嘘も本当もすべて地続き

「のさり」とは、熊本県天草地方の方言で「ありのままを受け入れる」といった意味を持つ。何か運のいいことが起こると、「おお、のさっとるばい」といった感じで使うそうだが、「家族が立て続けに亡くなったりしたときも、あの家はのさっとるからね、なんて言うんです」と「のさりの島」の山本起也監督(55)は、この言葉の幅の広さを指摘する。「のさり」の精神は、コロナ時代の人々の暮らし方や芸術文化としての映画の行方にも大きなヒントになる、という山本監督の思いとは――。(藤井克郎)

だまされても悪い気はしない

 実は「のさりの島」の中には、一度も「のさり」を使ったせりふは出てこない。台本の印刷に入る1週間ほど前のこと、プロデューサーを務める天草出身の放送作家、小山薫堂さんから「この映画のタイトル、『のさりの島』ってどう?」というメールが山本監督に届いた。

「こういう言葉があるということは今回、初めて知りました。いい意味でも悪い意味でも使われて、つまり人間の基準でいいとか悪いとかを決めるのではなく、もっと大きなものの中で人間は生かされている。だからついている人も『のさっとる』なら、不幸が続いても『のさり』になるんです。小山さんが作品全体をくくる言葉として『のさり』をつけたことで、僕の中ではすべてがつながった気がしました」と山本監督は打ち明ける。

 映画は、天草の商店街にいわくありげな若者(藤原季節)がやってくるところから始まる。案内板に掲示してある店舗に片っ端から電話をかけると、楽器店で高齢の女性が受話器を取った。「ばあちゃん、俺だけど……」との呼びかけに、女性はまんまと孫と勘違いしたようだ。店に現れる男に現金を渡すように告げ、今度は受け子役になりすまして店を訪ねると、さっきの電話の艶子(原知佐子)は、孫が帰ってきたと大喜び。かくして男は戸惑いつつも、孫の将太として楽器店に居座ることとなる。

 発想のきっかけは、ゴーストライター騒動で話題になった聴覚障害の作曲家、佐村河内守氏の一件だった。多くの人がだまされたと怒りをあらわにしたが、本当か嘘かということに厳然とした違いがあるわけではないのでは、と感じていた。

「人は感じ方によって、豊かにも殺伐としたようにもとらえることができる。感じ方というものをもっとみんなが大切にすれば、嘘とか、本当とか、だまされたとか、いきり立つことはないんじゃないか。だまされたけど悪い気はしなかった、みたいな話をやりたいなと思ったのが最初です」と山本監督は振り返る。

天草の精神風土を取り込む

 その後、教授を務める京都芸術大学映画学科の学生とプロのスタッフが一体となって作品づくりに取り組む企画「北白川派」の第7弾として山本監督がメガホンを取ることになり、さびれたシャッター商店街を舞台にすることを思いつく。京都芸大の副学長でもある小山プロデューサーの故郷の熊本に行ったら、何か話を聞いてくれるかもしれないよ、と入れ知恵してくれる人がいて、まさに小山さんが生まれ育った天草で、「銀天街」という格好の商店街に出くわした。

「それほど殺伐としてはいなくて、何かゆったり滅びている感じがした。あ、ここは映画の舞台として、ぬくもりのある質感が出るかなと思ったんです」と山本監督。

 映画の中の銀天街は、人通りの絶えた夜になると、久美子(小倉綾乃)が路上で奏でるブルースハープの音色が物悲しく響くどこか幻想的な街として描かれる。地元のFM局でパーソナリティーを務める清ら(杉原亜実)は、何とか街を盛り立てたいと、昔の天草が映る8ミリ映像を収集して上映する企画を立てるが、なかなか思うように集まらない。オレオレ詐欺をたくらんでいた楽器店の「将太」も若者チームに巻き込まれ、天草のにぎわいを取り戻す取り組みに力を貸すことになる。

「市民を集めて映画の企画を説明したとき、オレオレ詐欺と言った瞬間に嫌な顔をされるんだろうなと思っていたんです。でも天草の方はみんなにこにこしながら聞いていて、『監督、その話、天草だとあるかもしれんばい。そういうおばあちゃん、いっぱいいるよ』と言う。それを聞いたとき、天草のそういった精神性や風土をこの映画に取り込むことによって、嘘の話がひょっとして本当かもと信じられるのかなと思った。単に撮影場所を借りるというよりも、天草のどこか人懐っこくて、よそ者をふっと受け入れてくれる懐の深さというものを、あのおばあちゃんに刻み込んでいこうと考えました」

