生と死、日常と非日常はつながっている

 長年、沖縄に根差して映画づくりを続けてきた中江裕司監督(61)が、最新作では日本の原風景とも言える信州・白馬の廃村を舞台に、四季折々の自然の恵みをじっくりとカメラに収めた。沢田研二を主役に迎えた「土を喰らう十二ヵ月」は、水上勉の料理エッセーを原案に、食べること、生きること、そして死ぬことといった人間の根源を見つめた作品だ。「本来は仕事も生活も生きることも、もっと言えば愛することも区別がなく、すべてがつながっている」と中江監督は、映画が描いているものへの思いを熱く語る。(藤井克郎)

★都会人には捉えづらい当たり前のこと

「土を喰らう十二ヵ月」は、何か劇的な物語が紡がれている作品ではない。主人公のツトム(沢田研二)は13年前に妻を亡くし、今は人里離れた信州の山の中で、愛犬と妻の遺骨とともに暮らしている作家だ。畑で収穫する野菜や辺りに自生する山菜を素朴な料理にして楽しむ毎日だが、ときどき訪ねてくる担当編集者の真知子(松たか子)と一緒に食べると、ことのほかおいしい。近くには亡き妻の母、チエ(奈良岡朋子)も住んでいて、様子を見にいっては説教を食らう始末だ。

 映画は、そんなツトムの何気ない日常と、最後に訪れるちょっとした非日常を、二十四節気に基づいた四季折々の信州の風景と料理研究家の土井善晴が監修した素朴な手料理を絡めて、味わい深く見つめる。

「もともと物語がないから、そこから物語を生み出そうとは思っていなかった」と語る中江監督が原案となる水上の文章に出合ったのは、前作のドキュメンタリー映画「盆唄」(2019年)の編集作業中のことだった。1978年に雑誌で連載されたエッセーで、信州で暮らす水上が、自ら収穫した野菜や山菜を駆使して料理を作り、それを食す喜びや料理にまつわる思い出をつづったものだ。物語はなくても、食べること、生きることといった人生を強く感じ、しかもたった1行、編集の女性たちにそそのかされて書いたといった箇所から、真知子という編集者との恋模様まで妄想が広がった。

「水上さんがもてもての文士だったというのは知っていましたからね。あの原案のエッセーには、人として生きるには、といったすごく当たり前だけど、都会人には捉えづらいことが書いてある。僕も身につまされることが非常に多くて、面白いなと夢中になって読んだし、いろんな人生を感じて一気に脚本を書きました」と中江監督は振り返る。

★そろそろ物語に頼り続ける必要もないのでは

 都会人に捉えづらいというのは、例えば山菜など1週間ずれるともう旬ではなくなってしまうので、一瞬しかないおいしさを感じながら食べるということだ。水上は自分で取って、自分で料理して、自分で食べたり人に振る舞ったりしていた。「都会では仕事と生活と生きることが分離しているが、水上さんがやられたことは区別がない。それを描くことで、豊かな映画になるんじゃないかなと思いました」

 これまでは暮らしている沖縄に根差した作品が多かったが、撮影場所が信州に移っても根底にあるものは共通している。

「自分の土地が一番というのは、沖縄だけじゃなくて、本当はどこでもそうじゃないかと思っていた。僕に言わせると、中央を向いて撮られている日本映画がものすごく多くて、都会人の感性に合うものばかり作られている気がしている。何かそれに違和感があって、そうじゃない映画もあっていいし、それは豊かさともつながってくると思ったんです」

 原案エッセーの通り、最初から男が山の家に住んで1年間を過ごす映画にすることは決めていて、そこに最低限の物語を構築すればいいかなと考えた。映画を娯楽として成立させるためには最低限の物語は必要だが、それもすべてが区別なくつながって、自然に出てくるようにしたい。そこはちょっと新しい挑戦だった。

「今まではまず物語を作っていたんですが、今回は時間ですね。描写と言い換えてもいいかもしれませんが、時間の感覚を描くことで、観客の中に何らかのものが絶対に生じるはずだと信じていました。もうそろそろ、そんなに物語に頼り続ける必要もないんじゃないか。映画の本質は物語ではなく時間と空間なので、もうちょっとその本質の方にいくべきじゃないかと思っていたんです。僕は過剰に物語を作りたい体質がありますから」

