全コンペ作品踏破にトークセッション、シンポジウム… 第37回東京国際映画祭を振り返る

 久しぶりにどっぷりと映画に浸った10日間だった。第37回東京国際映画祭が2024年11月6日(水)、コンペティション部門の最高賞に当たる東京グランプリに日本映画の「敵」を選出して閉幕した。全部で208本の映画が上映された会場を訪れた観客数は6万人を超え、海外からのゲストは昨年比128.1%の2561人と増加。女性映画にスポットを当てたウィメンズ・エンパワーメント部門が新設され、昨年から始まったエシカル・フィルム賞も定着と、コロナ禍を乗り越えて充実の内容になっていた。(藤井克郎)

☆26年越しのリベンジが果たせるか

 実は東京国際映画祭には苦い思い出がある。産経新聞の社内留学制度で1年半、米ロサンゼルスで映画ジャーナリズムを学んで帰国した1998年10月末、映画担当に復帰していきなり対峙したのが第11回東京国際映画祭だった。

 時差ボケも解消されない中、仮住まいのツカサのウィークリーマンションから連日、渋谷の映画祭会場に出かけては、できる限り映画を見て取材をこなした。最終日の日曜は新聞休刊日で、翌日の朝刊は発行されない。芸能担当のデスクにはあらかじめクロージングセレモニーを取材すると告げていたが、翌月曜の夕刊用に記事を書くということをすっかり失念していた。デスクには言ってあったのだから月曜の午前中にポケベルで呼んでくれればいいものを、結局、他紙には掲載されたコンペティションの結果が、産経新聞だけは1行も載らなかった。部長からは「死刑だ」と怒られ、それから半年くらい後に映画担当を外れた。せっかくのハリウッドでの記者修業がちっとも生かされないまま、その後は宇都宮支局デスクに大阪社会部デスク、札幌支局長など、映画とは無縁の部署を回ることになる。

 文化部に戻ってからも映画はメインの担務ではなかったから、東京国際映画祭に真剣に向き合ったのは、このとき以来と言っていいかもしれない。今年は事前に試写で見ていた2本を含めてコンペティション部門の全15本を踏破したほか、ウィメンズ・エンパワーメント部門のシンポジウムやエシカル・フィルム賞の授賞式などを取材することができ、自分としてはようやく26年越しのリベンジが果たせたような気がする。

 コンペティションの15本は、中国語圏の映画が5本、日本映画が3本と地域的には偏りが見られたが、テーマとしては家族の絆、自己肯定感、反戦、移民問題に植民地主義、さらにはクライムサスペンスにホラーコメディーと、実に多様性に富んだバラエティー豊かなラインアップになっていた。

 香港出身のスター、トニー・レオンを委員長とする5人の審査委員が東京グランプリに選んだ「敵」は、吉田大八監督が最優秀監督賞、主演の長塚京三が最優秀男優賞と3冠を達成。日本映画の最高賞受賞は第18回の2005年「雪に願うこと」(根岸吉太郎監督)以来で19年ぶりになる。その前となると第1回の1985年「台風クラブ」(相米慎二監督)だから、ホームタウンデシジョンは全く関係ないと言えそうだ。

記者会見に臨むトニー・レオン委員長(中央)らコンペティション部門の審査委員=2024年10月29日、東京都千代田区のTOHOシネマズ シャンテ(藤井克郎撮影)

☆19年ぶりに日本映画がグランプリ

 その「敵」だが、最近は「騙し絵の牙」(2021年)など娯楽色の傾向にあった吉田監督が、全編モノクロで虚実皮膜の世界観を独特の感性で描いた極めて作家性の強い作品に仕上がっていた。主人公の儀助はフランス演劇史が専門の元大学教授で、妻に先立たれて今は古い一軒家に一人で暮らしている。年を重ねても紳士然とした振る舞いは変わらず、執筆や講演の仕事を細々と続けながら、一人で食事の準備を整え、たまにバーに出かけては古くからの友人と酒をたしなむ。だが平穏なはずの日々に、次第に「敵」が忍び寄ってきていることに気がつき始める。

 原作は筒井康隆が1998年に発表した同名小説だが、老いの本質を見つめたテーマは色あせないどころか、むしろ現在の社会情勢を反映して切実感が増している。吉田監督は、妄想や夢の描写を現実との区別なく表現することで、儀助の抱える不安、恐怖を巧みに浮かび上がらせる。何よりも儀助を演じる俳優歴50年の長塚の老いとダンディズムを兼ね備えた存在感が圧倒的で、男優賞は当然の結果かなと感じた。

 グランプリに次ぐ審査委員特別賞は、南米コロンビアのイバン・D・ガオナ監督作「アディオス・アミーゴ」が受賞した。コロンビアで1902年まで3年にわたって繰り広げられた内戦を題材にした戦争映画で、マカロニウエスタン調の極めて個性的なコメディーになっていた。世界各地でさまざまな分断にさらされている現代への暗喩と捉えられなくもないが、純粋に娯楽活劇として楽しめる作品だ。受賞者会見でガオナ監督は「自分たちのルーツや歴史をどう伝えたらわかりやすいかと考えたとき、ウエスタンは身近な素材だった」と語っていたが、コロンビアの雄大な荒野を舞台にかつて激しい内戦があったことを知ることができるというのは国際映画祭ならではの効果かもしれない。