映画館も街の風景とひとつながり

 映画の中にはさまざまな天草の風景が映り込んでいるが、中でも印象的なのは、古い映画館で昔の8ミリ映像が上映される場面だ。銀天街のある天草の中心街は1964年に大火に見舞われ、商店街はほとんどが焼き尽くされてしまった。スクリーンには大火前のにぎわいの風景に燃え広がる火災、復興後の街並みをとらえた映像が流れ、それをじっと見つめる大勢の市民の表情と重なる。天草に今も残る現役の映画館、本渡第一映劇でロケが行われたが、劇場とフィルムと天草の人々一人一人の顔がシンクロし、何とも言えない豊かな時間が漂う。

「準備のときには大火の映像があるとは思っていなくて、商店街の1軒のご主人から教えてもらったんです。天草の皆さんもあんな映像が残っているということを知らない人が多くて、何も説明せずに映画館で流したんですが、涙ぐむ人もいましたね。天草で発見したものをどんどん取り込んで作っていった映画で、不思議な作られ方なんですよ」

 そんな取り込んでいったものの中でも最たるものが、「のさり」の精神だろうと山本監督は言う。

「単純に人がいっぱい出ているにぎわいもあれば、すでに亡くなった人も含めてのにぎわいだってある。生きていればマルで、死んでしまったらバツという二分化されたものではなく、嘘か本当かもそうだけど、もっとなだらかな世界を信じたいなと思うんです。この映画だって新型コロナウイルスで公開が延期され、大変ね、とか、不運だね、とか言われるけど、そのおかげでじっくり準備ができたり、知り合えるはずのなかった人と出会ったり、コロナに『のさった』のかなと感じています。いろんなものがすべて地続きでつながっている。『のさり』ってそういうことじゃないかなと思うんですよね」

 コロナ禍でステイホームが増え、街に出て映画館で映画を楽しむというこれまで当たり前だった風景も変化が求められるかもしれない。すでにオンラインでの映画上映がスタンダードになってきつつあるのかもしれないが、今回の作品はやっぱりどうしても劇場で公開したかったと強調する。

「演劇などの実演芸術もコロナで被害を受けているが、コロナを克服したら実演芸術は強いと思う。その場でないと鑑賞できないですからね。でも映画は複製物なので、みんながオンラインで映画を見るようになったら映画館は必要がなくなってしまう。ただシャッター商店街の映画を撮っている人間が、それをオンラインで公開してよしとしたらいかんでしょう。人が街に出て、人と出会って、何かを楽しむ。そういう中に映画というものがちゃんと位置づけられるような仕組みを作らないと。映画の内容から公開の仕方までも含めて、やっぱり地続きなんだろうと思っています」

◆山本起也(やまもと・たつや)

1966年生まれ。静岡県出身。中央大学卒業後、広告映像の演出からキャリアを始める。「ジム」(2003年)、「ツヒノスミカ」(2006年)などの長編ドキュメンタリーを手がけた後、2012年に島根県海士町で撮影した「カミハテ商店」で劇映画を初監督。カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭(チェコ)に選出されるなど、世界で評価される。京都芸術大学映画学科教授。

◆「のさりの島」(2020年/日本/129分)

プロデューサー:小山薫堂 監督・脚本:山本起也

撮影:鈴木一博 照明:守利賢一 録音:吉田憲義 美術:丸山裕司 装飾:嵩村裕司 編集:鈴木歓 スタイリスト:浜井貴子 衣裳:藤林さくら ヘアメイク:近藤美香 VFX:西尾健太郎 タイトル:酒井洋輔 グレーディング:関谷和久 ラインプロデューサー:大日方教史 ロケーションプロデューサー:小山真一 キャスティング:小林良二 監督補:毛利安孝 制作担当:後藤聡

音楽:谷川賢作、小倉綾乃、藤本一馬

出演:藤原季節、原知佐子、杉原亜実、中田茉奈実、宮本伊織、西野光、小倉綾乃、酒井洋輔、kento fukaya、水上竜士、野呂圭介、外波山文明、吉澤健、柄本明

製作/配給:北白川派 製作協力:熊本県天草市、京都芸術大学

2021年5月29日(土)から、ユーロスペースなど全国で順次公開。

©北白川派

天草の「のさり」精神を激賞する山本起也監督=2021年4月19日、東京都港区の京都芸術大学外苑キャンパス(藤井克郎撮影)

北白川派映画第7弾「のさりの島」を手がけた山本起也監督=2021年4月19日、東京都港区の京都芸術大学外苑キャンパス(藤井克郎撮影)

山本起也監督作「のさりの島」から。天草のシャッター商店街にやってきた若い男(藤原季節)は…… ©北白川派

山本起也監督作「のさりの島」から。おばあちゃん(原知佐子)と孫(藤原季節)の奇妙な疑似家族生活が始まる ©北白川派