ごく私的な映像で問いかける心身と食

 個人的な出来事と、禅寺での修行と、身体を「肉袋」と捉える視点と、それらを映像作品として織り上げたら、貫いていたのは「食」だった。ダンサーとしても活動する映像作家の吉開菜央監督(38)が自らの出演で完成させた最新作「まさゆめ」は、ドキュメンタリーの範疇をはるかに超越した革命的な映画だ。ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に選出されるなど、極めて私的な作品にもかかわらず国境を越えて訴求する力強さを備えているが、「普遍的に伝わるものがあったということは予想もしていなかった」と謙虚に振り返る。(藤井克郎)

☆自分だけの話にはしたくない

「まさゆめ」はどの映画ジャンルにも属さない、でも明確なメッセージ性がスクリーンから伝わってくる驚くべき作品だ。一番の被写体は吉開監督自身で、彼女が34歳のときに体調を崩し、母との突然の別れを経験したことが動機付けになっている。

 映画の中で吉開監督はある禅寺を訪れる。そこでは規則正しい生活が待っていて、他の参加者とともに質素な食事を摂り、掃除を行い、坐禅を組む。どこの禅寺なのか、なぜ参加しているのかなど、余計な説明は一切なされず、吉開監督も何も話さない。ただ住職の言葉に耳を傾けるだけだが、その言葉がいろいろと示唆に富んでいる。いわく「幸せな人生もつらい人生も、生きている間は全てが夢である」、いわく「降雪片々、別所に落ちず。全ては起こるべくして起こる。死もまたしかり」などなど。

 その修行の合間合間に、吉開監督自身が舞台上で衣服を着せられるパフォーマンスや陽の光を背に魚たちが水の中を泳ぐ情景、畳の上に寝転がっている姿がいつの間にか別人へと変化している映像などが差し挟まれる。その素材も写真あり、アニメーションあり、8ミリフィルムありと多彩で、吉開監督が赤ん坊のころに母親のお乳を飲んでいたり、1歳の誕生日にバースデーケーキのイチゴを母親に食べさせてもらって実にうれしそうな表情を見せたりしているホームビデオもある。確かにごくごく私的な記録なのだが、死ぬまでの時間をどう過ごすかといった人の生き死にに関する本質的な問いが浮かび上がってきて、ぐっと胸に迫ってくる。

「自分だけの話にはしたくないなというのはずっと思っていて、私以外の別の誰かの気配も感じながら、ということは最初から考えていました。普遍性を持つことができたらいいなというのはあったのですが、作っているときは、こうすればそうなる、といった確信はありませんでしたね」と吉開監督は正直に打ち明ける。

☆禅寺での修行から食の根源へ

 禅寺へは映画化の企画の前に一度、訪れていた。心身の不調と母親の死もあったが、直接のきっかけは「土を喰らう十二ヵ月」(2022年、中江裕司監督)という映画を見たことだった。作家の水上勉の料理エッセーを基にした食がテーマの人間ドラマだが、禅寺で修行をすれば映画で描かれているような食にまつわる知恵を授けられるのではないか、と考えた。

「すごく期待をしていったという感じではなく、何かちょっと心身に影響があればいいな、くらいでした。ただ振り返ってみると、確かに禅寺の修行というのは、今までやってきたダンスや映像制作の活動につながる部分があったかもしれません」

 その下山直後に一通のメールが届く。身体をテーマにした映像作品の企画に応募しないかという愛知芸術文化センターからの案内で、やるならこれだな、と禅寺での修行のことが浮かんだ。「応募の段階なので、選ばれるかどうかも分からない。選ばれたらいいな、くらいの気持ちで、隙間を残しつつ企画書を書いていきました」と言う。

 企画が通り、紙芝居のような形で構成を整えていく中で核に据えたのが、3つの要素だった。個人的な経験と禅寺での修行、そして身体を「肉袋」として捉える視点だ。肉袋とは、吉開監督が尊敬している体操家の野口三千三の「身体とは皮膚という柔らかい袋の中にさまざまな液体状のものが詰まっている」という言葉からのインスピレーションで、「人間は肉の袋である」という見方だ。

