第290夜「新世紀ロマンティクス」ジャ・ジャンクー監督
映画ってときどき、長く見続けている人にはご褒美のようなすてきな贈り物を届けてくれることがある。現代中国を代表するジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の作品は、長編第1作の「一瞬の夢」(1998年)からほぼ全作品を視聴しているし、2度もインタビュー取材をする機会に恵まれた。来日は監督作品で常に主演を務める妻のチャオ・タオ(趙濤)を伴い、仲睦まじく並んで記者会見に出席している姿を目にしている。
そのジャ監督とチャオ主演の新作「新世紀ロマンティクス」は、正直に打ち明けると、途中まではいったい何を見せられているのだろうといささか戸惑った。何しろ種々雑多な映像が入り乱れ、画面サイズも横幅の狭いスタンダードからワイドなシネマスコープまで、画質もホームビデオのような劣悪なものも混ざっていて、どういう意図で配されているのかがまるで理解できない。だが後半、その仕掛け、いや映画の骨格に気づいてからは、もう完全に打ちのめされたというか、これはすごい体験をしてしまったぞ、と興奮が沸々と湧き上がってくるのを抑えられなかった。
ストーリーはあってないようなものか。最初は2001年、21世紀を迎えたばかりの中国北部は山西省の大同(ダートン)が舞台だ。中国のWTO(世界貿易機関)加盟や2008年の夏季オリンピックが北京に決まったという希望に満ちたニュースが流れる中、炭鉱で栄えたこの街は寂れる一方だった。キャンペーンガールの仕事をしているチャオ(チャオ・タオ)と恋人のビン(リー・チュウビン)はささやかな幸せにしがみついていたが、やがてビンは一旗揚げようと、チャオの元を去っていく。
その後、2006年の重慶市奉節(フォンジエ)、2022年の広東省珠海(チューハイ)と場面は移るが、三峡ダムの建設で水底に沈む運命にある長江沿いの奉節の映像を見たとき、あれ、この光景は……、と頭の中で記憶の欠片がうねうねと絡み出した。
そっか、そう言えば2006年のベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞に輝いたジャ監督の「長江哀歌(エレジー)」(2006年)が三峡ダムを扱っていた。あの年は勤続20年の特別休暇を取って念願のベネチアを訪れたものの、この作品は最後まで上映が発表されずに見逃している。帰国後の翌2007年9月、今はTOHOシネマズ シャンテと館名を変えた東京・日比谷のシャンテ シネで公開後、ようやく妻と一緒に見たんだった。その断片が、眼前によみがえっている。
2001年の映像も、ジャ監督の初期を代表する「青の稲妻」(2002年)の素材が用いられているようだ。封切り時に見ただけで内容はうろ覚えなのだが、とても酸っぱい青春映画だったということは脳裏に刻まれている。これぞすべての作品でチャオを主役に起用しているジャ監督だからこそなせる奇跡的な技だし、コロナ禍にあえぐ2022年を描いた現在のパートでは、主人公のチャオも相手役のビンも相応に年齢を重ねている。
2001年から現在までの時の隔たりを如実に描出しているが、さすがなのはただ単に見た目の時間経過だけを描いているわけではないということだ。市井の人々を捉えたビデオ映像なども駆使して、この21年間の社会情勢の変化から人心の揺らぎまでをも冷徹に映し出す。映画というのはかくも残酷に時の移り変わりを示すことができる装置なのだ、ということを見せつけられて、思わず身震いを覚えた。
同じ出演者で時の推移を見つめた映画と言えば、12年にわたって撮影を続けたリチャード・リンクレイター監督の「6才のボクが、大人になるまで。」(2014年)が思い浮かぶが、あちらが当初から長期間の撮影を意図していたのに対し、こちらジャ監督は恐らく21年前から今回の「新世紀ロマンティクス」を構想していたわけではないだろう。経済や社会が激しく動いたこの21年の時の積み重ねが、監督をしてこういう画期的な企画を思い起こさせたに違いない。
2016年の3月、当時は未来だった2025年の景色にまで触れた「山河ノスタルジア」(2015年)で来日した際、当方のインタビュー取材にジャ監督はこんな言葉を口にしていた。「未来と言ってもすべてが変わるわけではなく、必ず今が残っている。それは映画にも言えることで、残したいもの、残すべきものを残す、記憶を風化させずにとどめておく、そういうことができる性質を映画は持っているのではないか」と。
その信念をこんな形で珠玉の作品に仕上げるとは、ジャ映画をずっと見続けてきて本当によかったよ。(藤井克郎)
2025年5月9日(金)から、東京・Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下、新宿武蔵野館など全国で順次公開。
© 2024 X stream Pictures All rights reserved

ジャ・ジャンクー監督の中国映画「新世紀ロマンティクス」から © 2024 X stream Pictures All rights reserved

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