第112夜「BILLIE ビリー」ジェームズ・エルスキン監督
ピーター・バラカンって人は、昔から全く印象が変わらない。テレビで目にするようになった40年ほど前から、落ち着いた物腰といい、丁寧な日本語といい、来日文化人の右代表みたいな存在だったし、今もその立ち位置であり続けている。見た目だって全然、老けていないしね。
専門の音楽だけでなく、映画についても相当に精通していて、以前はときどきマスコミ試写で見かけたことがあった。「あっ、ピーター・バラカンが来ている!」とフルネームで興奮したものだが、そんな憧れの粋人の名前を冠した映画祭が開かれる。「Peter Barakan’s Music Film Festival」と銘打ち、全部で14本の音楽映画が上映されるのだが、あのピーター・バラカンが選び抜いただけに、いずれも見ごたえのある作品がそろっている。中でも日本初公開となるイギリス映画「BILLIE ビリー」は、映画祭期間中、ほぼ毎日のように上映されるくらいで、最大の目玉と言っていいだろう。
ビリーとは、1930年代から50年代にかけて一世を風靡したアメリカ人女性ジャズシンガー、ビリー・ホリデイ(1915-1959)のこと。このドキュメンタリー映画には、不世出の歌姫と言われたその貴重な歌声とともに、スキャンダルにまみれた彼女の闇の部分を探るサスペンス性も盛り込まれていて、実に欲張りな作品になっている。
44歳でビリーがこの世を去った後、あるジャーナリストが彼女の伝記を執筆すべく取材を始める。リンダ・リプナック・キュールというその女性は、ビリーと懇意にしていた音楽関係者に親戚、友人、さらにはビリーを逮捕した麻薬捜査官や刑務所職員まで、10年をかけて200時間以上に及ぶ証言を録音テープに収めた。
だが1978年、リンダは伝記を完成させることなく、30代の若さで謎の死を遂げる。いったいなぜリンダは死ななければいけなかったのか。ビリーにまつわるどんな事実に触れたのか。映画は、そんな疑問を追いかけつつ、生前のビリーの貴重な映像や音源を交え、光と影を重層的に映し出す。
光の部分でいうと、名曲「奇妙な果実」にまつわるエピソードが頂点だろう。この曲のことはよく知らなかったが、1930年代に作られた人種差別を告発する歌で、ビリーはレパートリーとしてステージで披露。一大センセーションを巻き起こす一方、黒人には圧倒的に支持され、公民権運動のシンボルにまでなっていく。
映画には、ビリーが魂を込めてこの曲を歌い上げる映像があり、歌手としては紛れもない天才だったことがうかがえる。その一方で、何と14歳のころから売春を斡旋していたり、大麻やコカインなどの常習で何度も逮捕されたりと、彼女の負の部分も赤裸々に描かれる。こんなに万人の心に響く極上の音楽を生み出す人物が、なぜ自堕落な道を歩まなければならなかったのか。その答えは、女性ジャーナリストのリンダが見出せなかったのと同様、誰もが理解できないものなのかもしれない。
映画の中で、ビリーよりも10歳ほど年下の歌手、トニー・ベネットが「なぜか女性の名歌手は不幸な人生を送る。なぜなんだろう」といったことを話しているが、確かにビリーに限らず、天才的な歌姫には悲惨な運命がつきまとう。Peter Barakan’s Music Film Festivalでも上映される「AMY エイミー」(2015年、アシフ・カパディア監督)のエイミー・ワインハウスがそうだったし、今回のラインアップにはないものの、「ホイットニー~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」(2018年、ケヴィン・マクドナルド監督)にはホイットニー・ヒューストンの栄光と挫折が刻み込まれていた。
ピーター・バラカンが選んだ14本中、半分の7本は前に見ているが、ジャズやロックだけでなく、幅広い音楽のジャンルが網羅されている。そんなに音楽に詳しくない当方が見ても十分に楽しめるんだから、この機会にぜひ劇場へ。(藤井克郎)
2021年7月2日(金)から15日(木)まで、角川シネマ有楽町で公開。
イギリスのドキュメンタリー映画「Billieビリー」から。ビリー・ホリデイの光と影が描かれる Carl Van Vechten photographs/Beinecke Library © Van Vechten Trust / REP Documentary
Peter Barakan’s Music Film Festivalでは、「Billieビリー」をはじめ、珠玉の音楽映画がラインアップされている