第318夜「世界一不運なお針子の人生最悪な1日」フレディ・マクドナルド監督
2000年10月の生まれというから、現時点(2025年12月)で25歳ということになる。それでこんなに奇抜な構成で、大自然の大らかな風景をバックに、対照的な針と糸だけのちまちました武器を駆使して、全編に笑いがちりばめられたはらはらどきどきのクライムサスペンスを編み上げるとは……。これが初長編となるアメリカ出身のフレディ・マクドナルド監督、何とも末恐ろしい才能が現れたものだ。
舞台はアルプスの美しい峰々を仰ぐスイスの小さな町。亡き母から受け継いだ倒産寸前の刺繍の店を営むバーバラ(イヴ・コノリー)はその日、母の代からの常連客、グレース(キャロライン・グッドオール)の結婚式のために、ウエディングドレスの出張仕上げを行うことになっていた。だが約束の時間に遅れたバーバラは、グレースにさんざん悪態をつかれたいらいらもあって、大切なボタンを溝に落としてしまう。替わりのボタンを取りに急いで店に戻る山道で彼女が目にしたのは、道路に横たわる2人の男(カルム・ワーシー、トーマス・ダグラス)と拳銃、そして大金の入ったトランクだった。
と、ここでマクドナルド監督は、われわれ観客に3つの選択肢を提示する。大金を横取りして完全犯罪に仕立てるか、警察に通報するか、見て見ぬふりをして通り過ぎるか。それぞれを選んだバーバラがどういう結末を迎えるかを3つのパターンで見せていく、というのは、ドイツ映画の傑作「ラン・ローラ・ラン」(1998年、トム・ティクヴァ監督)を思い起こさせる手法だが、予想もつかない筋立てと複雑で込み入った見せ方には一瞬たりとも目が離せない。
何しろ3つの選択ともこの事故現場からスタートするものの、事の次第は少しずつ小出しになっていて、3つ目のパターンが終わるまで全容は分からない。どうやらこの事故は麻薬の取引が絡んでいて、2人よりももっと大物の悪党(ジョン・リンチ)がいるのだが、その構図も3つのパターンを繰り返すことで徐々に明らかになっていく。つまり新たな選択肢が提示されるたびに、まるでパズルのピースが一つ一つ埋まっていくように物語が構築されていくわけで、謎解きの妙は最後まで色あせない。これはなかなかに心憎い作劇だ。
3つそれぞれまるで違った選択をしたはずなのに、バーバラはいずれものっぴきならない状況に追い詰められる。それを針と糸を武器に乗り切っていくのだが、この仕掛けの数々が実に巧妙で、まるでテレビ番組の「ピタゴラスイッチ」のような驚きと快感に満ちている。これをまた疾走感あふれる超クロースアップの映像で捉えるから、どんな仕掛けなのかじっくり観察する暇もない。あれよあれよという間に芋づる式にピンチを脱していくかと思えば、一方で山道を駆け抜ける車をロングショットで捉える優美なカットも差し挟まれる。緩急と同時に遠近のバランスも絶妙というその映像センスにはうなるしかない。
また登場人物のキャラクターが実にユニークなんだよね。中でも最高なのは、思い出の刺繍づくりのアドバイスを求めにたびたびバーバラの店にやってくる気のいいおじさん(ロン・クック)で、間の悪いタイミングで現れてはバーバラのピンチに拍車をかける。せっかく編み上がった刺繍が血で赤く染まってしまい、おじさんが悲しい顔をするところなど、腹を抱えて笑った。ほかにも町でただ一人の警察官は元気いっぱいのおばあさん(K・カラン)で、しかも結婚式の立会人まで務める働きぶり。バーバラが大ピンチに陥っているさなか、グレースの結婚式が執り行われるというどたばたシーンは一見の価値があるだろう。
それでもってラストはとっても爽やかで、後味すっきりと来ている。もともとマクドナルド監督が19歳のときに制作した同名の短編をコーエン兄弟のジョエル・コーエン監督が絶賛し、長編にするよう勧めたことから実現した企画だという。よくぞ長編にしてくれたと思うとともに、次はどんなびっくり箱を提供してくれるのか、無限の可能性を秘めた若い才能への期待はいや増すばかりだ。(藤井克郎)
2025年12月19日(金)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテなど全国で順次公開。
© Sew Torn, LLC

フレディ・マクドナルド監督のアメリカ、スイス合作「世界一不運なお針子の人生最悪な1日」から。小さな刺繍の店を営むバーバラ(イヴ・コノリー)は…… © Sew Torn, LLC

フレディ・マクドナルド監督のアメリカ、スイス合作「世界一不運なお針子の人生最悪な1日」から。小さな刺繍の店を営むバーバラ(イヴ・コノリー)は…… © Sew Torn, LLC

