閉塞感の中で生きる若者へのエール

 そもそもは劇場公開などという大それたことは考えず、身内だけの上映でいいくらいの気持ちで始めた企画だった。園子温監督(60)がワークショップに参加した役者51人と作り上げた「エッシャー通りの赤いポスト」が、好調な出足を見せている。連日、満員の観客が詰めかける劇場に毎日のように足を運んでいる園監督は「やっぱり、活力が得られました、元気が出ました、みたいな感想を聞くと、そうだ、こういう映画をいっぱい作りたいんだ、という気持ちにさせられますね」と相好を崩す。映画づくりの原点に回帰するような作品に懸けた思いについて、園監督に迫った。(藤井克郎)

★ハチ公前で51人が合唱する構想も

 個人的な話になるが、園監督にインタビューをするのは今回で5度目のことだ。最初の取材は1993年の7月、全編ささやくようなせりふのモノクロ映画「部屋 THE ROOM」の公開前で、「映画の前提となるものを全部ぶち壊したい」と意気軒昂に話していた。

 すでに「男の花道」(1986年)でPFF(ぴあフィルムフェスティバル)のグランプリを受賞するなど将来を嘱望される一方、詩人としても耳目を集めていて、数十人で大きな旗を振り回しながら詩を叫びつつ渋谷や原宿の街を駆け抜ける表現活動「東京ガガガ」を主宰。取材がてら参加したときは、ドキュメンタリーの撮影に来ていた「ベティ・ブルー」のジャン=ジャック・ベネックス監督と遭遇し、渋谷ハチ公前のスクランブル交差点で園監督が警察官に連行されるのを目撃し、と大いに刺激を受けたものだ。

 公開中の新作「エッシャー通りの赤いポスト」には、その「東京ガガガ」を連想させるアイテムが散見される。何よりも渋谷のスクランブル交差点でゲリラ撮影をしているのには、思わずほくそ笑んでしまった。

「あのハチ公前の交差点は、本当は51人全員が飛び出してきて、『東京ガガガ』みたいにみんなで合唱するというのをやってみようかなと思ったんです。でもそれには一分の隙もないくらいにやらないといけない。一人でも恥ずかしいなと笑っていたりすると、全部が台無しになってしまう。それで2人に絞ったんですが、いまだに全員がハチ公前で大合唱するのも面白かったかもしれないなという思いはありますね」と園監督はほほ笑む。

★全員が「これは自分の映画だ」と思えるように

 この作品につながる役者のためのワークショップが開かれたのは、2019年6月のことだ。この年の2月、園監督は心筋梗塞で倒れ、生死の間をさまよう経験をする。1カ月後には初のハリウッド作品「プリズナーズ・オブ・ゴーストランド」の準備のため、メキシコ行きが控えていたが、それも延期になってしまった。ぽっかり空いたスケジュールに飛び込んできたのが、ワークショップ講師の依頼だった。

「ただ指導して終わりというんじゃ面白くないから、授業が終わった後にみんなで映画を作りたいなと提案したらOKが出て、じゃあやりましょう、と。その時点では劇場公開作品になる予定ではなく、ただみんなのための映画を作ろうという感じでした」と園監督は振り返る。

 697人もの応募の中から書類審査や2度にわたる演技面談を経て51人に絞り、3日間の日程でワークショップを実施。「エッシャー通りの赤いポスト」の原型となるオリジナルのシナリオは用意していたが、ワークショップを通じて徐々に役柄が増えていき、最終的には51人の一人一人が際立つ群像劇に仕上がっていった。

「51人のための映画なので、主役のためだけに脇がいる、みたいな普通の映画にするべきではないと思った。自信を持って、これは自分の映画だ、と思えるような見せ場を全員に必ず作るよう努力しましたね。映画の完成度とかは考えてもいなかったし、いい意味であまり深く考えずに作ったのが逆によかったのかもしれません」

