第153夜 「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」フィリップ・ファラルドー監督

 ときどき、と言うか、ごくごくたまになんだけど、あ、これは自分の映画だ、と思う作品に出くわすことがある。映画というものは本来、共感とか感情移入といった物差しで測ってはいけないと自戒しているが、どうしても個人的な心情や記憶に突き刺さって、心が震えるってことがあるんだよね。

 この「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」が、まさにそうだった。お恥ずかしい限りだが、試写室で見ている途中から25年ほど前の思い出がまざまざとよみがえってきて、ちょっと冷静ではいられなくなってしまった。

 1997年のこと、産経新聞社の社内留学制度を利用して、1年半の海外武者修行に出る機会を得た。渡航先は米ロサンゼルスで、英語と映画ジャーナリズムを学ぶというのが名目だったが、学校で講義を受けるだけでは何も身につかないと思い、映画記事を扱う媒体で実地に修練を積むことを考えた。新聞や雑誌に片っ端からレジュメ(履歴書)とカバーレターを送りつけ、何社かの面接を経て、運よくフリーペーパーの「LAウイークリー」にインターンとして潜り込むことができた。

 LAウイークリーは、街角の至る所に設置してある専用ラックから誰でも持ち出し可能な無料のタブロイド紙で、政治、経済にゴシップネタから不動産広告に恋人募集と、何でもありの情報が200ページ前後の中にぎっしりと詰まっている。英語ではmainstream paper(主流紙)に対してalternative paper(代替紙)と呼ばれていて、中でも文化、娯楽記事は高い評価を受けていた。有名なニューヨークの「ザ・ヴィレッジ・ヴォイス」は系列紙に当たる。

 インターンの主な業務は記事のファクトチェック、つまり事実関係の確認で、上司がマーカーで線を入れた箇所が正しいかどうかを調べるというものだった。スペルや文法をチェックする校正とは異なり、書いてある内容にまで踏み込むから、もちろん長文の記事だって全文に目を通すし、一つの記事のチェックに何日もかかる場合がある。当時はインターネットもそれほど発達していなかったし、携帯電話なんてほとんど普及しておらず、いちいち固定電話で確認作業を行っていた。

 例えば「タイタニック」の映画評に「ディカプリオがまるでレイカーズのファンのように拳を振り上げる」という表現があって、それが本当かどうか確かめないといけない。ハリウッドでは作品ごとに担当のパブリシストがいて、その個人に電話でたどり着くまでがまず一苦労。電話番号が分かっても、すぐにはつながらず、ボイスメールに何回もメッセージを残して、ようやく先方からかかってくる。そしてためらいつつも尋ねる。「ディカプリオがレイカーズファンのように拳を振り上げるシーンがあるか」と。答えは「レイカーズファンみたいかどうかは分からないけど、そんな場面はあるわね」だった。

 インタビュー記事だと、当の本人に電話確認することもあった。「十戒」(1956年、セシル・B・デミル監督)などに出ていた俳優のニナ・フォックなんてすごく感じがよかったが、最も強く印象に残っているのは、ニューヨークの伝統ある週刊誌「ザ・ニューヨーカー」の美術記者、ローレンス・ウェシュラー氏だ。亡命アーティストに取材した著書「Calamities of Exile(亡命の災難)」についてのインタビュー記事だったが、こちらの拙い英語の質問にも懇切丁寧に応じてくれた。日本から記者修業でロサンゼルスに来ていることを告げると、「ニューヨークに来ることがあったらぜひ連絡してほしい」とまで言ってもらった。

 1年半の留学期間の最後、映画祭参加も兼ねてニューヨークに少しだけ滞在した。駄目もとでウェシュラー氏に電話をかけると、ザ・ニューヨーカーの本社ビルまでいらっしゃいと言う。2日後、快く迎え入れてくれたウェシュラー氏は、原則非公開の書庫にも案内し、ザ・ニューヨーカー誌に掲載された過去の原稿を収めた棚まで見せてくれた。筆者別にスクラップされていて、「これらはナボコフ、こっちはサリンジャーだよ」と錚々たる作家の名前を挙げる。「ウェシュラーさんの記事はどれですか」と聞くと、おもむろに棚から原稿の束を取り出してくれたときのうれしそうな表情は、今も忘れられない。

