第203夜「EO イーオー」イエジー・スコリモフスキ監督
恐らくポーランド出身のイエジー・スコリモフスキ監督ほど、たびたび日本を訪れている世界の巨匠はいないのではないか。何しろ2012年にスタートした「ポーランド映画祭」では毎年、監修を務めていて、2020年にコロナ禍になるまでは、必ず舞台挨拶に顔を見せていた。前作の「イレブン・ミニッツ」(2015年)が公開された2016年にインタビュー取材をしたとき、来日回数について「年に2回来たこともあるから、10回くらいになるかな」と話してくれたが、高齢ながらも移動が全く苦にならないどころか、日本に来るのが楽しみで仕方がないといった風情だった。
そんな腰の軽いスコリモフスキ監督の7年ぶりとなる新作「EO イーオー」は、何と1頭のロバが国境を越えて旅をするという異色のロードムービーだ。この5月5日で85歳になるが、さまざまな人間の11分間のドラマを多面的に描いた前作「イレブン・ミニッツ」に続き、またまたみずみずしい感性が全編にあふれる意欲作で、度肝を抜かれた。
主人公は、物言わぬロバのEOだ。EOはポーランドのサーカス団で、パフォーマーのカサンドラ(サンドラ・ジマルスカ)に最愛のパートナーとしてかわいがられていたが、動物愛護団体の抗議などで仲を引き裂かれてしまう。孤独な旅を続けるEOだが、サッカーの試合ではいななきがきっかけでチーム間の暴力沙汰に発展し、難民の少女とともに長距離トラックの世話になったかと思えば、気のいいドライバー(マテウシュ・コシチュキェヴィチ)が思わぬ悲劇に見舞われる。やがてイタリアにたどり着いたEOは、キリスト教の司祭(ロレンツォ・ズルゾロ)や癖の強い伯爵夫人(イザベル・ユペール)らと出会い……。
EOは行く先々で、決して意図的な行動を取るわけではない。ただそこにいるだけなのに、人間の側が勝手に振り回され、やがて中途半端な形でEOの前からフェードアウトする。言ってみればEOは地球の代弁者であり、人間が知恵や経験則から、地球の営み、すなわち自然をコントロールした気になっても、地球の気ままな意思の上で転がされているだけなのだ、という寓意が込められているような気がする。それを裏づけるように、横幅の狭いスタンダードサイズで描かれた自然の映像はあまりにも美しく、それがかえって皮肉に映る。
ラクダ、馬、オオカミに家畜の豚、牛、さらにはアリもクモもセミも、あまた登場する動物たちの描写もそんな一部で、彼らは大騒動を巻き起こす人間とは異なり、EOの旅を冷静な視点でただ見つめるだけだ。あるものはちらっと、あるものはじっくりと、でもいずれも確かに意味のある存在としてEOと絡む。サラブレッドなどはご丁寧にもスローモーションを駆使して、躍動感たっぷりに見せる。深紅に染まった夕景も含め、この自然の崇高さと比べると、欲望まみれの人間の何と滑稽なことか。動物たちのそんな嘆息が、スクリーンの端々から聞こえてくるような気がする。
それにしても設定の奇抜さだけでなく、EO にだけ焦点を当てたカメラワークに、オペラからヘヴィメタまで幅広いジャンルを駆使した音楽と、スコリモフスキ監督の若々しいセンスには本当に驚かされる。もともと母国ポーランドで映画づくりを始めたが、ベルギーで撮った「出発」(1967年)がベルリン国際映画祭で最高賞の金熊賞を受賞。世界的な評価を受ける一方、次の「手を挙げろ!」(1967年)が共産主義時代のポーランドで上映禁止になり、以後は外国での撮影を余儀なくされる。国境を軽々と越えるフットワークのよさも、この苦難の歩みで培われたものかもしれない。
実はスコリモフスキ監督には、今から25年前の1998年にもインタビュー取材をしている。くだんの伝説的作品「出発」が日本で初公開されるのに合わせて来日したときで、これが初めての日本訪問だった。「ぜひ日本でも映画を撮りたい」と話していたが、2度目にインタビューした2016年にそのことを聞くと、監督はこんなおちゃめな回答を返してくれた。
「今のところ、日本での映画撮影はまだ夢の段階だけど、幸いなことに私は永遠の若者ですからね。もう数十年、待ってください」
道理で若々しいわけだ。(藤井克郎)
2023年5月5日(金)から、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町など全国で順次公開。
© 2022 Skopia Film, Alien Films, Warmia-Masuria Film Fund/Centre for Education and Cultural Initiatives in Olsztyn, Podkarpackie Regional Film Fund, Strefa Kultury Wrocław, Polwell, Moderator Inwestycje, Veilo ALL RIGHTS RESERVED
イエジー・スコリモフスキ監督のポーランド、イタリア合作映画「EO イーオー」から。図らずも旅に出ることになったロバのEOは…… © 2022 Skopia Film, Alien Films, Warmia-Masuria Film Fund/Centre for Education and Cultural Initiatives in Olsztyn, Podkarpackie Regional Film Fund, Strefa Kultury Wrocław, Polwell, Moderator Inwestycje, Veilo ALL RIGHTS RESERVED
イエジー・スコリモフスキ監督のポーランド、イタリア合作映画「EO イーオー」から。地球の営みを感じさせる映像美も作品の魅力の一つだ © 2022 Skopia Film, Alien Films, Warmia-Masuria Film Fund/Centre for Education and Cultural Initiatives in Olsztyn, Podkarpackie Regional Film Fund, Strefa Kultury Wrocław, Polwell, Moderator Inwestycje, Veilo ALL RIGHTS RESERVED