★虚実入り交じった撮影現場シーン

 作品のモチーフはずばり、映画づくりの現場だ。鬼才と呼ばれる映画監督の新作企画がスタートし、広く出演者を募集することになる。オーディションに集まってきたのは、監督の追っかけ軍団に浴衣姿の劇団員たちと、個性豊かな面々ばかり。役者志望の夫を亡くした切子には母親と義父がついてくるし、父親と2人暮らしの安子は妙に殺気立っている。オーディション会場前では道路工事が行われるわ、プロデューサーは横やりを入れてくるわ、と怒涛の展開の中、最大の見せ場である映画撮影現場へとなだれ込む。園監督とゆかりの深い愛知県豊橋市の商店街で撮影が行われたこのシーンは、映画の勢いと活力を象徴するような場面で、しっちゃかめっちゃかでありながらも非常に心地よいカオスになっている。

「あのシーンは、本当の助監督が、みんな動いて、とか言っているところも、たまたま映っているというか、全部使っている。まじで虚実が入り交じって、どこが本当の現場でどこが映画の中の現場なのかわからない。その辺がよりリアルな感じを出しているのかもしれませんね」と園監督は満足そうに話す。

★アトリエに寄り集まる一座の仲間たち

 撮影が行われたのは2019年8月で、編集を経て後は完成を待つだけのところにコロナ禍が襲ってきた。この経験をステップに、次のステージを目指そうとしていた役者の卵たちにとっては、あまりにも長い2年間だった。園監督によると、中には連絡がつかなくなった人もいれば、結婚して子供ができた人もいる。コロナ禍がなくて、すぐに映画が公開されていたら、彼らにももう少し違う未来があったかもしれないと気に病む。

「でも2年たってもまだ役者への希望を持っている人たちがいて、彼らのためにもこの映画を盛り上げてあげたいなというのが今の気持ちです。今回の公開をきっかけに、彼らが着実にいろんなステップを踏むことができたら幸せです」と語る園監督の元には、今回の作品で演技開眼した若者が一座のような感じで集まってきているという。年齢差はあるものの、いい仲間みたいな感じで、監督にとってもこれからの仕事にプラスに作用するのではないかと楽しみにしている。

「古い日本家屋を利用してアトリエを作って、そこにみんなで寄り集まっては、本読みをしたり稽古をしたりしています。劇団を作るわけじゃないけど、キャスティングの際、プロの役者だけでなく、彼らからというもう一つの選択肢が生まれたのは、すごくスリリングで面白いなと思っています」

★赤いポストは人生の「モノリス」

 映画のタイトルの「エッシャー」は、だまし絵で知られるマウリッツ・コルネリス・エッシャーから取っている。階段を上っていると思っていたらいつの間にか元の位置に戻っているエッシャーの絵のように、私たちが歩いている「エッシャー通り」は、知らぬ間に元の場所に戻ってしまう。同じところをぐるぐる回っているだけの日常に若者が焦りを抱いているそのとき、ふっと気づけば赤いポストが立っている。そのポストに自分の思いを投函することで、多少なりとも人生が変わることがあるかもしれない。

「赤いポストは人生のモノリスで、それが見えると猿人が人間になれるように、エッシャー通りで迷ってしまった子どもたちにも少し違う道が開ける。そういう意味合いがあるんです」と、園監督は「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督)に登場する謎の物体になぞらえて、現代を生きる若者へエールを送る。

 前回、2016年の2月にインタビューしたとき、園監督は東日本大震災から5年がたって、希望を持たざるを得ない状況から絶望しか感じられない世の中になってしまったと指摘していた。そんな閉塞的な気分が、コロナ禍でさらに増大した。

「若者こそ、大きな閉塞感の中で生きているはずなんです。ワークショップの生徒たちに対して、頑張れ、閉塞感に負けるんじゃない、という気持ちが強かったので、それが映画にも反映されているのかもしれませんね。もうしばらく初心に戻って、青春映画を撮り続けてみようかなと思っています」

★凝り固まらずにやりたいことを

 すでに脚本を担当して1日で撮り終える長編映画に挑んだほか、ワークショップの応募者で51人からこぼれ落ちたほぼ全員が出演する映画もやってみたいと思っている。

「700人を網羅した映画って群像劇でも何でもなくて、どんな映画になるかわからないけど、できるだけやってみようかなという思いがありますね。それとは別に、『エッシャー通りの赤いポスト』の面々でまた新たな映画なりドラマなりを作ってみたいという気持ちもあります」と意欲をのぞかせる。

