三者三様の視点でそれぞれの葛藤に迫る

 2時間半を超すドキュメンタリーながら、息をもつかせぬ緊迫感にあふれている。「正義の行方」は、32年前に福岡県で起きた女児誘拐殺人事件について、元警察官、弁護団、新聞記者の三者三様の視点でそれぞれの葛藤に迫った意欲作だ。黒澤明監督の「羅生門」スタイルで答えの出ない謎解きに挑んだ木寺一孝監督(58)は「公平に取材し、同じスタンスで向き合って、後は見る側に問いたいと考えた」と作品の意図について語る。(藤井克郎)

★死刑執行後の再審請求

 事件は1992年2月20日、福岡県飯塚市で起きた。登校中だった小学1年生の2人の女児が行方不明になり、翌日、山林で遺体になって発見される。目撃情報などから、警察は2年7カ月後の1994年9月23日、失踪現場近くに住む56歳の無職、久間三千年を逮捕。DNA型鑑定などの結果もあり、一審、二審を経て2006年、最高裁で死刑が確定し、そのわずか2年後の2008年10月28日に福岡拘置所で刑が執行される。この間、久間元死刑囚は一貫して無罪を主張していた。

 飯塚事件と称されるこの事件を木寺監督が意識したのは、死刑執行後の2011年ごろのことだった。NHKのディレクターとして教養系のドキュメンタリーを担当していた木寺監督は、ハイビジョン特集「死刑~被害者遺族・葛藤の日々~」を制作する過程で飯塚事件のことを知る。久間元死刑囚の弁護団が再審請求を福岡地裁に提起しており、再審が認められれば死刑執行後では初のケースとなる。東京から月に1~2回のペースで福岡に通っては弁護団会議に顔を出し、非公開で行われる検察官、裁判官との三者協議を取材するなどした。

「DNA型鑑定の信頼性について大きく動き出したころで、弁護団の動きを中心に取材していました。私は報道番組の担当でも記者でもないですし、スクープを取ってどうこうするというよりも、弁護団の人たちが人間的に魅力的だったというのが大きい。彼らの葛藤する姿に引かれたようなところがあります」ときっかけについて振り返る。

★新聞の連載記事がヒントに

 再審が決定したら放送しようと準備を進めていたが、2014年3月31日、福岡地裁が請求を却下。撮りためた映像素材の出どころを失ってしまった。木寺監督はそのころ、東京から福岡放送局に異動になっていたが、放送文化基金賞の奨励賞を受賞した福岡発地域ドラマ「いとの森の家」を演出するなど、取材の足はすっかり遠のいていった。

 やがて4年間の福岡勤務を終えて東京に戻ってきたころのこと。よく一緒に飯塚事件の再審請求について取材していた日本テレビの記者が、ある新聞記事を送ってくれた。福岡に本社を置く西日本新聞による飯塚事件を検証する連載企画だった。事件に関わったあらゆる人物に丁寧に当たっていくという調査報道の原点のような取材をしていて、木寺監督ははっと気づかされた。

「勇気づけられると同時に、取材の方向性についてもヒントを得ました。真実は何か、裁判の行方は、という狙いでやっても同じことの繰り返しで、どうしても壁にぶち当たる。そうなると別の考え方でやらないといけない。それが多角的ということで、言うなれば死刑事件に引きずり込まれた人たちの葛藤に力点を置く。事件に関わってきた人たちが、何をもって生きてきたのか。その人のよって立つ正義とは何なのか。そこを描くことができないかと思ったんです」

★中立性を保つための決断

 そこから福岡県警の元捜査員や西日本新聞の記者ら多角的に取材を重ねた。警察の関係者からは「冤罪だと思っているのか」と聞かれたこともあるが、「いや、自分としてはいろんな角度から見つけていきたい。だからゴールは見えていません」と話したら、みんな理解してくれたという。

「冤罪が疑われる事件をドキュメンタリーにする場合、ある方向性を持って描くということがあると思う。でもそれだと単純に面白くないし、こちらとしては材料を提供するだけで、後は見る側に問いたいと考えました」

 そのための最大のポイントとして木寺監督が断行したのは、ナレーションを排することだった。ナレーションを入れると、どうしても自分の主観がにじむ。中立であろうとしてどんなに警戒しても、防ぎ切れない。

「裁判の話だし、DNA型鑑定といった難しい話もあって、普通に考えるとナレーションがないと成立しない。スタッフからも必要だという意見はありましたが、僕の中ではナレーションを書いたら終わりだなと思っていました」

 代わりに採用したのが、NHKに保管してあった当時のニュース素材だ。現場からのリポートや特別番組など、かなりの資料が残っていて、特に音声を最大限に駆使して、新たにナレーションを加えずに済む工夫を施した。

