第119夜 「DAU. 退行」イリヤ・フルジャノフスキー、イリヤ・ペルミャコフ監督

 ときどきとんでもなく長い映画に出くわすことがある。最近だと、昨年2020年の第21回東京フィルメックスで見た「仕事と日(塩谷の谷間で)」(C.W.ウィンター、アンダース・エドストローム監督)は8時間もの超長尺作品で、途中で3度も休憩が入った。長いのにはそれなりの理由があって、見終わったときには最後まで見た者だけが味わえる満足感に酔いしれたものだ。

 これまでに最も達成感のあった作品は、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督がタジキスタンとの国境を警備する兵士たちの日常を見つめたドキュメンタリー「精神(こころ)の声」(1995年)で、視聴環境によるところも大きい。当時は中目黒の山手通り沿いにあったソニーPCLの試写室で鑑賞したが、上映開始のぎりぎりに到着したせいか、背もたれのない丸椅子で、しかもぐらぐらと不安定な席しか残っておらず、これで5時間28分の作品を見続けるというのは、まさに苦行に近かった。しかも冒頭は、ゆったりと大河が流れる森林の風景を映し出しながら、モーツァルトのピアノ協奏曲をバックにソクーロフ監督がモーツァルトの芸術性について語るナレーションが延々と続き、揺れる椅子だけでなく睡魔との戦いでもあった。これはどうなることやらと不安に駆られたものの、長さに見合うだけの素晴らしい映画だったこともあり、今も深く胸の奥に刻み込まれている。

 さて、「DAU. 退行」だ。9章からなる上映時間6時間9分の作品で、マスコミ試写はなく、DVDでの視聴だったが、見終わっての感想は、うーん、達成感というより、なんかすごいものを見ちゃったな、というのが正直なところだ。

 舞台は1960年代後半の旧ソ連。閉鎖的な秘密研究所では、諸外国から招いた講師による講義にさまざまな実験、それに夜ごとの食事会が繰り広げられていた。研究所内の食堂では毎夜、教授陣が熱い議論を交わし、若い研究者たちは青春を謳歌し、シェフやウェイトレスらは飲んだくれる。所長は権力を盾に贅沢三昧で、美人秘書を意のままにしようとする。見かねた当局が送り込んだのが、かつてKGBの調査官として拷問にも手腕を発揮したウラジーミル・アジッポだった。

 というのが大まかな筋立てだが、このアジッポなる人物、前作の「DAU. ナターシャ」(2020年、イリヤ・フルジャノフスキー、エカテリーナ・エルテリ監督)にも出ていたから、人によってはピンとくるかもしれない。

「DAU」シリーズは、ロシア出身のフルジャノフスキー監督が構想した壮大な映画プロジェクトで、ウクライナのハリコフに1万2000平方メートルの巨大セットを建設。主要キャスト400人、エキストラ1万人を集め、15年以上もの歳月をかけて作り上げた作品だ。

 そんな触れ込みだったから、今年2021年の3月に第1弾「DAU. ナターシャ」をシアター・イメージフォーラムに見にいったときは、拍子抜けするほど意外な気がした。もちろんソ連全体主義を再現したリアリティーはすさまじかったし、演者(プロの俳優ではなく、みんな本人になりきって臨んださまざまな職業の人たちらしい)は大変だっただろうと思うが、1万人のエキストラはどこ?って感じだった。

 それもそのはず、第2弾としてこの「DAU. 退行」があり、さらに何本ものシリーズがすでに完成しているという。小出しの1本が6時間9分とは、全体像を把握するにはいったい何日くらいかかるんだろう。

 時代設定も、「DAU. ナターシャ」がスターリン政権下の1952年だったのに対し、「DAU. 退行」は1966年から68年にかけてで、作品の中でもかなりの時間が経過している。国家秘密の研究所も腐敗と堕落が進み、不正が横行して、締まりのない日常が見受けられていた。だが、そんな中で芽生えていたささやかな自由の芽を、ソ連全体主義は見逃すことがなかったというのが、今回の大きなテーマだ。

 酒と音楽に酔い、理想を語り合っていた将来有望な若い頭脳の代わりに、当局は肉体だけの屈強な青年を実験台として派遣する。酒も一切やらず、当初はおとなしく振る舞っていた彼らだが、やがて……というところに、全体主義体制の恐怖と絶望が潜む。この辺りの描写は極めて強烈で、よくぞ映像化したものだなと驚嘆の念を禁じ得ない。

 さらにこの映画をここまでの長さに導いたものに、講義室や食堂で繰り広げられる数々の議論がある。宗教や思想、哲学に始まり、物理、数学、芸術、経済、果ては人類学、宇宙、未来まで、ありとあらゆる学問、文化をめぐる考察が、繰り返し繰り返しせりふで語られる。これらをよどみなくまくし立てる演者たちの力量に感心するとともに、難解な命題をこんなにも盛り込んで脚本を構築したフルジャノフスキー監督らの知見には驚くばかりだ。ソ連に降りかかるさまざまな未来像は、あれから50年以上がたった今だからこそ語ることができる真理に満ちていて、傾聴に値する。

 だが映画の場合、重要なせりふも、乱痴気騒ぎの映像も、次の瞬間には過ぎ去って、新たな展開に移っていく。そうして後々まで残るのは、感動か、はたまた嫌悪感か。DVDとは違って途中で止めることができない映画館での6時間9分の体験は、いろんな意味で記憶に植え付けられることは間違いない。くれぐれも心して見るように。(藤井克郎)

 2021年8月28日(土)からシアター・イメージフォーラムなど、全国で順次公開。

© PHENOMEN FILMS

ドイツ、ウクライナ、イギリス、ロシア合作「DAU. 退行」から。6時間9分にわたってソ連全体主義の退廃と狂気が描かれる © PHENOMEN FILMS

ドイツ、ウクライナ、イギリス、ロシア合作「DAU. 退行」から。6時間9分にわたってソ連全体主義の退廃と狂気が描かれる © PHENOMEN FILMS