第273夜「苦悩のリスト」ハナ・マフマルバフ監督 「子どもたちはもう遊ばない」モフセン・マフマルバフ監督

 中東イランの映画人というと、苦難の道を歩んでいるというイメージが強い。日本でのイラン映画人気に火をつけたアッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」(1987年)も検閲の目をかいくぐるために子どもを描いたと言われているし、「酔っぱらった馬の時間」(2000年)のバフマン・ゴバディ監督や「悪は存在せず」(2020年)のモハマド・ラスロフ監督らが亡命を余儀なくされている一方、「熊は、いない」(2022年)のジャファル・パナヒ監督は長く国内で軟禁状態にあった中で映画を作り続けるなど、みんなさまざまに権力と闘っている。

 アート系から社会派まで幅広い作品を手がけるモフセン・マフマルバフ監督もその例に漏れない。17歳から4年半の獄中生活を経験した後、「サイクリスト」(1989年)や「パンと植木鉢」(1996年)など若くして世界各地の国際映画祭で評判を取るものの、政府の検閲に抗議して2005年からはロンドンやパリを拠点に亡命生活を送っている。2015年10月に「独裁者と小さな孫」(2014年)で来日したときにインタビュー取材をしたが、「イランを出た後は、国内では映画の上映も本の出版も禁止されている。新聞などで私の名前を載せることすら禁じられているが、海外のペルシャ語放送のテレビで私の映画が放映されるので、イランの人々はそれを利用して見ているようです」と話していたことが印象に残っている。

 マフマルバフ家は家族が一体となって映画づくりに取り組んでいることでも知られていて、妻のマルズィエ・メシュキニや長男のメイサム・マフマルバフ、長女のサミラ・マフマルバフ、次女のハナ・マフマルバフも、それぞれプロデューサーや監督として活躍。サミラは17歳のときに「りんご」(1998年)の監督で衝撃のデビューを果たしたし、次女のハナが姉の映画製作現場に密着したドキュメンタリーの「ハナのアフガンノート」(2003年)を撮ったときは13歳だった。

 今回「ヴィジョン・オブ・マフマルバフ」と称して、マフマルバフ・ファミリーが手がけた2本の新作ドキュメンタリー映画が同時公開されるが、ハナ・マフマルバフ監督の「苦悩のリスト」も、モフセン・マフマルバフ監督の「子どもたちはもう遊ばない」も、家族が前面に登場する私的な記録映像ながら、どちらも平和の尊さや戦争の悲劇について深く考えさせられる貴重な作品に仕上がっていた。

「苦悩のリスト」は、一家が常に気にかけている隣国アフガニスタンを見つめたドキュメンタリーで、2021年の米軍撤退で武装勢力のタリバンが全土を掌握した際の大混乱を緊迫感あふれる展開でつづっている。首都カブールの空港に詰めかけた大勢の市民が脱出を求めて米軍機などに群がる映像は、当時のニュースでもさんざん流れたが、中でも映画関係者ら芸術家にとっては、アフガニスタン国内にとどまることは命が危険にさらされるということだった。

 ロンドンにいるモフセンらマフマルバフ家の人々はつてを頼って、カブール空港で助けを求めている仲間たちを何とか飛行機に乗せられないかとアメリカやフランスの有力者らと折衝を重ねる。空港からは映画仲間からのスマートフォンによる悲痛な叫びが流れてきて、米軍、市民が入り乱れたパニックの様子が刻一刻と届けられる。脱出を待ち望んでいる芸術関係者は800人もいて、でも交渉中のフランス軍機にはわずか20人しか乗せることができない。自分たちはその20人を選別する立場にない、と涙ながらに訴えるモフセンの必死の形相が胸に迫る。

 この一家の錯乱ぶりをきっちりとカメラに収めるハナ監督の映画人としての矜持は大したものだし、何よりも素晴らしいのは、こんなにも切羽詰まった瞬間でもハナ監督自身の子どもが愛らしい笑顔を振りまいている姿を撮り逃がしていないことだ。ロンドンの安全な自宅で祖母と無邪気に遊ぶ息子を映し出すことで、タリバン政権の恐怖におびえるアフガニスタン市民との対比が際立つ。さすがは13歳で長編をものした映画の申し子だけのことはある。

 もう1本の「子どもたちはもう遊ばない」も、父親のモフセン監督本人が前面に出てくるドキュメンタリーで、こちらは今まさに悲劇が進行中のパレスチナ問題を扱っている。

 作品の舞台はイスラエルのエルサレム。この街を訪れたモフセン監督が、ここで暮らすさまざまな立場の人に話を聞くのだが、その人選が百戦錬磨の名監督ならではと言える。アフリカ系のパレスチナ人に曾祖父の代から住んでいるユダヤ人、新たに入植してきたユダヤ系女性と、いずれも争いなんてしたくないと口をそろえるものの、それでも戦火が収まる気配はない。

 ユダヤ人のベンジャミンは2023年10月のハマスとの衝突後、友人に銃砲店に連れていかれて安心を買うよう勧められたが、「銃があると余計に怖い」と暴力を完全に否定する。それでもなぜ悲劇は続くのか。モフセン監督自身は決して多弁に感想をつぶやくことはしないが、住民の意見や現在のエルサレムの風景を示すことで、多くの人に自分事として考えてほしいという思いが強く伝わってくる。

 かたや「苦悩のリスト」は上映時間が67分で、こなた「子どもたちはもう遊ばない」は62分と、両作品合わせても2時間ちょっとで見終わる。マフマルバフ・ファミリーの長い闘争の中ではごく一瞬かもしれないが、平和な世界の実現を願う映画一家の熱い思いがこの2本の中にぎゅっと凝縮していることは間違いない。(藤井克郎)

 2024年12月28日(土)から、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムなど全国で順次公開。

Makhmalbaf Film House

ハナ・マフマルバフ監督のイギリス、アフガニスタン、イラン合作ドキュメンタリー「苦悩のリスト」から Makhmalbaf Film House

モフセン・マフマルバフ監督のイギリス、イスラエル、イラン合作ドキュメンタリー「子どもたちはもう遊ばない」から Makhmalbaf Film House