★光が差して姿を現した北アルプスの見事さ

 物語を最低限に抑えると、描写が勝負になる。そこで中江監督が心がけたのは、なるべく小さい嘘はつかないということだ。畑もどこかで育ったものを植え直すのではなく、最初からすべて自分たちで育てた。長く撮ることも大切で、夏のシーンを冬に撮るということは絶対に避けようと思った。「映画ってものは大きな嘘をついていますが、小さい嘘をつかないことが描写の力につながるという確信はありました」と打ち明ける。

 そのためには撮影場所も極めて重要だった。ツトムの家のある地域はもう40年も前から人が住んでいない廃村で、いろんな偶然が重なって撮影ができたと認める。

 2019年の年明けにロケハンで見つけたが、除雪も入っていない中、30分以上、膝まで雪に埋もれながら歩いていった。その家に着いたとき、ちょうど晴れ間がのぞいて光が差し込み、背後に北アルプスが見事な姿を見せた。そのときに、ツトムはこういう風景を見て暮らしたいと思ったからここに移住したのではないか、絶対にかなわない相手を目の前にしたかったんじゃないか、とツトム像が浮かび上がってきた。

「作る側に、この映画をこうしたい、ああしたいという思惑がたくさんあると、偶然は生まれない。なるべく自然に視野を広げることで、偶然が引っかかってくる。ただ思惑はない方がいいけど、覚悟はないと駄目ですね。そこで揺らいでいたら話になりません。最初から1年撮らないといけないというのは決まっていたし、僕は大変だとは思っていないんです。プロデューサーやほかのスタッフは、すごく大変だと思っていたでしょうけどね(笑)」

★色男の沢田研二だから許される男の身勝手

 その覚悟はドキュメンタリーで培われた。これまで「白百合クラブ 東京へ行く」(2003年)といったドキュメンタリーを映画でもテレビでも数多く手がけてきたが、ドキュメンタリーは先が見えず、撮影が終わったときがゴールになる。この映画も先を見たら1年も持たない。一日一日、やれることを一生懸命にやる。こうしてコロナ禍の中、何度か撮影中止になりながらも、そのたびに練り直しを繰り返して撮り上げた。

「準備しないと偶然も起こらないので、準備はものすごくしています。例えばホウレンソウ一つ撮るにしても、ホウレンソウを栽培するところから始めて、こもをかぶせて雪に耐えるようにしておき、なおかつそこに雪が積もらないといけない。それだけでも3カ月かかるので、普通の日本映画の撮り方からすると大変ということになりますが、そういうやり方をしなくてはいけないと覚悟を決めていますからね」

 子芋の網焼きや炊いたたけのこなど、次々と登場する料理も同じだ。監修の土井は、自分はフードコーディネーターじゃないからと言って、映画のためにきれいに盛りつけるなんてことはしない。料理とはなんぞやという哲学から言えば、基本は1回しか作らない。だから別の角度から撮り直すということもできない。

「でも映画の技法を捨ててでも、たった1回で撮れればいい。それも多分、ドキュメンタリーをやっていたから簡単に覚悟が決まるんだと思うんです。あれもこれもと狙っていって、何も撮れないということをさんざん経験していますからね。主演の沢田さんも基本、1回なんです。演技って、役者が登場人物に近づいていくというのが今は多いけど、沢田さんは自分の方にその人物を引き寄せる。自分がその人物を持っているんだから、自分を撮ったらいいという感じなんです。ご本人はおっしゃらないが、僕はそう感じたので、だから1回なんですよ」

 その沢田も、相当な覚悟で臨んでいただろうと推し量る。「最初から1年かかりますよと話していましたからね」と言う中江監督によると、初めて会ったとき、沢田から「僕の顔を見てください」と言われた。「昔の沢田研二を期待されているかもしれないけれど、今はこうなんです。本当にこれでいいんですか」と念を押されたという。

「ぜひお願いしますと答えたのですが、今の自分の姿をさらしてみたいという気持ちがありますとおっしゃっていたので、覚悟があるな、誠実な人だなと思いました。ツトムは水上勉とイコールではないが、色男というのは間違いない。ただ身勝手な男なので、それが嫌な男になってしまっては駄目。色男だから許されるところがあるわけで、そういうことを兼ね備えている人だと、沢田さんしかいないだろうなと思いました」

