第317夜「エディントンへようこそ」アリ・アスター監督

 2020年から世界中を大パニックに陥れた新型コロナウイルスのパンデミックについては、すでに何本も映画作品に描かれていて、それなりに話題を呼んできた。でもここまで真っ正面からどんとモチーフに据え、しかも社会性を目いっぱい詰め込みながら、最終的にはとてつもないエンターテインメントに帰結させてしまうとは、さすがは「ヘレディタリー/継承」(2018年)、「ミッドサマー」(2019年)と次々と話題作を手がける新感覚スリラーの旗手、アリ・アスター監督だけのことはある。

 映画はのっけから、マスクをする、しない、の口論から幕を開ける。ニューメキシコ州の小さな町、エディントンで保安官を務めるジョー・クロス(ホアキン・フェニックス)は、妻(エマ・ストーン)の元恋人で、企業誘致を画策している野心家の市長、テッド・ガルシア(ペドロ・パスカル)と対立していた。パンデミックで町がロックダウンする中、ヴァーノン(オースティン・バトラー)率いるカルト集団の動画にはまった妻との仲も冷え切っていたジョーは、テッドへの対抗意識だけで市長選への立候補を表明。手段を選ばないジョーの選挙戦はエスカレートしていって、やがてとんでもない事態へと突き進む。

 とりわけユニークなのは、リアリティーとファンタジーが明確な境界線もなく曖昧模糊として並立していることだ。新型コロナウイルスのパンデミックは現実に起きたことで、こういうロックダウンの光景は全米どころか全世界各地で見られたものだろう。コロナ禍での引きこもりの実態もリアルに描かれ、SNSを中心としたフェイクニュースの拡散や誹謗中傷は日本でも社会問題になった。せりふの中には、トランプやオバマ、クリントンなど実名がばんばん飛び出てくるし、2020年5月にミネソタ州で起きた警察官によるジョージ・フロイド殺害事件をきっかけとするブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動や、あのころ盛んに喧伝されたコロナ陰謀論まで取り込んでいる。

 そんな時事ネタ満載の一方、創造性もまたあきれ返るほどに豊かで、自由気ままに空想どころか妄想の世界を駆け巡る。こちらについてはあまりつまびらかにするわけにはいかないが、特に終盤、ジョーがよく分からない敵と一人で戦うという展開は、実際に起きていることなのか、それともコロナに感染したジョーが熱に浮かされて見ている夢なのか、見る側によってどうとでも受け取ることができる。恐らく10人が見れば10通りの解釈になり得るだろうし、2回、3回と見返すたびに、また全く違った印象を持つに違いない。それくらいたくさんの余白がちりばめられている作品で、よくぞこんなに何でもかんでもぶち込んだもんだと感心すると同時に、視聴者を信頼し切っている潔さに何ともすがすがしい気持ちになった。

 それに前作の「ボーはおそれている」(2023年)でもタッグを組んだジョー役のホアキン・フェニックスのすさまじさたるや。「ジョーカー」(2019年、トッド・フィリップス監督)以来、すっかり怪優のイメージがついてしまったが、今回も独りよがりの正義感に執着してのっぴきならない状況に追い詰められていく主人公を、むちゃと思えるくらいの身体能力を精いっぱい駆使して演じている。こういうトンデモ人間をやらせたら恐らく当代一と思われるほど得がたいなりきりぶりだ。

 このジョーをはじめ、登場人物には誰一人として共感もできなければ同情もできないが、それでも不快にならずに楽しめるのは映像の力強さだろう。町ごと破壊し尽くすような大スペクタクルはあっけに取られるばかりだし、しかもあんなに社会性が盛り込まれているのに考えさせるものが何もないというのは、ある意味すごいことだ。やっぱりアスター監督、ただ者ではない。(藤井克郎)

 2025年12月12日(金)、全国公開。

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アリ・アスター監督「エディントンへようこそ」から。保安官のジョー(左、ホアキン・フェニックス)は市長のテッド(ペドロ・パスカル)と対立していた © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

アリ・アスター監督「エディントンへようこそ」から。始まりはマスクをする、しない、のいさかいだった © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.