、同じ男性同性愛者であっても、生きてきた時代によって考え方や人権意識が全然違うということが目についた。せっかく短編で世代の違う2つのキャラクターを描いたわけだし、社会性まで踏み込めるのであれば長編にする価値があるなと思ったんです」と東海林監督は振り返る。

★テレビのコントで傷ついた思春期の経験から使命感も

 練り直す中で特に細かくリサーチをしたのが、性的マイノリティーに関する制度の部分だった。全国の自治体で急速に導入が進められているパートナーシップ制度については、制度を利用する可能性のある同性愛の当事者ですらよくわかっていない面が多い。東海林監督は徹底的に調査を重ね、東京都内のある区の制度を参考にして、かなり正確に映画の中で再現した。

「同性愛の当事者には、この制度についてどう思うかということを、それぞれ自分たちで考えてほしいと思っています。そして恐らく現時点では制度を使う必要のない人たちも、例えば自治体に勤めている人だったら、うちでも取り入れてみようかなと思ってもらえるとうれしいですね」

 こうアピールする東海林監督自身、バイセクシュアルであることを公言している。武蔵野美術大学に在学していたころから映像活動を始めた東海林監督は、1995年に「Lost in the Garden」で東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(現レインボー・リール東京)の審査員特別賞を受賞。大学を自主退学後は「喧嘩番長 劇場版~全国制覇」(2010年)といった商業映画を手がける一方、自主映画という形で性的マイノリティーをテーマにした作品を世に送り出してきた。2021年に発表したトランスジェンダーがモチーフの短編「片袖の魚」は、全国で劇場公開されたほか、ヒューストン国際LGBTQ映画祭で最優秀中編賞に輝くなど、国内外で話題を集めた。

 今回の長編「老ナルキソス」を含め、性的マイノリティーを描くことに何か使命感みたいなものがあるようにも思える。そう尋ねてみると、「恥ずかしいですけど、そういう気持ちがちょっとはありますね」と言って、子どものころに放送されていたテレビのバラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげです」のコントで、ゲイのキャラクターが登場する「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」のことに言い及んだ。

「同性のことを好きになっていいんだろうかと悩んでいた思春期の真っ最中だったので、かなり傷つきました。コント自体は面白いから、僕も家では家族と一緒にげらげら笑って見ていたのですが、次の日に学校に行くのが怖かった。自分もあのキャラクターと一緒だと知られたら、もうおしまいだって。クラスのみんなも見ているから話題になるし、キャラクターのまねをする奴もいたりして非常につらかった。だからこそメディアの責任というものにすごく敏感になっていて、可能な限り性的マイノリティーの映像作品をやりたいなと思っているんです」

★高齢の当事者からもらった「違和感ない」の感想

 当時と比べると性的マイノリティーに対する理解もかなり深まったとは言え、偏見や差別がなくなったわけではない。「老ナルキソス」がほぼ完成していた2022年の夏、政治団体の神道政治連盟が性的マイノリティーに対する差別的な言説が載った冊子を自民党の国会議員に配布していたことが判明。自民党本部前で抗議のデモが行われ、東海林監督も参加したが、そのときに若い当事者が登壇し、「生まれ変われるなら、ゲイには生まれ変わりたくありません」と泣きながらスピーチしている姿を目にして、改めて差別の根深さを痛感した。

「甘く見ていたというか、ぬるま湯に浸かっていたような気持ちになりました。まだこんな若い人でも、涙ながらに訴えなきゃならないくらいつらい現実があるんだなというのを見せつけられた。映画でこんな緩い描き方をしてしまってよかったのだろうかと、かなり悩みました」と打ち明ける。

 だが完成した作品を試写で見たゲイ当事者の反応は熱いものだった。特に60代、70代からの反響が顕著で、今までゲイが描かれた映画をいっぱい見てきたけれど、どこか引っかかっていた、という人が「70年間ゲイとして生きてきて、初めて最初から最後まで、あれっ、と思うところが1カ所もなかった」と言ってくれたという。

「20代、30代のゲイのカップルも、40年間ゲイバーをやってきた方も、同じ感想をいただけたのにはびっくりしました。これは僕たちのストーリーだ、リアリティーがある、という感想は本当にうれしかったですし、世代を超えて伝わるんだな、と興味深く感じています」

★興味のない人にも理解させるナラティブの力

 今後も性的マイノリティーをはじめ、可視化されにくい人たちに焦点を当てた映画づくりを続ける覚悟だが、特に気になっているのは「片袖の魚」で取り上げたトランスジェンダーの人たちだという。日本だけでなく世界中のどこの国でもトランスジェンダーに対する差別は依然として根強く、得体の知れない存在との言説が横行している。

