第325夜「道行き」中尾広道監督

 中尾広道監督作品との出合いは強烈だった。

 2019年の第41回ぴあフィルムフェスティバルは、コンペティション部門のPFFアワードに選出された全作品を初めて完走した年だったが、中でもずば抜けて印象深かったのが中尾監督の「おばけ」(2019年)だった。ストーリーらしきストーリーもなく、映画を撮るべく監督自身が公園で自転車を走らせたり森の奥深くに分け入ったりする光景を、手作りボードの宇宙の星たちが眺めて関西弁でああだこうだと論評する。かと思えば、その宇宙空間にこれまた手作りの鉄道模型を走らせたり、さらには以前にPFFに入選したときの舞台挨拶の場面を盛り込んだりと、まあ自主映画ででき得る限りの創意工夫を凝らして、かつて見たこともない映像世界を創出していた。しかもその工程のすべてを一人で手がけているというからあっけに取られたの何の。

 果たせるかな、斎藤工に白石和彌、山下敦弘といった5人の映画人からなる最終審査員は、この「おばけ」を満場一致で最高賞のグランプリに選出。劇場公開もされたばかりか、入賞者に長編制作の支援を行うPFFスカラシップの制度を活用して、初めての商業映画に挑むことになった。現在はPFFプロデュース作品と名称を変えたPFFスカラシップでは、今を時めく「国宝」(2025年)の李相日監督をはじめ、荻上直子、石井裕也、鶴岡慧子、清原惟ら錚々たる映画作家が商業デビューを果たしている。「おばけ」のように、これぞ自主映画、といった自主映画を撮ってきた中尾監督が、PFFのプロデュースで、さてどんな作品に仕上げたのか。

 実はこの「道行き」、すでに一昨年2024年の第46回ぴあフィルムフェスティバルでお披露目されており、当方もいち早く目にしている。これがまたまた驚いたの何の。国立映画アーカイブの大スクリーンに「時間」と「土地」がぎゅっと封入されていて、大いに感銘を受けたというのが正直なところだ。

 全編モノクロで描かれた「道行き」は、古い家並みが残る奈良県御所市を主な舞台にしている。この町の古民家を購入し、大阪から移り住むことになった駒井は、前の所有者の梅本の昔語りを聞きながら、家のリフォームに精を出していた。駒井はカメラを抱えて町のあちらこちらを訪ね歩いては昔ながらの風景を収め、時には岐阜県の樽見鉄道の車両基地にまで足を延ばして駅員から話を聞く。そして梅本が語る子どものころの記憶、時計店を営んでいた祖父と過ごした時間に思いを馳せる。

 といった話の筋はあるものの、作品に刻み込まれているのは土地に根付いた時間の流れそのものと言えるだろう。時計を「斗景」「斗鶏」と記していたように、あらゆるもので時を計っていた日本ならではの時間の観念が作品の全編にわたって貫かれている。江戸時代から寸分違わぬ細い路地が残る御所の町も、1両編成の車窓から望む沿線の風景も、どちらも自然に任せた時の移ろいであり、列車の運行時間に縛られるのは不自由ではないかと駒井に尋ねられた駅員が、そんなに不自由さは感じないと応じるのもやはり自然体だ。出演者も、その駅員をはじめ御所の住民らプロの役者ではない市井の人々が数多く登場して、駒井役の渡辺大知や梅本を演じた文楽の人形遣いで人間国宝の桐竹勘十郎らと絡み合う。そのやりとりもいかにも自然で、みな同じ時間軸を生きている。

 さらに言えば、この映画の中では過去も現在も同じ次元で進行していて、古民家の室内を1階から2階に縦移動すると、少年時代の梅本が時計を修理している祖父と過ごす一時代前にさかのぼる。すべての時は地続きでつながっていて、現在は過去によって生かされているのだということを、言葉での説明ではなく、映像と自然音だけで示していく。

 一方で時は残酷でもあり、昨日まであったものが突然、消えてしまうこともある。かつてにぎやかだった映画館は今、この町には1軒も存在せず、時計だって古い日時計や振り子を用いたからくり時計などは過去の遺物でしかない。梅本役の勘十郎に象徴される文楽や樽見鉄道などのローカル線は、そんな無常な世の中というものに抗っているかのようだ。御所の町並みも含めて絶対に残していかなければいけない大切な情景として、モノクロの極上の味わいでスクリーンの上に映し出される。

 だが中尾監督は、ただ単に過去を懐かしんだり、ノスタルジックな感傷にふけったりはしない。梅本や他のこの町に住む年配の人々を、今を生きている確かな人物として生き生きと描き、駒井を仲介役として次の世代に記憶をつなげようとする。そこにはこれまで脈々と続いてきた自然任せの時の流れを、決して途切れさせてはならないという信念が見て取れる。古民家の町並みも文楽も鉄道も、そして映画も、失ってしまったら二度と元には戻らないのだ、と。

 今回、劇場公開を前に改めてマスコミ試写会で作品を見返した。2024年のPFFでの初上映後、監督が編集で手を加えた箇所があると聞いたが、あまりよくは分からなかった。ただ恐らくラストは変えたらしく、より峻烈に監督の思いが前面に打ち出されているように感じた。そして思った。映画の時を止めないためにも、映画は映画館で、大きなスクリーンと抜群の音響環境の中で見るに限る。(藤井克郎)

 2026年2月13日(金)から、ヒューマントラストシネマ有楽町、テアトル新宿など全国で順次公開。

©2025 ぴあ、ホリプロ、日活、電通、博報堂、一般社団法人PFF

中尾広道監督「道行き」から。駒井(右、渡辺大知)は古民家の元所有者、梅本(桐竹勘十郎)から土地の話を聞く ©2025 ぴあ、ホリプロ、日活、電通、博報堂、一般社団法人PFF

中尾広道監督「道行き」から。古民家には時の名残が無造作に散らばっていた ©2025 ぴあ、ホリプロ、日活、電通、博報堂、一般社団法人PFF