第298夜「木の上の軍隊」平一紘監督

 勝手ながら人生の師と思っている一人に、小説家で劇作家の井上ひさしさんがいる。夕刊フジに入って4年目の1988年のこと、新たに始まる井上さんの連載小説を担当することになり、芸能記者としてテレビ局を中心に取材に駆けずり回るかたわら、ほぼ連日連夜、ファクスや電話で井上さんとやり取りを交わした。その財産が、曲がりなりにも今でも文章を書く仕事を続けている原動力になっているのは間違いない。

 当時は感熱紙だったファクスで原稿が届くのは、時には深夜の2時、3時に及ぶこともあった。ピーッツツツと送られてきたロール紙にさっと目を通して、感想と連絡事項を書いて送り返す。と同時に、原稿をイラストレーターの事務所にファクスして、翌日の午前中には出来上がっているイラストを受け取りに地下鉄の青山一丁目駅まで向かう毎日。こうして整理部に出稿した後は、日課の芸能取材が待っている。今から思えばめちゃめちゃハードなように映るが、20代半ばの身にとっては何の苦でもなかった。

 むしろ井上さんとこうやってコミュニケーションを取ることが楽しくて仕方がなかった。公演を控えた新作戯曲の構想について意見を求められることもあったし、自分の署名入りのつたない芸能記事を褒めてもらったときもある。「書き出しの一文に全身全霊を傾ける」と語っていた井上さんの執筆姿勢は、今も当方にとっての金科玉条だ。

 そんな幸せな日々が半年くらい続いた1989年の年明け早々、産経新聞社会部への異動を命じられた。連載小説はまだ佳境に差しかかったところだったが、担当編集者が途中で交代するという非礼にも井上さんは決して不満を口にすることなく、むしろ「藤井さんにとってはいいことですよ」と快く送り出してくれた。その後も、井上さんが座付き作者を務めるこまつ座の舞台に招待してくれるなど懇意にしてもらっていたが、徐々に疎遠になってしまったのは残念で仕方がない。

 このときに担当した「黄金(きん)の騎士団」をはじめ、井上さんの小説、戯曲の素晴らしさ、奥深さは今さら言うまでもないが、2010年に井上さんがこの世を去った後も多くのクリエイターに影響を与え、今もその思いを受け継いだ新たな作品が生み出されていることは特筆に値しよう。先日も紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで「父と暮せば」のこまつ座公演を鑑賞したばかりだが、1994年初演のこの二人芝居は2004年に黒木和雄監督で映画化。他界後の2013年には井上さんの原案を蓬莱竜太が戯曲化した舞台劇「木の上の軍隊」が初演され、さらに2015年には井上さんの構想を基にした山田洋次監督の映画「母と暮せば」が公開された。「母と暮せば」は2018年に畑澤聖悟脚本で舞台化され、この3作品はこまつ座の「戦後“命”の三部作」と呼ばれている。

 そして今回、ついに「木の上の軍隊」が映画になった。手がけたのは1989年生まれの沖縄出身、平一紘監督で、井上さんが平和への祈りを込めて作品化を目指していた素材が、こうして3本とも舞台と映画で日の目を見ることになったというのは奇跡的なことではないだろうか。

 作品は実話に基づいている。第二次世界大戦末期の1945年、沖縄県の伊江島では日本軍が新しい飛行場の整備に躍起になっていた。多くの若い兵士が力仕事を強いられていたが、やがて米軍が上陸。激しい攻防が繰り広げられる。

 次々と尊い命が奪われていく中、地元出身の新兵、安慶名(山田裕貴)は上官の山下少尉(堤真一)とともに大きなガジュマルの木の上に身を隠す。2人は援軍が来るまで耐え抜くことにするが、厳格な山下と無垢な安慶名はまるで水と油で、事あるごとに衝突する。孤独と飢えに苦しみながらも米兵らの残飯などで生き永らえているうちに、やがて2年の月日が経過していた。

 舞台版は、この2人と「語る女」の3人だけによる芝居だが、映画では日米双方の兵士や民間人も多数登場。実際に舞台となった伊江島でも撮影を行うなど、鬱蒼としたガジュマルの森が広がる大自然を背景に壮絶な戦闘シーンが描かれる。

 中でも恐怖感をリアルに体感させる数々の映像、音声の仕掛けには圧倒されるばかりだ。日本兵が総出で飛行場建設に汗を流しているところに敵機が来襲する場面など、かなり大がかりな撮影で相当な迫力だし、とりわけ驚いたのが民間人も逃げ込んだガマ(洞窟)の入り口で砲弾が炸裂した瞬間だ。一瞬、静寂に包まれた後、最大級の轟音が響き渡る演出は、戦争の怖さ、悲惨さを凝縮したような表現で、まさに映画でなければ、それも映画館の大きなスクリーンと最高の音響空間でなければ実感できないものだろう。

 この戦慄の序盤からやがて2人だけの芝居に入っていく緩急の付け方も絶妙で、またテイストの異なる映像体験が味わえる。われわれ観客は2年もたてばすでに戦争が終わっていることを知っているが、木の上の2人はいまだに援軍を待ちながらその時に備えている。エリート軍人で投降を最も恥ずべき行為と考える山下と、一歩も外に出たことのない大切なふるさとが死屍累々たる地獄と化した安慶名。木の上という同じ場所にいながら、2人の感じる居場所は全く違う。

 そんな人間と人間の葛藤を、堤と山田の両名優が迫真の演技で見せ切る。カメラは2人の内面をもえぐろうと肉薄し、鬼気迫る表情を大写しですくい取る。まさに映画の醍醐味であり、演者、スタッフの心意気が見事に詰まっている。

 未完成映画予告編大賞を受賞した「ミラクルシティコザ」(2022年)で知られる平監督は、井上さんが亡くなったときはまだ20歳だった。恐らく直接の面識はなかっただろうが、こういう形で故人の思いを映像作品にして後世に伝えていく。改めて井上さんの存在感の大きさに感じ入ったと同時に、映画の持つ永遠性を噛み締めた。(藤井克郎)

 2025年7月25日(金)、全国公開。沖縄県では6月13日(金)から先行公開。

©2025「⽊の上の軍隊」製作委員会

平一紘監督「木の上の軍隊」から。ガジュマルの木の上で援軍を待つことにした山下少尉(左、堤真一)と新兵の安慶名(山田裕貴)だが…… ©2025「⽊の上の軍隊」製作委員会

平一紘監督「木の上の軍隊」から ©2025「⽊の上の軍隊」製作委員会