昨年はニコラス・ケイジ主演の「プリズナーズ・オブ・ゴーストランド」も公開されたが、ハリウッド作品は今年も撮る予定だ。年末には60歳を迎えたが、心筋梗塞で一度は心臓が止まった身としては、まだ生まれ変わった2歳にすぎないという意識がある。

「まあ、間を取ってもいいんですけどね」と笑う園監督は、今後もあまり凝り固まらないで、いろんな方法で映画を作っていけばいいかなと感じている。

「結果的に人が撮れないものを撮るということになるのかもしれませんが、今はそんなに勇ましくなくて、自分のやりたいことをやれればいいかな、くらいの気持ちですね。こっちはハリウッド、片や自主映画、ではなく、両方ともそんな感じです。伝えるものではなくて、伝える場がほしいということかな。僕自身の閉塞感なんです、それは」

◆園子温(その・しおん)

1961年生まれ。愛知県出身。86年、「俺は園子温だ!」がPFF入選。翌87年、「男の花道」でPFFグランプリを獲得する。その後、「部屋 THE ROOM」「自殺サークル」「紀子の食卓」「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」「恋の罪」「ヒミズ」「地獄でなぜ悪い」「ラブ&ピース」「ひそひそ星」「東京ヴァンパイアホテル」「愛なき森で叫べ」と幅広く作品を発表し、国内外で高く評価され続けている。

◆「エッシャー通りの赤いポスト」(2021年/日本/146分)

監督・脚本・編集・音楽:園子温

企画:松枝佳紀 プロデューサー:髙橋正弥、小笠原宏之 撮影:鈴木雅也 照明:市川高穂 美術:畦原唱平 装飾:岩間洋、杉崎匠平 録音:大森円華 ヘアメイク:佐々木弥生 アクション指導:匠馬敏郎

出演:藤丸千、黒河内りく、モーガン茉愛羅、山岡竜弘、小西貴大、上地由真、縄田カノン、鈴木ふみ奈、藤田朋子、田口主将、諏訪太朗、渡辺哲、吹越満、青木成巨、有田あん、伊藤亜美瑠、遠藤雄斗、小川夏鈴、烏森まど、輝有子、岸田茜、鍛代良、北林佑基、河野通晃、小松広季、佐伯紅緒、桜井梨理、柴崎佳佑、錫木うり、関幸治、高須賀浩司、田澤陽奈子、たしろさやか、橘麦、田中倫貴、徳留歌織、とみやまあゆみ、永井ちひろ、永栄正顕、中村莉久、二條正士、柊まこ、ひまり、heim record、星名利咲、堀さやか、宮崎悠理、みよし、基村優介、盛井雅司、保田泰志、八ツ橋さい子、山崎美香子、山本宗介

製作会社:ヒコーキ・フィルムズ インターナショナル/アクターズ・ヴィジョン/AMGエンタテインメント 配給・宣伝:ガイエ

東京・ユーロスペース、大阪・第七藝術劇場、京都・アップリンク京都、福岡・kino cinéma天神で公開中。以後、順次全国で。

©2021「エッシャー通りの赤いポスト」製作委員会

「これからはなるべくいいものだけを作っていきたい」とますます意欲をみなぎらせる園子温監督=2022年1月2日、東京都渋谷区(藤井克郎撮影)

「エッシャー通りの赤いポスト」の初日舞台挨拶で、主立った出演者とともに客席の声援に応える園子温監督(左端)=2021年12月25日、東京都渋谷区のユーロスペース(藤井克郎撮影)

映画「エッシャー通りの赤いポスト」には、ゆかりの渋谷ハチ公前交差点も登場する ©2021「エッシャー通りの赤いポスト」製作委員会

映画「エッシャー通りの赤いポスト」のクライマックスは、愛知県豊橋市の商店街で全員が出演して撮影された ©2021「エッシャー通りの赤いポスト」製作委員会