★非日常の中でこそ楽しめるもの

 映画の中では、この沢田が実に楽しそうに料理を作っている姿が印象的だ。その料理の数々は、どれも素材のよさをそのままにあまり手を加えず、それなのにものすごくおいしく見える。実は料理監修の土井とも話し合って、食べるシーンはなるべく抑えたという。

「沢田さんにお願いしたのは、丁寧にやってくださいということです。手早くやる必要は全然ありません、とひたすら言っていました。普通だったらホウレンソウの根っこから土を落とすところなど延々と撮ることはしない。でもこの映画はそれが大事なんです。料理を作っているときに生じる気持ちをツトムが持っていれば、食べなくてもおいしいのは分かる。そこも覚悟を決めて、食べるシーンの代わりに、畑から取ってくるといった工程をじっくりと描きました。野菜を水にさらした瞬間って、本当にきれいでおいしそうなんですよ」

 そんな食べるということを軸にして、生きること、死ぬことなどいろんなことがつながっているというのが、この映画の世界観だ。つながっているのは、非日常と日常、ハレとケの関係も同様だ。死を前提とするから豊かな生があるように、ハレ、つまり非日常の瞬間を楽しむために、日常のケを生きる。ハレもケも人にとってはどちらも大事なものだと強調する。

「映画も同じで、娯楽というものは非日常だからこそ得られる要素がある。街にわざわざ出かけていって、他人と一緒にスクリーンを見る。2時間ならその2時間、どこにも動けない。そういう非日常の中でこそ楽しめるものですよね。お芝居とかコンサートの方がより非日常に近いかもしれませんが、映像の中では映画が最も非日常の側で、そういう意味では、まだまだ映画は大切な役割を持っていると思います」と、映画館で映画を見ることの重要性を説いていた。

中江裕司(なかえ・ゆうじ)

1960年生まれ。京都府出身。琉球大学農学部卒。大学時代、映画研究会で数多くの作品を発表。1992年、オムニバス映画「パイナップル・ツアーズ」の第2話「春子とヒデヨシ」で商業映画デビュー。「ナビィの恋」(1999年)、「ホテル・ハイビスカス」(2003年)といった劇映画に「40歳問題」(2008年)、「盆唄」(2019年)などのドキュメンタリーと映画にテレビに幅広く活躍。2005年には那覇市に映画館「桜坂劇場」をオープンした。

「土を喰らう十二ヵ月」(2022年/日本/111分)

監督・脚本:中江裕司 原案:水上勉

料理:土井善晴 音楽:大友良英

製作:鳥羽乾二郎、藤本鈴子、安部順一、小松佳浩、奥村景二、松下寿昭、堀内誠人、宇田川寧、エグゼクティブプロデューサー:福家康孝 プロデューサー:吉田憲一、押田興将、新井真理子

助監督:髙野佳子 撮影:松根広隆 照明:金子康博、角田禎造 録音:渡辺丈彦 整音:吉田憲義 音響効果:柴崎憲治 美術:小坂健太郎 装飾:大谷直樹 衣裳デザイン:小川久美子 ヘアメイク:有路涼子 編集:宮島竜治 制作担当:柳橋啓子 音楽プロデューサー:佐々木次彦 スチール:瀧川寛 メイキング:船元愛美 ポスター題字:山内武志

出演:沢田研二、松たか子、西田尚美、尾美としのり、瀧川鯉八、檀ふみ、火野正平、奈良岡朋子

配給:日活 制作:オフィス・シロウズ

2022年11月11日(金)から、新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座など全国公開

©2022『土を喰らう十二ヵ月』製作委員会

「土を喰らう十二ヵ月」を手がけた中江裕司監督。「ハレもケも人にとってはどちらも大事」と語る=2022年9月26日、東京都文京区(藤井克郎)

「土を喰らう十二ヵ月」を手がけた中江裕司監督=2022年9月26日、東京都文京区(藤井克郎)

中江裕司監督作品「土を喰らう十二ヵ月」から。ツトム(左、沢田研二)は担当編集者の真知子(松たか子)に素朴な手料理を振る舞う ©2022『土を喰らう十二ヵ月』製作委員会

中江裕司監督作品「土を喰らう十二ヵ月」から。ツトム(左、沢田研二)の山荘の窓からは、雄大な北アルプスの景色が広がる ©2022『土を喰らう十二ヵ月』製作委員会