「例えばトランスジェンダーの女性と言っても人それぞれで、適合手術をしている人もいれば、していない人もいるけれど、みんな女性です。でも毛むくじゃらの女装した男が女性トイレに入ってきて乱暴をするんじゃないかとか言って、どんどん差別をあおる。そういった言説に対抗していかなきゃいけないし、当事者の表象が世の中にいっぱいあふれれば、差別もやりにくくなりますからね。当事者の姿がメディアでいっぱい流れていれば、あなた方が言っているような人じゃない、となりますが、まだそうはなっていない。だから可能な限り映画で描いていって、対抗していく必要があるんです」

 その手段として、映画というのはどれほど有効なのだろうか。

「いわゆるナラティブの力、物語の力ってものすごくあると思っていて、例えば制度の問題にさほど興味のない人でも、物語の中で自然に描かれていれば、ああ、こういうことなんだ、と理解してくれるのではないか。最初から、こういう制度だから知ってください、と言っても、いやいや、別に興味ないから、となってしまうようなものでも、映画は間口を広げて見せてくれる力があると思う。特に劇映画はいろいろと創作できるというのが強いなと感じています」

「老ナルキソス」も、不特定多数が見にくる劇場公開と同時に、世界各地の映画祭に出品して、日本とは異なる文化背景を持つ人たちに見てもらうのも楽しみにしている。5月のロサンゼルス・アジアン・パシフィック映画祭でのワールドプレミアを皮切りに、性的マイノリティーの権利を啓発する活動が世界中で行われるプライド月間の6月には、サンフランシスコ、ベルリン、ムンバイの映画祭で上映される。特にインドのムンバイで開かれるKASHISHムンバイ国際クィア映画祭は、前作の「片袖の魚」で主役を演じたイシヅカユウが主演俳優賞を受賞しており、そのお礼も兼ねて参加する予定だ。

「ただ『老ナルキソス』は紛れもなく日本の男性同性愛者のストーリーですからね。それぞれの国で制度なども全然違ったりしますし、ほかの国でどういうところが評価されたり理解されたりするのかというのは、ものすごく気になります」と期待と不安を口にした。

◆東海林毅(しょうじ・つよし)

1974年生まれ。石川県出身。武蔵野美術大学在学中から活動を開始し、1995年「Lost in the Garden」が東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で審査員特別賞を受賞。商業作品を監督する傍ら、主に自主映画の中でLGBTQ+と社会との関りを探ってきた。同名の短編「老ナルキソス」(2017年)が国内外の映画祭で10冠を獲得。短編「片袖の魚」(2021年)では日本で初めてトランスジェンダー当事者俳優の一般公募オーディションを行い、話題となった。

◆「老ナルキソス」(2022年/日本/110分)

脚本・監督:東海林毅

音楽:渡邊崇 挿入歌:ブルジョワの嘆き(詞:J・ブレル、曲:J・コルチ、歌:井関真人) 劇中絵本イラスト:近藤康平

プロデューサー:須田敬介、伊藤正美、有馬顕、東海林毅

撮影:神田創、一坪悠介、渡辺一平 撮影応援:中尾正人 照明:丸山和志 録音・音響効果:佐々井宏太 美術:片平圭衣子 編集・VFX:東海林毅 ヘアメイク:東村忠明 スタイリスト:福本紫織 助監督:小池匠 キャスティング:伊藤尚哉 ラインプロデューサー:石塚洋平 製作担当:石川真吾 ロケーションマネージャー:上野遼平 アシスタントプロデューサー:濱垣遥

出演:田村泰二郎、水石亜飛夢、寺山武志、日出郎、モロ師岡、田中理来、新垣篤、タカハシシンノスケ、遠藤史崇、荒木ロンペー、湯沢勉、椎名綾子、松林慎司、山下ケイジ、新海ひろ子、三輪千明、根矢涼香、富士たくや、津田寛治、千葉雅子、村井國夫

協賛:ヨコシネDIA 製作:老ナルキソス製作委員会(オルタナ、dexi、エル・エー、みのむしフィルム)

制作プロダクション:エル・エー 配給:オンリー・ハーツ

2023年5月20日(土)から東京・新宿K‘s cinemaなど全国で順次公開

© 2022 老ナルキソス製作委員会

「老ナルキソス」について「高齢の性的マイノリティーの現実を見せたかった」と語る東海林毅監督=2023年4月28日、東京都千代田区(藤井克郎撮影)

「老ナルキソス」について「高齢の性的マイノリティーの現実を見せたかった」と語る東海林毅監督=2023年4月28日、東京都千代田区(藤井克郎撮影)

東海林毅監督作品「老ナルキソス」から。山崎(左、田村泰二郎)は若いレオ(水石亜飛夢)にひかれるが…… © 2022 老ナルキソス製作委員会

東海林毅監督作品「老ナルキソス」から。絵本作家の山崎(右、田村泰二郎)は、レオ(水石亜飛夢)とともにかつての恋人を探す旅に出る © 2022 老ナルキソス製作委員会