ありのままのトランスジェンダー

 わずか34分の上映時間の中に、今の日本に横たわる切なさとむなしさがぎゅっと詰まっている。7月10日(土)公開の「片袖の魚」は、世間の偏見と向き合うトランスジェンダーの女性を見つめた作品で、主人公を演じるのは当事者でもあるイシヅカユウ(30)だ。「これまでのトランスジェンダー像は特別な人として描かれ過ぎていた」とイシヅカが語れば、自主映画で性的少数者(LGBT)をテーマにした作品を撮り続けている東海林毅監督(46)は「これがトランスジェンダーのありのままの姿だと広まってくれれば」と力を込める。(藤井克郎)

★ガラスの水槽のような壁

「片袖の魚」の主人公は、水槽の魚を販売、設置している会社に勤めるトランスジェンダーのひかり(イシヅカユウ)。同じトランスジェンダーの友人、千秋(広畑りか)や、会社の同僚で車いす生活を送る辻(猪狩ともか)、上司の中山(原日出子)ら、周囲には理解ある人々に恵まれているものの、世間の偏見に対し、目に見えない壁を感じていた。ある日、故郷の町に出張することになり、高校時代に仲のよかった敬(黒住尚生)に会えないかと連絡を取るが……。

 脚本は東海林監督のオリジナルだが、詩人の文月悠光(ふづき・ゆみ)の詩集「わたしたちの猫」に収録された「片袖の魚」を原案にしている。東海林監督は以前から文月さんと交流があり、詩を基にして何か映像作品を作りたいと話をしていた。「片袖の魚」は2人とも真っ先に選び出した一編で、恋愛における見えない壁を表現しているが、東海林監督はこれをトランスジェンダーの話にしたいと考えた。

「触れたいんだけど、自分から触れてはいけないのではないか。そんな相手との間にガラスの水槽のような壁を感じている一人の女性が、その壁を取り払えるような作品にできたらいいんじゃないかという発想です。対社会だったり自信のなさだったりで、自ら壁を作ってしまっていて、それを乗り越えて一歩先に進むような話にしたいなと思いました」と東海林監督は説明する。

★当事者が演じる普通の存在

 監督自身はバイセクシュアルで、これまでも自主映画でLGBTの問題に焦点を当てて撮ってきたが、中でもトランスジェンダーに向けられる偏見や差別は、世界的にも看過できないものがあると感じていた。トランスジェンダーとは、心と体の性別が一致しない人のことで、男性自認、女性自認だけでなく、中性や無性などさまざまなトランスジェンダーがいるが、偏見や差別を取り払おうとしている人が増えている一方で、反動勢力もどんどん声が大きくなっているのが現状だという。「今が分水嶺というか、闘いどきという気がする」と東海林監督は強調する。

「トランスジェンダー自身、水槽のこちら側と向こう側みたいに自分で分断してしまっている側面があるが、われわれ社会の側も、勝手に線を引いてトランスジェンダーの人を外側にとどめようとしている。ずっと特別な存在として描かれてきたけれど、今はそれをやってはいけないと思うんですよね。すでに社会の一員として共存しているわけで、普通の存在ですよというところにちゃんと焦点を当てないと状況がよくなっていかない。いつまでも特殊な存在として描かれてしまうという怖さがあります」

 こう話す東海林監督が心に決めていたのは、主人公のひかり役はトランスジェンダーの当事者に演じてもらうということだ。映画やテレビドラマに登場するトランスジェンダーは、日本ではほとんどがシスジェンダー、つまりトランスジェンダーではない俳優が演じている。だが監督に言わせると、それらはこれまで描かれてきたトランスジェンダー像をことさら強調して積み重ねているだけだという。

「当事者が当事者役を演じることで、いろんなトランスジェンダーがいるということが世間に知られることになるし、トランスジェンダーってこういう人なんだ、それほど変わらないんだなとなってくる。僕はそれでいいと思うんです。だって変わらないんですから」

★染みついていたものを手放す

 主役の座を射止めたのは、ファッションモデルとして活躍するイシヅカだった。演技の経験はなかったが、東海林監督の前作に参加したことのある振付師の知人がオーディションの話を持ってきて、ぜひ受けてみてはどうかと勧めてくれた。「募集要項を見て、日本では今までになかった試みだし、自分としてもその意図に共感できた。主役が無理としても、何らかの形で関わりたいと思いました」と打ち明ける。

 もともと映画が好きで、中でも日本の古い映画にはよく親しんでいた。特に若尾文子が大好きで、すれた役も明るい役も幅広くこなしながら、芯の部分で観客に訴える力があるところが魅力だった。だが演技への憧れが強かった分、自ら演じることにはなかなか踏み出せないでいた。

「この業界に受け入れてもらえるのか、ちゃんと開かれていないから、飛び込めないということもあります。例えば俳優のワークショップに行くにしても、業界としてトランスジェンダーをどういうふうに扱っていいかわからない人たちが多くて、弾かれてしまったり嫌な思いをして続けられなかったり、ということが多いように感じますね」

