第181夜「ワタシの中の彼女」中村真夕監督
映画の世界でも、新型コロナウイルスのある風景がすっかり当たり前になってきた。ことさらコロナを強調しなくても道行く人々がみんなマスク姿だったり、コロナ禍での閉塞感を巧みにテーマに盛り込んだり、時代を捉える作り手の視点がいろいろと垣間見えて面白い。
「ナオトひとりっきり」(2014年)などの社会派ドキュメンタリーでも知られる中村真夕監督は、すでに「親密な他人」(2021年)で、密を避けざるを得ないよそよそしい空気感を背景に、愛にかつえた男女のゆがんだ関係をサスペンスタッチで極上の味わいに仕立てたが、今度は4話の短編からなるオムニバス映画でコロナの時代を切り取った。しかもすべて菜葉菜という極めて個性的ながら多彩な表情が魅力の俳優を主役に据え、まるで異なるキャラクターとシチュエーションで構成するという、かなり思い切った意欲作に仕上げている。
例えば第1話の「4人のあいだで」は、冒頭は夜の公園で大学時代に同じ演劇サークルに所属していた3人(菜葉菜、占部房子、草野康太)が缶ビールを酌み交わすという、まあよくある風景から始まる。3人とも斜め後ろからのショットで、カメラワークが凝っているな、くらいの認識でいたら、徐々に会話が進むにつれ、どうやら3人は別々の公園にいて、オンラインで言葉を交わしていることに気がついた。しかも話題が同じサークル仲間のサヨコのことに集約していって、3人だけの会話劇なのに、この場にはいない4人目の人物像がくっきりと浮かび上がってくるからたまらない。
不在者の存在を観客にイメージさせるという手法は、黒澤明監督の「生きる」(1952年)などでおなじみの映画ならではの表現だが、これにリモート飲み会というコロナ禍で広まった新しいコミュニケーションの形態を絡み合わせるとは心憎いばかりだ。それぞれの道を歩んできた三者三様の微妙な温度差も浮き彫りになってきて、短編として発表された大阪アジアン映画祭をはじめ、内外の映画祭で話題を呼んだというのもうなずける。
この1編がきっかけで、オムニバス映画にする構想が出てきたようだが、ほかの3編もコロナ禍の世相を巧みに取り込んで、短いながらもぴりっとした刺激に満ちている。
第2話の「ワタシを見ている誰か」は、自転車で飲食店のメニューを自宅に届けるフードデリバリーが題材だし、第3話「ゴーストさん」は、2020年に東京・幡ケ谷のバス停で起きたホームレス女性の殺人事件がモチーフだ。盲目の女性と詐欺師との会話からなる第4話の「だましてください、やさしいことばで」も、孤立化が進む現代社会を反映しているし、4話ともコロナ禍であらわになった社会のひずみが描写されている。
感心するのは、4編とも2人あるいは3人による会話で成り立っていて、コロナ禍で大勢が密になる群集シーンが撮りづらいというデメリットを逆手に取って克服していることだ。菜葉菜が年齢も立場もがらっと異なる4人を演じ分けることで、ある種の寓話的な趣も出てくるし、でもここに描かれているのは紛れもなく現在の日本に横たわっているリアルな断片でもある。
最小限度の対話劇なのに想像の世界は果てしなく広く、しかもこれほど社会性をはらんでいるのにミステリアスで娯楽性もたっぷりと施されているんだからね。ドキュメンタリーもフィクションも同次元で極める中村監督のすごみを、改めて感じた。(藤井克郎)
2022年11月26日(土)から、ユーロスペースなど全国で順次公開。
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中村真夕監督作品「ワタシの中の彼女」の第1話「4人のあいだで」から。大学時代の仲間とのリモート飲み会に参加したナナエ(菜葉菜)は…… ©T-artist
中村真夕監督作品「ワタシの中の彼女」の第3話「ゴーストさん」から。風俗嬢のサチ(右、菜葉菜)は、バス停にいるホームレスの女性(浅田美代子)と言葉を交わす ©T-artist