「それって欧米のドキュメンタリーでは定番で、アーカイブ映像をうまく利用してあまりナレーションを使わない。日本では、それも特にNHKではナレーションで説明していくことが多いのですが、今回は警察と弁護団とメディアの三つ巴で、それぞれの正義を浮き彫りにする。そのためにどんな演出にするか、カメラはどうするか、と考えていく中で、アーカイブドキュメンタリーを参考にすることにしました」

★水掛け論を避け間口を広げる

 こうしてまずは150分のテレビ版を2022年4月、BS1スペシャル「正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮~」と題して3部構成で放送。もともと劇場用映画にしたいという気持ちがあり、編集で多少、手を入れて、158分のバージョンに仕上げた。

 三者三様の正義は、確かに「羅生門」のようなせめぎ合いがあり、見る者によって意見が割れるに違いない。一方で感心するのは、作品の中では死刑制度の是非について一切論じていないにもかかわらず、見終わった後、人の命について深く考えざるを得なくなることだ。木寺監督は「死刑の是非論については、僕が興味ない」と言いながら、「そういう見方をしてくれる人がいてもいい」と含みを持たせる。

「ほかにも、例えば組織の中でどう生きるかとか、自分が警察官だったらこの流れを止められるかとか、自分ならスクープを打ったかとか、いろんな側面で見てもらえばいい。死刑の是非となると水掛け論になるし、そこから遠いところからやらないと面白くない。もっと間口を広くして、エンターテインメントとして、サスペンス映画として見てもらえればと思っています」

★没入できる空間で人間ドラマを

 もともとドラマや映画が好きで、NHKはドラマ志望で入局。初任地の福岡放送局では芸能班に配属され、ドラマ人間模様など連続ドラマのアシスタントディレクターからキャリアをスタートさせた。ドキュメンタリーは当初、まるで興味がなかったが、ドラマよりも深く人間を描けるのではないかと思うようになり、1999年放送のNHKスペシャル「母・葛藤の日々~息子が殺人犯となって一年~」をはじめ、罪や命といった人間の根源的なテーマに向き合ってきた。

「ドキュメンタリーって、何かを教えてもらう、知らなかったことに気づかされる、といった側面があり、それももちろん大事ですが、もっと劇映画のように見てほしいという思いがある。今回は人間の感情が動いていく中に謎があったりするし、それに引っ張られて見ていってもいいと思うんです」

 さらに映画化することで、人間ドラマの部分を強めていると打ち明ける。

「どうしてもテレビは表現が狭まっていく、丸くされていくところがある。それにほかに雑音が聞こえてきたりする。映画館は音も含めて没入できる空間だし、画面に入り込んでいく感じがある。ドキュメンタリーなのか劇映画なのか、境目がないように感じて見てもらえると、自分としてはありがたいですね」

◆木寺一孝(きでら・かずたか)

1965年生まれ。佐賀県出身。1988年に京都大学法学部を卒業後、NHKに入局。ディレクターとして、NHKスペシャル「母・葛藤の日々~息子が殺人犯となって一年~」(1999年)、NHKスペシャル「父ちゃん母ちゃん、生きるんや~大阪・西成こどもの里~」(2003年)、ハイビジョン特集「死刑~被害者遺族・葛藤の日々~」(2011年)、福岡発地域ドラマ「いとの森の家」(2015年)、ETV特集「連合赤軍~終わりなき旅~」(2019年)などを制作。2019年、「“樹木希林”を生きる」で映画初監督。2022年、BS1スペシャル「正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮~」で文化庁芸術祭大賞、ギャラクシー賞選奨を受賞。2023年、NHKを退職。

◆正義の行方(2024年/日本/158分)

監督:木寺一孝 制作統括:東野真 撮影:澤中淳 音声:卜部忠 照明:柳守彦 音響効果:細見浩三 編集:渡辺政男 制作協力:北條誠人 プロデューサー:岩下宏之 特別協力:西日本新聞社 協力:NHKエンタープライズ

テレビ版制作・著作:NHK 制作:ビジュアルオフィス・善 製作・配給:東風

2024年4月27日(土)から東京・渋谷のユーロスペース、福岡・KBCシネマ、大阪・第七藝術劇場など全国で順次公開。

© NHK

「人間ドラマとして見てもらえれば」と語る「正義の行方」の木寺一孝監督=2024年4月1日、東京都新宿区(藤井克郎撮影)

「人間ドラマとして見てもらえれば」と語る「正義の行方」の木寺一孝監督=2024年4月1日、東京都新宿区(藤井克郎撮影)

ドキュメンタリー映画「正義の行方」から © NHK

ドキュメンタリー映画「正義の行方」から © NHK