第279夜「ブルータリスト」ブラディ・コーベット監督
上映時間が3時間半を超えると聞くと、さすがに身構える。もっと長い映画はいくらでもあるし、2020年の東京フィルメックスで8時間の大作「仕事と日(塩谷の谷間で)」(2020年、C.W.ウィンター、アンダース・エドストローム監督)を一気見した経験者としては、あの半分にも満たないんだから、と飲み込みはするものの、最近はとみに映画を見ていると睡魔に襲われることが多いんだよなあ。
なんてことを考えながら東宝東和の試写室に向かったが、「ブルータリスト」は正直、全く長さを感じさせなかった。何しろ前半の110分が終わったところで15分間のインターミッションが入り、後半もまた110分の計235分と、ブルータリズム建築を扱った作品だからなのか構造がきっちりしている。1988年生まれとまだ若いブラディ・コーベット監督、あえて狙ったに違いない心憎い演出だ。
ブルータリズムとは第二次世界大戦後の復興の中、1950年代にイギリスから起こった建築様式で、コンクリートやレンガをむき出しにして、装飾よりも構造で見せる手法のことを言う。イギリスのアリソン&ピーター・スミッソンや近代建築の巨匠、ル・コルビュジエなどがその代表的な建築家とされる。
「ブルータリスト」の主人公は、そんな建築家の一人で、ナチス・ドイツのホロコーストを生き延び、戦後、ヨーロッパからアメリカに渡ったハンガリー系ユダヤ人のラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)だ。母国ハンガリーで名建築家として実力を発揮していたが、新天地では誰にも認められず、単純労働に明け暮れる日々。だがある日、大富豪の実業家、ハリソン・ヴァン・ビューレン(ガイ・ピアース)と出会ったことで運命が開ける。小高い丘の上に巨大な礼拝堂を伴った文化施設を建てる設計を任されたラースローは、ヨーロッパで足止めされていた妻のエルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)と姪のジョーフィア(ラフィー・キャシディ)とも再会。文化施設の完成に向けて順風満帆かと思われたが……。
という流れから、てっきり実在の人物をモデルにした伝記映画かと見ていたら、これがすべてフィクションで構築されているということを後で知って驚いた。何しろラースローやヴァン・ビューレン家の人々など歴史を踏まえた人物造形の緻密な作り込みに加えて、当時の街並みや建築物などが実に微細に再現されている。前半110分、後半110分とたっぷり時間を費やして、戦後の時代背景やユダヤ人が背負ってきた苦難を丁寧に紡いでいて、これらを一から想像で積み上げていった力量には感嘆の声を上げるしかない。
とりわけ見応えがあるのが、文化施設建設の過程だ。何もないだだっ広い草原に、コンクリートのぶっとい柱がだんだんと組み上げられていく。幾分かはVFX(視覚効果)を駆使しているのかもしれないが、20メートルもの高さのガラス天井を有した礼拝堂などは実際に存在しているものにしか見えないし、ブルータリズム様式にのっとった建造物を丸っと造り上げたのだとしたら相当なものだ。しかもあの何とも寂しい丘の風景が、ラースローが収容されていたナチスのブーヘンヴァルトやダッハウの強制収容所を想起させるといった示唆もあって、本当に実話をなぞっているかのようにわれわれを1950年代にいざなってくれる。
また登場人物のキャラクターが架空とは思えない説得力なんだよね。主人公のラースローが信頼を勝ち得てからも常に不安と猜疑心にさいなまれてドラッグに逃げるのは、いかにも収容所で恐怖の極限を味わったからということが痛いくらいに伝わるし、それを「戦場のピアニスト」(2002年、ロマン・ポランスキー監督)でもホロコースト生存者役を演じてアカデミー賞主演男優賞に輝いたエイドリアン・ブロディが、まさにラースローの人生をたどるかのように表現する。車椅子の妻、エルジェーベトが夜中に激痛を訴える悲鳴も、姪のジョーフィアが人間不信で常に無表情なのも、ホロコーストの記憶がどこまで心の奥深くに傷を残しているかを如実に物語る。
これに比して、アメリカで安穏と暮らしてきた人たちの能天気な描写がまた強烈で、皮肉度合いがすさまじい。中でもハリソンをはじめとするヴァン・ビューレン家の人々の欲にまみれた無神経ぶりは、アメリカ人にとってはかなり衝撃的な映し鏡なのではないか。あたかも史実に則した構成が、さらに一層、効果をもたらしている気がする。
2024年のベネチア国際映画祭では銀獅子賞の監督賞を獲得したし、アカデミー賞の前哨戦と言われるゴールデングローブ賞では、作品賞(ドラマ)、監督賞、主演男優賞の3冠を達成した。アカデミー賞でも作品賞をはじめ10部門でノミネートされているが、さてこの醜いアメリカ人たちの衝撃作をどう評価するか、3月2日(日本時間3日)の授賞式が楽しみだ。(藤井克郎)
2025年2月21日(金)、全国で公開。
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ブラディ・コーベット監督のアメリカ、イギリス、ハンガリー合作「ブルータリスト」から。ラースロー(左、エイドリアン・ブロディ)はようやく妻、エルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)と一緒に暮らすことができたが…… © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVED. © Universal Pictures
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ブラディ・コーベット監督のアメリカ、イギリス、ハンガリー合作「ブルータリスト」から。ラースローは礼拝堂を伴った巨大な文化施設の設計を依頼される © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVED. © Universal Pictures