 随分と前置きが長くなってしまったが、本題に移りたい。「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」は、英語の原題を「My Salinger Year」といって、作家のジョアンナ・ラコフが2014年に刊行した自叙伝を、カナダ出身のフィリップ・ファラルドー監督が映画化したものだ。原作は「サリンジャーと過ごした日々」のタイトルで翻訳されている。

 時は1995年。作家を夢見るジョアンナ(マーガレット・クアリー)は、西海岸に恋人を残して一人、ニューヨークにやってくる。人材会社で老舗の出版エージェンシーを紹介され、ベテランエージェントのマーガレット(シガニー・ウィーバー)に編集アシスタントとして採用される。担当作家に伝説の存在のJ.D.サリンジャーを抱えるマーガレットから与えられた最初の仕事は、大量に送られてくるサリンジャー宛てのファンレターを、すべて目を通した後で廃棄するというもの。だが実はジョアンナは、サリンジャーの作品を一冊も読んだことがなかった。

 映画は、自分にも他人にも厳しい上司と、電話だけの関係が続く老文豪、そして有象無象の文学ファンとのやり取りなどを通して、ジョアンナがちょっとだけ成長していく過程が、都会風のおしゃれな雰囲気と、幻想と現実を織り交ぜた凝った映像で、さわやかにつづられる。あまりにも切実なファンレターの内容によかれと思って返事を書いたら、ジョアンナの身に災難が降りかかってきたといったリアルなエピソードの一方、ファンレターの文面をファン自身にカメラ目線で語らせるなどファンタジー色もたっぷりで、ファラルドー監督のめりはりの利いた演出が光る。女性の仕事はお茶くみと雑用だけ、といったせりふからは、時代性、社会性も感じられるし、何より名優のアンディ・マクダウェルを母に持つジョアンナ役のマーガレット・クアリーの表現力が素晴らしく、ついつい肩入れして見てしまうんだよね。

 だが極めて個人的に気になったのは、頻繁に登場するザ・ニューヨーカー誌だ。アメリカ文学の良心みたいな存在として描かれていて、ジョアンナが自作の詩を売り込みに本社社屋を訪れる場面などもある。しゃれたフォントのロゴを目にした途端、ウェシュラー氏を訪ねた当時のことが脳裏に浮かび、そう言えば帰国後も毎週、丸善の洋書売り場で購入していたっけな、と思い出した。

 ウェシュラー氏は美術記者ながら、政治や社会、歴史にとアンテナを広げ、何冊も単行本を上梓している。あの日、東京の新聞社で映画記者をしていたことを伝えると、「ぜひ映画単体でなく、社会性との関連で記事を書いてください」と励まされた。ジョアンナはサリンジャーとの出会いを糧に、自らの夢に近づいていった。自分はどうだったんだろうと思うと、ちょっぴり切ない。(藤井克郎)

 2022年5月6日(金)、新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町など全国で公開。

9232-2437 Québec Inc – Parallel Films (Salinger) Dac © 2020 All rights reserved.

アイルランド、カナダ合作「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」から。ジョアンナ(マーガレット・クアリー)の最初の仕事は、サリンジャー宛てのファンレターの山に目を通すことだった 9232-2437 Québec Inc – Parallel Films (Salinger) Dac © 2020 All rights reserved.

アイルランド、カナダ合作「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」から。ジョアンナ(右、マーガレット・クアリー)は、厳しくも優秀なマーガレット(シガニー・ウィーバー)の下で修業を積む 9232-2437 Québec Inc – Parallel Films (Salinger) Dac © 2020 All rights reserved.