第284夜「エミリア・ペレス」ジャック・オーディアール監督

 映画はあらゆる境界を超えていく。「エミリア・ペレス」という作品に接して、その思いをますます強く抱いた。

 まずもって、この映画は国境をやすやすと超えている。監督、脚本を手がけたのは「ディーパンの闘い」(2015年)でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したフランスの名匠、ジャック・オーディアール監督だが、作品の舞台は大半がメキシコで、せりふもスペイン語がほとんど。主要な役を演じた4人は、ゾーイ・サルダナが父親はドミニカ共和国、母親はプエルトリコ出身のアメリカ人で、カルラ・ソフィア・ガスコンはスペイン人、セレーナ・ゴメスは父親がメキシコ人のアメリカ生まれで、アドリアーナ・パスはメキシコ出身と来ている。

 さらにはトランスジェンダーを絡めた女性性、男性性をテーマに、慈愛と暴力の相克をリアルに描きながら、ファンタジー色に彩られたミュージカル仕立てと、一体どれだけの境界を盛り込んだんだというくらいごった煮感が強い。評価も、フランスのカンヌ国際映画祭で審査員賞と上記の4人が女優賞を受賞したのに加え、アメリカ最大の映画の祭典、アカデミー賞では最多の12部門13ノミネートを果たし、助演女優賞と主題歌賞を獲得と、全世界で称賛されている。

 やり手の若い弁護士、リタ(ゾーイ・サルダナ)は、メキシコ中で恐れられている麻薬王のマニタス(カルラ・ソフィア・ガスコン)から驚愕の依頼を受ける。物心ついたときからの夢だった女性としての人生を新たに踏み出したいというのだ。リタは極秘裏に準備を整え、マニタスは敵対する組織に殺されたことにして、妻のジェシー(セレーナ・ゴメス)と幼い2人の子どもを安全のためスイスに移住させる。

 すべて順調に事が運んでから4年後、ロンドンを拠点に活動していたリタの前に、エミリア・ペレスという女性が現れる。彼女こそ、リタの尽力で生まれ変わったマニタスだった。女性になってもわが子が恋しいエミリアことマニタスは、リタに頼んで妻子をメキシコに呼び寄せてもらい、自分はマニタスのいとこだと名乗って豪邸に住まわせる。だがわが子への過剰な愛情から、やがてのっぴきならない状況へと追い込まれていく。

 この過程で描かれる女性性と男性性の対照が絶妙で、現実離れした物語にリアリティーあふれる社会性をもたらしている。マニタスの残した男性中心の犯罪組織による暴力行為が暗く重苦しい映像で紡がれる一方、犯罪に巻き込まれて行方不明になっている人たちを捜索する女性たちの描写は衣装も照明も明るく生き生きとしている。彼女たちの慈善団体を創設したのはエミリアで、悪行三昧だったマニタス時代の罪滅ぼしをするように、できるだけ不幸な人を生み出すまいと奮闘する。夫の家庭内暴力に苦しんでいたエピファニア(アドリアーナ・パス)と恋に落ちるなど、このまま平穏で慈愛に満ちた生活を送るのか、と思っているところに起こる悲劇が、子どもたちへの思いの強さゆえ、というのが奥深い。

 女性性を貫けばこの世から暴力を追放できるかもしれないのに、女性になっても親子の情は断ち難く、どうしてもエゴイスティックな側面が顔を出す。エゴイズムの衝突は世の中のあらゆる争い、例えば国と国との間の戦争にも通じる構図であり、この博愛と情愛の境界というのもオーディアール監督が強調したかった一つなのではないか。

 これをミュージカルという味つけでくるんだことにも、作り手の深遠な意図が見て取れる。あまりに突拍子もない設定をそのままリアルに表現しても、恐らく絵空事にしか映らない。冒頭の裁判の場面から、リタ役のゾーイ・サルダナを中心に大勢の群衆が歌い踊るファンタジーとして魅せることで、この醜くも切実な現実を一人一人の深層心理に深く刻み込む。私たち見る側は、流麗な音楽と華やかな群舞を思い浮かべるたびに、社会にはびこる暴力のことを考えざるを得ない。そんな力があるなんて、やっぱり映画って境界を超越した無限の娯楽なのかもしれないね。(藤井克郎)

 2025年3月28日(金)から東京・新宿ピカデリーなど全国で順次公開。

© 2024 PAGE 114 – WHY NOT PRODUCTIONS – PATHÉ FILMS – FRANCE 2 CINÉMA

ジャック・オーディアール監督のフランス映画「エミリア・ペレス」から。リタ(左、ゾーイ・サルダナ)は女性になったエミリア(カルラ・ソフィア・ガスコン)と再会する © 2024 PAGE 114 – WHY NOT PRODUCTIONS – PATHÉ FILMS – FRANCE 2 CINÉMA

ジャック・オーディアール監督のフランス映画「エミリア・ペレス」から。リタ(ゾーイ・サルダナ)を中心にミュージカル仕立てで進行する © 2024 PAGE 114 – WHY NOT PRODUCTIONS – PATHÉ FILMS – FRANCE 2 CINÉMA