 そんな中、今回の出演は願ったりかなったりの機会だった。他人を演じることは難しかったと言いつつも、単純に楽しかったと振り返る。

「ずっとモデルとしての訓練を積んできたので、今まではカメラのある中でどういうふうに動いたら服が美しく見えるかな、手をどう動かせばいいかな、といったことを意識しながら生きてきました。それが普段の動きにも染みついていて、それって街行く人の歩き方とはちょっと違うんだということを自覚するところから始めた感じです。染みついているものを一回手放して、ひかりが生活してきた中での動きや歩き方、座り方を意識するというのが、ものすごく大変でしたね」

★フィクションだからこその意義

 映画の中では、あからさまな偏見や差別は描かれないが、ひかりが水槽を設置しにいった先で「男ですよね」と確認されたり、オスからメスに転換するカクレクマノミの説明に「変わってますね」と応じる顧客がいたりと、悪気がなくても心に重く響くシチュエーションがちりばめられている。「ちっちゃなとげでちくちく刺してくるというのが、日本の性的マイノリティーにおける一番の差別問題じゃないかと思っている」と東海林監督が言えば、イシヅカも「何となくその場の調子に合わせたことが、かえってもやもやとしたものが残って、ちょっとつらかったということが本当にたくさんあります」と認める。

「本当はトランスジェンダーであることを意識せずに生きていきたい。それがその人の核をなしているとは思わなくて、性別だけでなく、こんなものが好きとか、逆にこれが嫌いとか、いろんなものが合わさって一人の人間なんです。性別をどういうふうに自認しているかなんて、その人の一かけらに過ぎない。ただ、その一かけらによってものすごく悩んでいる人が多いというのが現状で、それはあまりヘルシーなことではないですよね」

 そう訴えるイシヅカに対し、東海林監督は「何で悩まなくてはいけないのか。それは周りが悩むように仕向けているから」と明言する。ドキュメンタリー映画ではトランスジェンダーをテーマにした作品も増えているが、あえてフィクションで描く理由を、東海林監督は「よりテーマに迫りやすい」と指摘する。

「ドキュメンタリーは被写体の思惑もあり、必ずしもこちらが描きたいところに着地できるとは限らない。ドキュメンタリーに偏見があるのかもしれませんが、僕は劇映画の方がより広く見てもらえて、受け入れやすいんじゃないかなと思うんです」

 イシヅカも「フィクションが市井の人たちに与える影響は思っている以上に大きい。これまでフィクションで描かれてきたトランスジェンダー像は、偏見に基づいて作られたものだった。だからフィクションでそれを少しずつ変えていくということは、とても大きな意義があると思います」と、この作品が突破口になることに期待していた。

◆東海林毅(しょうじ・つよし)

1974年生まれ。石川県出身。武蔵野美術大学映像学科在学中から映像作家活動を開始。1995年、第4回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で審査員特別賞を受賞。「老ナルキソス」(2017年)、「ホモソーシャルダンス」(2019年)、「帰り道」(同年)といった自主制作作品が国内外の映画祭で高い評価を受ける一方、商業作品として「喧嘩番長」劇場版シリーズや「お姉チャンバラTHE MOVIE vorteX」(2009年)、「はぐれアイドル 地獄変」(2020年)などを監督。VFXアーティストとしてもさまざまな作品に参加している。

◆イシヅカユウ

1991年生まれ。静岡県出身。ファッションモデルとして、ファッションショー、スチール、ムービーなどさまざまな分野で活動中。最近ではテレビやラジオなどで意見や体験を発信するなど、活躍の場を広げている。

◆「片袖の魚」(2021年/日本/34分)

原案:文月悠光 プロデューサー・脚本・監督:東海林毅

撮影:神田創 照明:丸山和志 録音・音響効果:佐々井宏太 美術:羽賀香織 衣装:鎌田歩(DEXI) ヘアメイク:東村忠明 編集・VFX:東海林毅 制作:清水純、牛丸亮 助監督:小池匠 音楽:尾嶋優

出演:イシヅカユウ、黒住尚生、広畑りか、猪狩ともか、森本のぶ、杉山ひこひこ、入江崇史、平井夏貴、久田松真耶、石橋諒、小池匠、花井祥平、藤本直人、葛原敦嘉、山口静、田村泰二郎、原日出子

宣伝スチル:向後真孝 ビジュアルデザイン:東かほり 配給協力・宣伝:contrail 製作・配給:みのむしフィルム

2021年7月10日(土)から新宿K’s cinemaで公開。

©2021みのむしフィルム

映画「片袖の魚」の意義について語る東海林毅監督(右)と主演のイシヅカユウ=2021年6月9日、東京都新宿区(藤井克郎撮影)

映画「片袖の魚」を手がけた東海林毅監督(左)と主演のイシヅカユウ=2021年6月9日、東京都新宿区(藤井克郎撮影)

東海林毅監督作品「片袖の魚」から。水槽の魚を販売する会社に勤めるひかり(イシヅカユウ)は…… ©2021みのむしフィルム

東海林毅監督作品「片袖の魚」から。ひかり(左、イシヅカユウ)は友人の千秋(広畑りか)ら周囲には恵まれていたが…… ©2021みのむしフィルム