第307夜「ワン・バトル・アフター・アナザー」ポール・トーマス・アンダーソン監督

 PTAことポール・トーマス・アンダーソン監督には、いつもいい意味で裏切られ続けてきた。最初の出合いは米ロサンゼルスに留学中、センチュリーシティのシネコンで見た「ブギ―ナイツ」(1997年)だった。映画を思い思いのスタイルで見ることにかけては恐らく世界一ではないかと思われるアメリカの観衆が、ラストの巨大な一物が出てきた瞬間、一様にどよめきと囃し立ての入り交じった歓声を上げたことは、いまだに鮮烈に脳裏に焼きついている。

 以来、風変わりな人物たちの壮大な群像劇「マグノリア」(1999年)があるかと思えば、こだわり男のちまちました恋物語「パンチドランク・ラブ」(2002年)に、独善的な男の一代記「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(2007年)、カルト集団を巡る人間ドラマ「ザ・マスター」(2012年)と、テイストは実に多様性に富んでいる。その後も「インヒアレント・ヴァイス」(2014年)、「ファントム・スレッド」(2017年)、「リコリス・ピザ」(2021年)と、決して派手さはないものの、どこか引っかかりのある作品をコンスタントに生み出してきた。「マグノリア」でのベルリン国際映画祭金熊賞を筆頭に、カンヌ、ベネチア、ベルリンの世界三大映画祭で監督賞を制しているというのも、人間の深淵をのぞき込むようなその創造性にあるのは間違いない。

 新作の「ワン・バトル・アフター・アナザー」もやはり人間の深み、おかしみを独特の毒気を伴ってえぐり出しているが、移民問題など今日的なテーマを盛り込みつつ、スリリングでバイオレントという娯楽映画の要素が目いっぱいに詰まった逃走劇の形態を取っている。こんなにもはらはらどきどきわくわくずきずきするPTA映画は初めてではないか。

 舞台はメキシコとの国境近く。「フレンチ75」と名乗る革命組織は移民収容施設を襲っては、拘束されている移民たちを救出、解放していた。中でも勇猛果敢な女性闘士、ペルフィディア・ビバリーヒルズ(タヤナ・テイラー)は、収容所を警備する凄腕隊長、ロックジョー(ショーン・ペン)を篭絡して骨抜きにするなど、目覚ましい活躍ぶりだった。

 彼女は、組織内で爆弾を操るちょっと気弱な男(レオナルド・ディカプリオ)と懇ろになり、妊娠、出産するものの、幼い娘を抱えても闘争をやめるつもりはない。徐々に家族第一主義の夫との仲が冷え込んでいくが、そんなある日、ペルフィディアが突然、姿を消す。組織の壊滅を狙う国家権力は総力を挙げて攻勢に転じ、夫と娘はボブとウィラと偽名を名乗り、安全な場所に身を隠す。それから16年、センセイ(ベニチオ・デル・トロ)の道場で空手に打ち込むウィラ(チェイス・インフィニティ)に危険が及ぼうとしていた。

 といった導入部が、実にテンポよく、でもそれぞれのキャラクターが非常に分かりやすく伝わるようにつづられる。その描写はスタイリッシュで余計な説明調のせりふはないし、さすがはPTAだな、と、もうここまでで興奮しまくっていると、いやいや、これはまだほんの序の口に過ぎなかった。この後のまあ、何ともにぎやかなこと。興奮が二乗にも三乗にも膨れ上がって、スクリーンから襲いかかってくる。

 特に逃走する側、追跡する側が複雑に入り乱れていることが興奮に拍車をかける。最初は娘のウィラが仲間にかくまわれ、その行方を父親のボブと国家権力のロックジョーらが別々に探すという展開だが、これに空手のセンセイたちや、白人至上主義の秘密結社などが絡んで、しっちゃかめっちゃかになってくる。と言って決して混乱することはなく、敵と味方ははっきりと分かれているから、安心してこの予測不能な逃走劇を見守ればいい。はらはらはするけれど、あれあれ、とはならないのだ。

 この逃走劇の撮影がまた凝りに凝っていて、郊外の邸宅に街中の古びた建物など、場所ごとに特徴的なアングルでスピード感あふれる追いかけっこをカメラが追いかける。出色は荒野を貫く一本道でのカーチェイスで、アップダウンの激しい道路を3台の車で追いつ追われつするカメラワークは、疾走感と浮遊感の相乗効果でめまいを覚えるほどだ。よくジェットコースター並みと言うが、ジェットコースター以上にくらくらしてくる。

 それに輪をかけて役者がすごいんだよね。中でもロックジョー役のショーン・ペンの怪演ぶりは、ここまでやるかといったすさまじさで、笑いを通り越してお口あんぐりだ。レオナルド・ディカプリオも相当ノリノリであまりかっこよくないアクションに臨んでいるし、ベニチオ・デル・トロのセンセイもどこか滑稽で楽しい。これら名優の真剣な戯れに若手のチェイス・インフィニティが真っ向から挑んでいるという構図もどこかほほ笑ましい。

 音楽も、冒頭の大音量での驚かしに始まり、常に軽快なサウンドが流れまくっている。映像や作劇も含め、差別とテロという世界中で対立している深刻なテーマ性とはかけ離れた軽さだが、それもPTAらしいと言えばらしいのだろう。とにかく文句なしに面白いことは確かで、大いに笑い、楽しみながら、どこか頭の隅に社会における重大な現実問題が刻み込まれている。いやあ、まだまだ進化を遂げているPTAの一側面に接することができて、大収穫の2時間42分でありました。(藤井克郎)

 2025年10月3日(金)、全国公開。

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