第142夜「ちょっと思い出しただけ」松居大悟監督

 松居大悟監督は、いま最も見逃せない映画作家の一人と言って間違いない。劇団ゴジゲンを率いる演劇人でありながら、毎年のようにコンスタントに映画を撮り続けていて、しかもどの作品にも革新的な創意工夫が施されている。毎回毎回、新鮮な驚きをもたらしてくれるんだけど、一方で記者泣かせでもあるんだよね。

 というのも、その独創性について書いてしまうと、映画の核心に触れることになるからだ。2021年に公開された前作「くれなずめ」など、ある重大な秘密が隠されてあって、その秘密は割と早めに分かるように組み立ててあるのだが、気づいた瞬間、はっとなり、やがてじーんと込み上げてくる。ネタバレにならないようにするには、せいぜいそんな言い方でお茶を濁すしかない。

 2018年の「アイスと雨音」のときは監督にインタビュー取材をしたが、さすがに「74分間全編ワンカット撮影で1カ月を描写する」という大胆な試みについて触れないわけにはいかなかった。前年の東京国際映画祭で事前に何の予備知識もなく見たが、あっけにとられるやら、はらはらどきどきするやら、とにかくいろんな感情が押し寄せてきた。その感覚を具体的な記述を避けて文章にするのは不可能に近い。

 新作の「ちょっと思い出しただけ」も昨年2021年の東京国際映画祭で出合って、松居監督の鮮やかな映画話法と切なくもいとおしい映像表現に、またも脳天をぶち抜かれた。恐らく多くの人が同じように感じたはずで、だからこそ映画祭では観客賞を獲得し、フランス女優のイザベル・ユペールを委員長とする審査員もスペシャルメンションを与えて称賛を惜しまなかったのだろう。

 さて、この感情の高ぶりをどう言語化したものか。時は2021年の7月26日。1年延期となったオリンピック開幕直後の東京の街は、でもコロナ禍の真っただ中で人通りはそれほど多くはない。舞台照明の仕事をしている佐伯照生(池松壮亮)はその夜、ステージ上のダンサーたちにスポットライトを当てていた。一方、タクシー運転手の野原葉(伊藤沙莉)は、どこか見覚えのあるミュージシャンの男(尾崎世界観)を客として乗せる。途中、トイレに行きたいとタクシーを降りた男が戻ってくるまでの間、葉が車を停めたホールのドアを開けて何気なく中をのぞくと、そこには公演が終わったステージで1人踊る照生の姿があった。

 と、ここから映画は松居監督がいざなう魔法のような世界に一気に入っていく。話法としてはイ・チャンドン監督の「ペパーミント・キャンディー」(1999年)やギャスパー・ノエ監督の「アレックス」(2002年)などと同じなのだが、過去へのさかのぼり方がスマートでスタイリッシュで、わくわく感がどんどん増幅していく。

 状況を説明するせりふやテロップは一切なく、代わりに目覚まし時計や朝の体操、角のお地蔵さん、公園で妻を待ち続ける男(永瀬正敏)、ジム・ジャームッシュ監督の映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」(1991年)などなど、さまざまなキーアイテムが何度も何度も登場し、記憶と想像を呼び覚ます。スクリーン上に描き出されるのは2人の物語のほんの一部でしかないが、映っていない時間にいったい何が起こったのかがまざまざと浮かび上がってきて、まさに映画の魔術を見せつけられたような印象だ。

 加えて主役を務めた池松と伊藤の2人がまた、監督の世界観を見事に体現している。タクシーの運転席と助手席に並んで座る2人。人けのない夜の水族館に入り込む2人。シャッターが下りた商店街を照れたように歩く2人。そんないろんなシチュエーションの2人をカメラがワンカットの長回しでとらえる中、まさに照生と葉になりきって自然な会話を交わす。思っていることは話すべきなのか、話さなくても通じるものなのか、といったコミュニケーションの原点とも言えるテーマが2人の芝居で浮き彫りになり、だから誰しもがきゅんと胸が締めつけられるような気持ちになるのだろう。

 その後もう一度、試写会でも見たんだけど、見れば見るほどまた見たくなる。こんな宝物のような映画を作ってくれるなんて、やっぱり松居監督は絶対に見逃すわけにはいかないね。(藤井克郎)

 2022年2月11日(金)、全国公開。

©2022『ちょっと思い出しただけ』製作委員会

松居大悟監督作品「ちょっと思い出しただけ」から。照生(右、池松壮亮)と葉(伊藤沙莉)の切なくもいとおしい物語が描かれる ©2022『ちょっと思い出しただけ』製作委員会

松居大悟監督作品「ちょっと思い出しただけ」から。照生(右、池松壮亮)と葉(伊藤沙莉)の切なくもいとおしい物語が描かれる ©2022『ちょっと思い出しただけ』製作委員会