第272夜「キノ・ライカ 小さな町の映画館」ヴェリコ・ヴィダク監督
北欧フィンランドの名匠、アキ・カウリスマキ監督には一度、来日インタビュー取材で会ったことがある。モノクロ無声映画「白い花びら」(1999年)の公開を控えた2000年4月のとある昼下がり、今で言う奥渋谷にある小じゃれたホテルのロビーにほろ酔い加減と思しき赤ら顔で現れた監督は「ハリウッド映画の大音量は勘違いもはなはだしい」などとうそぶいていた。
饒舌でも陽気でもないけれど、でも朴訥ながら時折ユーモアを交えて話すその人柄はどこかとぼけたおかしみがあって、「マッチ工場の少女」(1990年)や「ラヴィ・ド・ボエーム」(1992年)といった監督作品の味わいそのままだなという印象が残っている。その後も名作を生み続けてきた稀代の映画作家が、友人の詩人で作家のミカ・ラッティと共同で映画館を作った。「キノ・ライカ 小さな町の映画館」は、2人が住んでいるカルッキラという人口9000人の鉄鋼の町に、キノ・ライカなる映画館ができるまでの過程を見つめたドキュメンタリーだが、いやいや、ドキュメンタリーのイメージをはるかに超えて、いかにもカウリスマキ的な時間と空気に包まれた驚くべき映像作品に仕上がっていた。
基本は対話で構成されている。キノ・ライカとして生まれ変わるかつて工場だった建物の内部をはじめ、車のフロントシート、レストランのテーブル席、バーのカウンターなどで2人、3人、4人と人々が言葉を交わす。彼ら彼女らが何者なのかという説明は、ナレーションでも字幕でも示されない。ただその場にいる2人、3人、4人が、カルッキラの町の歴史、カウリスマキ作品の思い出、新しくできる映画館への期待といったことを口にするだけだ。その会話の積み重ねから、彼ら彼女らの立ち位置や郷土愛、映画愛がほのかに立ち上ってくる。
さらに驚くことには、この対話を捉えるのはドキュメンタリーではあるまじき固定カメラで、視点は常にじっとして動かない。カメラを水平に振るパンは一度だけ認めることができたが、寄りもしなければカット割りもない。カウリスマキ映画の独特の映像世界ごと記録しようとでもいう徹底ぶりだ。
手がけたのは美術家でもあるクロアチア出身のヴェリコ・ヴィダク監督で、これが初めてのドキュメンタリー映画だそうだ。ヴィダク監督もちらっと登場するし、主役とも言うべきカウリスマキ監督はさまざまな場面で映り込む。でも決してキノ・ライカの共同経営者である氏へのインタビューがこの作品の主眼ではなく、作り手の思いはカメラが捉える大勢の2人、3人、4人が紡ぎ出す言葉の数々にある。
各地で映画館が次々と閉鎖されていくこの時代、カルッキラという寂れた町に新たにキノ・ライカが作られる意味は何なのか。「夢中になってやれば、周りの人を幸せにする」といった発言などはまさにカウリスマキ監督の本質を言い当てているようで、町の人がどれだけカウリスマキ本人とその作品が大好きなのか、何より映画が、映画館がどれだけ必要なのか、ということが伝わってくる。そしてこんなすてきな文化の殿堂が町にできるなんて、カルッキラの住民は何て幸せなんだろうと思う。
撮影はカルッキラの町から一歩も出ることがない。と思いきや、キノ・ライカのオープン当日に、フィンランドから遠く離れたアメリカはニューヨークにいるジム・ジャームッシュ監督の姿を映し出す。このカウリスマキ監督の盟友の言葉がまた最高で、キノ・ライカの館名の由来など、さまざまなエピソードを面白おかしく語り尽くす。何とも映画的で豊かな構成にぞくぞくさせられて、ますます映画が、映画館が大好きになった。(藤井克郎)
2024年12月14日(土)から東京・渋谷のユーロスペースなど全国で順次公開。
© 43eParallele
ヴェリコ・ヴィダク監督のフランス、フィンランド合作「キノ・ライカ 小さな町の映画館」から © 43eParallele
ヴェリコ・ヴィダク監督のフランス、フィンランド合作「キノ・ライカ 小さな町の映画館」から © 43eParallele