「普遍性は予想もしていなかった」と語る吉開菜央監督=2026年6月24日、東京都渋谷区(藤井克郎撮影)

☆食事前に米粒を施す儀式に感動

 この3つの要素をつなげて作品にしていったら、自然と「食」が貫いていることに気づいた。例えば作中で「生飯(さば)」という儀式のことが描かれるが、禅寺での修行で初めて知ったことだった。生飯とは、食事を始める前に自分の飯椀から3粒から7粒の米を取って、獣や餓えた鬼に与えるというものだ。

「自分が食べる前に施しを行うということに感動して……。朝も夜もやるのですが、朝、米粒を入れる小皿がみんなの前に回っていくところに朝日がさーっと差して、それがものすごくきれいだったんです。あ、これがいっぱい連なって山になったらすてきだな、と思った。そこから施しのお米がたくさん集まって、それを練って成形したら乳房みたいな形になってミルクが出てくる、というシーンを考えていきました」

 もう一つ、重層低音のように作品全体に流れているのが、タイトルにもなっている「夢」という概念だ。禅寺の住職からも「意識が作り出す感情は全て夢である」と教わり、夢なのか現実なのか、何ともおぼろげなイメージが随所随所に見受けられる。

「母の死以降、ずっと悲しみにとらわれている状態が自分の中で続いていて、いろんな人がいろんな言葉をかけてくれました。。皆さん独自の解釈の物語で励まそうとしていて、それは決して悪いわけではないんだけど、でもそうだよねとは思えない自分がいた。そうしたときに禅寺に行って、笑っていても泣いていても全ては夢だと気づいていなきゃいけない、人の命に価値はなくても全てのものに仏性はある、などとおっしゃっていただいて、ちょっと納得できたというか、あ、そうかと思わされたんです。何か命に対して、全く別の見方を提示されたという感じがありました」

☆毎回が本番の中でカメラを回す

 撮影は吉開監督自身も部分的には担っているが、禅寺での修行や雪の秋吉台を歩いている場面などは「セノーテ」(2019年)の小田香監督に撮ってもらった。小田監督作「Underground アンダーグラウンド」(2024年)の出演者でもある吉開監督は、2021年に大阪のミニシアター、シネ・ヌーヴォで自作の短編を特集上映したときに、小田監督にトークのゲストで来てもらったことがあり、それ以来、ちょこちょこ連絡を取り合う仲だ。

 今回の撮影は初めから小田カメラマンありきではなかったが、禅寺での修行でカメラを回すことができる人となるとそう多くはない。かなり神経を使う作業であり、それができる人をと考えて、やっぱり小田さんにお願いしたいとなったという。

「小田さん自身、禅を体現したような方で、禅寺という環境の中でもすんなり入っていただけた。要は修行中って毎回が本番なんですよね。練習することができない。すごく静かにしていないといけないし、そんなにカメラを動かせない中で、一度構図を決めたらそれっきりなわけです。絵を作るという点でも素晴らしい方です」と大いに感謝している。

 そんな吉開監督が映像に興味を持ったのは、それほど前のことではない。子どものころは歌いたいという欲求が強かったが、歌は得意ではなく、歌うような感じで独自に踊りを始めたのが始まりだった。小学校6年生のころのことだ。

 その後、もっと稽古をしたいとバレエやジャズダンスを習うようになり、日本女子体育大学に進学して舞踊学を専攻。在学中、振り付けやパフォーマンスの創作を手がけるうちに、頭の中で映像的なイメージが広がっていることが分かり、これは映像作品として制作するのがいいかもしれないと思うようになる。もっと映像を学びたいと東京芸術大学大学院の映像研究科に進み、現在は映画に加えてCMやミュージックビデオの演出、振り付けなど幅広く活動している。

