第316夜「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」久慈悟郎監督

 世間的に何となくきな臭い空気が蔓延しつつある中、戦後80年の年を締めくくるにふさわしい戦争の狂気と無慈悲を描いたアニメーション映画が公開される。「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」は、第二次世界大戦の日米戦で最大の激戦地の一つとされるパラオ諸島ペリリュー島での戦いを題材にした作品で、かわいらしいキャラクターとは裏腹の凄惨で絶望的な日々がこれでもかとつづられる。まさに今こそ作られるべき映画であり、見るべき映画と言えるだろう。

 原作は2016年から漫画雑誌「ヤングアニマル」に連載された武田一義の同名漫画で、原作者の武田氏自身も脚本に参加している。南洋のパラオ諸島ペリリュー島に派遣された田丸一等兵(声・板垣李光人)は、漫画家志望の心根の優しい21歳の青年。絵の才能を買われ、亡くなった日本兵の最期の姿を遺族に向けて記録する功績係の任務を命じられるが、敵の上陸が迫る中、過酷な毎日であることには変わりがなかった。

 1944年9月15日、米軍の一斉攻撃が始まる。日本軍は壊滅的な打撃を受け、生き残ったわずかな将兵はジャングルの奥地で、いつ来るとも知れぬ援軍の到着を待つことにする。田丸一等兵も、同期で銃の腕に長けた吉敷上等兵(声・中村倫也)らとともに飢えと恐怖に耐えて何とか生き延びるうち、いつしか2年半の月日がたっていた。

 ここまでの日米双方が入り乱れての壮絶な戦闘描写も相当すさまじいが、この作品の真骨頂はここからだろう。現地の島民が次々と帰島してくるのを遠目に見て、もしかしたら戦争は終わったのではないかといぶかる兵士が出てくる。確かめるためにも投降しようと吉敷上等兵などは提案するのだが、日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓の教えが徹底している。やがて悲劇が起きて……。

 と、ここからの展開が極めてむごたらしく、戦争なるものの核心を突いているような気がする。戦争で本当に恐ろしいのは敵の銃弾でも飢餓との闘いでもなく、人間性を失うことだ、との久慈悟郎監督をはじめとする作り手の思いがあふれているのだ。

 指揮官の島田少尉(声・天野宏郷)は理知的で部下思いで、常に的確な判断を下して犠牲者を最小限に食い止めてきたが、それでも最後は理性をなくしてしまう。他にも主立った日本兵には誰一人として本当にあくどい奴は出てこないのに、でも極限状態に身を置くともう正常ではいられない。それくらい戦争というものは非人道的なものであり、だから決してやってはいけないのだ、ということが嫌というほど強調される。

 それをほのぼのとした原作のタッチそのままに、子どもにも理解できるような平易なせりふでつづっていく。さらに暗く厳しい戦場の描写と対照させるかのように、ところどころ差し挟まれる島を俯瞰で捉えた自然豊かな風景はあくまでも美しく、空には未来への希望につながる虹の橋が架かる。かと思えば、故郷を思う回顧シーンなども優しさにあふれ、童謡の「シャボン玉」のメロディーが耳に懐かしい。戦場にうごめくイモリやアリ、ネズミといった小さな生き物も、命の尊さの象徴のように現れ、生と死が隣り合わせの臨場感を醸し出す。風にはためく星条旗の皮肉なリアル感といい、アニメーションだからこその表現の多様さが、戦争と平和の真理にぐっと迫っていく。

 2カ月以上に及んだペリリューの戦いでは、1万人を超える日本兵が命を落とし、米軍にも1600人を超す犠牲者が出た。生き残った日本兵はわずか34人で、今も1000体を超える遺体が収容されないままだという。

 実は原作者の武田さんには、漫画の連載が始まった2016年にインタビュー取材をしている。「早めの打ち切りを覚悟しながら描いていた」と謙虚に語っていたが、連載はその後、2021年まで続き、2025年に外伝が完結。戦争の悲惨さを今に伝えるのに多大な貢献をしているが、「体験していないことをあたかも体験したかのように感じることができるのが、漫画という表現媒体の最も強いところだと思う。それを一番大事にしたい」とも口にしていた。

 漫画に輪をかけて、アニメーションという表現も無限の可能性がある。ということを、この映画で再確認することができた。(藤井克郎)

 2025年12月5日(金)、全国公開。

© 武田一義・白泉社/2025「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」製作委員会

久慈悟郎監督のアニメーション映画「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」から © 武田一義・白泉社/2025「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」製作委員会

久慈悟郎監督のアニメーション映画「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」から © 武田一義・白泉社/2025「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」製作委員会