第295夜「選挙と鬱」青柳拓監督

 ドキュメンタリー映画作家に取材してしばしば耳にするのは、撮影を終了するタイミングが難しいという言葉だ。確かにシナリオがあるフィクションと違って、ドキュメンタリーは初めに着地点が決まっているわけではない。どこかで踏ん切りをつけないと永久に撮り続けることにもなり、だから同じ被写体で続編を作る人もいれば、中には10年、20年を費やして1本の映画に仕上げる場合もある。

 まだ32歳の若さながら、すでに3本の映画が劇場公開されている青柳拓監督も、結末をどう落とし込むかに関しては苦労の跡が見て取れる。コロナ禍で浮き彫りになった社会のありよう、人と人との結びつきの希薄さをテーマに、監督自らウーバーイーツの自転車配達員になって東京の街を走り回った「東京自転車節」(2021年)も、かなりの力業で押し切った感がある。むちゃな注文を必死にこなす自身の泣き笑いの表情という帰結は、ちょっと強引かなというのが正直な感想だった。

 もっともあの作品は、コロナ以前から地続きの社会の危うさを露呈させる意味でも、コロナ禍が収まっていない時期に公開することが重要だったわけで、青柳監督本人もインタビュー取材で「今のうちに最初のインプレッションを形にしようとした」と打ち明けていた。だから現在進行形で終わるのは織り込み済みだったのだが、公開されるやさまざまな反響を呼び、イギリスのシェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ、数々の海外の映画祭で上映されたほか、アメリカでは劇場公開に加えて公共放送のPBSで全米に向けて放映されるなどした。

 この作品を高く評価した一人に、アメリカ在住の映画評論家、町山智浩がいた。その町山から2022年、青柳監督にメールが届く。友人でもあるお笑いコンビ、浅草キッドの水道橋博士が、その年の夏に行われる参議院議員選挙にれいわ新選組から出馬することになり、誰か映画作家に密着撮影してもらってドキュメンタリー映画にしてほしいと思っている。ついては青柳監督は興味があるか、という内容だった。

 たまたまその前に町山と博士がYouTubeチャンネルでこのことについて話しているのを見ていて、面白そうだなと思っていた青柳監督は、町山からの提案に「興味あります」と即答。こうして水道橋博士の選挙活動に密着することになった青柳監督が、その一挙手一投足を捉えた作品が最新作の「選挙と鬱」だ。この密着に至るいきさつも、映画の冒頭で披露されている。

 素人集団による手探りの選挙活動は確かに見ていて面白いし、にぎやかしで参加しているとしか思えないお笑い芸人の三又又三など博士を取り巻く人々の人間模様もきっちりと描かれていて、決してプロパガンダ映画にはなっていない。選挙戦終盤には、博士が批判する自民党政権の象徴でもある安倍晋三元首相が銃殺されるという予期せぬ展開もあり、浮き足立つ陣営とは対照的な青柳監督の冷静な反応など見どころは尽きない。

 さらに周知のように博士が最後の最後に当選を果たすという大団円があり、一般的な選挙ドキュメンタリーならこれで十分かもしれない。でもこの作品の真骨頂は実はこの後であり、むしろここまでの選挙戦は終盤への大いなる助走だったように思う。

 これまたニュースなどで報じられている周知の事実だが、晴れて参議院議員になった博士は間もなく鬱病の診断を受けて議員活動を休止。翌年の年明け早々には議員辞職に踏み切るが、この間、青柳監督は博士に接触することができていない。密着ドキュメンタリーとしては極めて重大なマイナスポイントであり、普通ならもう作品化を諦めるくらいの危機的事態と言えるだろう。

 でも青柳監督はくじけない。マイナスをプラスに変えるバイタリティーというか、ドキュメンタリーの神様が降臨してきたのではないかと思えるくらいの感動的な展開が待っている。詳しくは見てのお楽しみだが、確実に言えるのは、神様はあがいていない人の元には決して降りてこないということだ。前半の選挙戦の場面で監督が見せる執拗なまでの取材ぶり、疑問に思ったことや率直な感想をずばずば投げかける素直な姿勢が、神がかり的な奇跡を生み出したのは間違いない。

 しかも鬱をもたらす社会背景や現代日本の病巣にまで踏み込んでいるかと思えば、博士の師匠に当たるビートたけしこと北野武監督の映画作品にもちらっと触れる。ラストで博士と取り交わす青柳監督の会話は絶妙の極みで、お笑い好き、映画好きにはたまらないフィナーレだ。こんな場面で映画を締めくくることができたのはドキュメンタリー作家冥利に尽きるだろうし、それを目撃できるわれわれ観客もこの上ない幸運と言えるのではないか。(藤井克郎)

 2025年6月28日(土)、東京・渋谷のユーロスペールなど全国で順次公開。

©ノンデライコ/水口屋フィルム

青柳拓監督のドキュメンタリー「選挙と鬱」から ©ノンデライコ/水口屋フィルム

青柳拓監督のドキュメンタリー「選挙と鬱」から ©ノンデライコ/水口屋フィルム