☆「心身ごと持っていかれる」映像の魅力

 もちろん舞台の演出、美術なども手がけているが、映像は「巻き込まれる感じ」が魅力ではないかと指摘する。

「それって映像のいいところでも悪いところでもあると思うのですが、心身ごと持っていかれる感じがあって、乗せられるというか、抗えないというか……。映像を撮るときは、ダンスを客観視するというよりは、ダンスをしているときの感覚が見ている人にも憑依してほしいというところがある。体を動かしてもいないのに自分も動かしているような感覚とか、あるいは心が動かされるとか、そういう力が映像にはあるなあと思うんです」

 これまでも「Grand Bouquet」(2019年)がカンヌ国際映画祭の監督週間、「Shari」(2022年)がロッテルダム国際映画祭に出品されているが、今回の「まさゆめ」は2026年2月のベルリン国際映画祭フォーラム部門に選出されたほか、スペインのプント・デ・ビスタ国際ドキュメンタリー映画祭や台湾国際ドキュメンタリー映画祭など数々の映画祭で上映されている。反応としては、極めてパーソナルなことを扱ってはいるけれど、自分のことを思い出したと語ってくれる人が多かったという。

「禅について、全ての宗教は同じようなことを言っていると思うよ、と言ってきた人もいました。どういうふうに受け止められるかは正直、分からなかったのですが、見てくださった人の中に普遍的に伝わるものがあったということでしょう。それは予想もしていなかった出来事でしたね」とうれしそうに語る。

 実はこの映画を作ったことで健康になったという側面がある。禅寺の修行などで腸が整えられ、腸が変わったことで精神状態も変わったという。身体が人格を作っているんじゃないかとまで思うようになった。まだ次の作品としてはぼんやりとしているが、自分の食べ物をなぜ自分で作っていないのか、といった引っかかりは日に日に強くなっている。

「自分で肉をさばいていないとか、土を耕して米を作っていないとか、そういうところに興味や関心がどんどん向かっている。もちろん作品としてアウトプットできるものにもしたいけれど、一度自分の体を作り直したいという欲望もあったりするんですよね」と、さらなる高みを見据えていた。

「巻き込まれる感じが映像の魅力」と語る吉開菜央監督=2026年6月24日、東京都渋谷区(藤井克郎撮影)

吉開菜央(よしがい・なお)

1987年生まれ。山口県出身。日本女子体育大学でダンスを学んだ後、東京芸術大学大学院映像研究科を修了。映画や映像作品、パフォーマンス作品を手がけるほか、CM、ミュージックビデオの演出、振り付けに自ら演者として映画にも出演。主な監督作に「みづくろい」(2013年)、「ほったまるびより」(2015年)、「Grand Bouquet」(2019年)、「Shari」(2022年)など。ミュージックビデオは米津玄師「Lemon」などに出演。東京造形大学非常勤講師。

「まさゆめ」(2026年/日本/110分)

監督・出演・編集:吉開菜央

出演:北村思綺、髙宮梢、真壁遥、内海正考、大迫健司、佐藤桃子、小池陽香、仲本拡史、加藤大輝、Osono、岩渕貞太、関裕美、吉開章子、吉開元彦、吉開月柊

振付:関かおり 撮影:小田香、吉開菜央、宮川真一、横江れいな、仲本拡史 照明:加藤大輝 美術:加藤小雪(TASKO Inc.) 音楽:涌井智仁(大橋可也&ダンサーズ「END THE WORLD」より) 音響:北田雅也 カラーグレーディング:長崎隼人

エグゼクティブ・プロデューサー:越後谷卓司 プロデューサー:吉開菜央、杉原永純 デザイン:畑ユリエ

企画:愛知芸術文化センター 制作:愛知県美術館 協力:宝泉寺禅センター 配給:ホワイトレオターズ 配給協力・宣伝:ブライトホース・フィルム

2026年8月28日(金)から、Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下など全国で順次公開

吉開菜央監督「まさゆめ」から © WHITE LEOTARDS

吉開菜央監督「まさゆめ」から © WHITE LEOTARDS