 その他の受賞は、最優秀女優賞がルーマニア、ベルギー、オランダ合作「トラフィック」(テオドラ・アナ・ミハイ監督)のアナマリア・ヴァルトロメイ、最優秀芸術貢献賞が中国映画「わが友アンドレ」(ドン・ズージェン/董子健監督)、観客賞がやはり中国映画の「小さな私」(ヤン・リーナー/杨荔钠監督)だった。

 中でもジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の「山河ノスタルジア」(2015年)などに出演している俳優、ドン・ズージェンの初監督作となる「わが友アンドレ」は、前半にちりばめられた謎が途中から氷解していく展開が見事で、しかもその重要な秘密を最後にではなく予想もしない段階で明かすという作劇にうなった。父親の葬儀に向かう青年を主人公に教育現場の闇の実態に踏み込むなど、凍てつくような冬の風景の中、全体的に暗いトーンで押し通していて、かなり挑戦的な作品に感じる。ドン監督は受賞者会見で「自分の思い描いた世界を共有してもらいたかっただけで、受賞によって配給や宣伝にどう影響が出るかはあまりわかっていない」と話していたが、ぜひとも日本での劇場公開をお願いしたいものだ。

 残念ながら受賞しなかった中では、ブラジル映画「死体を埋めろ」(マルコ・ドゥトラ監督)、カザフスタン映画「士官候補生」(アティルハン・イェルジャノフ監督)、台湾映画「娘の娘」(ホアン・シー監督)、ポルトガル映画「英国人の手紙」(セルジオ・グラシアーノ監督)などが印象に残った。特に「士官候補生」は士官学校を舞台にした反戦ホラーコメディーとでも言うべき驚愕の代物で、ダリオ・アルジェントばりの奇怪な恐怖がブラックユーモアとともに襲ってくるという衝撃作だった。イェルジャノフ監督作品は、2020年の東京フィルメックスのコンペティションで、やはり相当な刺激作の「イエローキャット」(2020年)を見ているが、まだ日本では公開されていないようだ。「士官候補生」も劇場公開されるかどうかは極めて怪しく、国際映画祭が一期一会の場ということは間違いない。

東京グランプリなど3冠を獲得した吉田大八監督作品「敵」 ©1998 筒井康隆/新潮社©2023 TEKINOMIKATA

☆映画の社会的意味合いを届ける

 昨年から始まったエシカル・フィルム賞にも触れておきたい。「人や社会、環境を思いやる考え方、行動」というエシカルの理念に合致した作品から1本を選出する賞で、今年はワールド・フォーカス部門のベナン、セネガル、フランス合作「ダホメ」(マティ・ディオップ監督)、同部門のドイツ、フランス合作「ダイレクト・アクション」(ギヨーム・カイヨー、ベン・ラッセル監督)、アニメーション部門のラトビア、フランス、ベルギー合作「Flow」(ギンツ・ジルバロディス監督)の3作品がノミネート。この中から俳優で映画監督の齊藤工委員長と3人の学生応援団による審査委員が選び出したのは、2024年のベルリン国際映画祭で最高賞の金熊賞を受賞している「ダホメ」だった。

 一般入場客と同じ有楽町よみうりホールで鑑賞したが、西アフリカのベナンに存在したかつてのダホメ王国の美術品の一部がフランスから返還される過程を描いた作品で、美術品のモノローグを実録映像にかぶせるなど、セネガル系フランス人のディオップ監督が仕掛けるドキュメンタリーともフィクションともつかぬ表現が異彩を放つ意欲作だ。ダホメ王国を征服したフランスが奪っていった美術品は7000点を数えるが、返還されたのはわずか26点で、その受け止め方について学生たちが侃々諤々の議論を繰り広げる様子をそのまま流すなど、植民地主義や地域間格差など今日的な問題が浮かび上がってくる。

 11月5日(火)には授賞式に続いて、市山尚三プログラミング・ディレクターを進行役に、齊藤委員長と学生の審査委員が出席してトークセッションが開かれた。

 市山ディレクターによると、エシカル・フィルム賞は女性の社会進出や人種問題、戦争といったさまざまな課題について、よりよい社会にするためにはどうすればいいかを考えさせる映画の中から特におすすめの作品を選ぶという趣旨でスタート。第1回の昨年は性自認に悩む子どもの目線で家族を描いたスペイン映画「ミツバチと私」(2023年、エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン監督)が受賞したが、齊藤委員長は今年の「ダホメ」も含めて、今後の日本の映画業界におけるエシカルの意味づけの基準になっていくのではないかと見ている。

「エシカルとは、他者の個性を理解して、時として寄り添う思いやりみたいなものとして捉えている。映画館で映画を見たことがない子どもがたくさんいる現状で、遠く広く届けなくてはいけないという使命を掲げて上映活動などをしているが、今回の審査会で素晴らしいなと思ったのは、まず東京国際映画祭にアンテナが向いている人たちにエシカル・フィルムとして作品を選んで、そこから派生して映画が広がっていくということが考え抜かれていたこと。その方が結果的に映画の社会的な意味合いにたどり着くんじゃないかということを、ここ数日で教えていただいた」と齊藤委員長は満足そうに振り返っていた。

エシカル・フィルム賞授賞式後のトークセッションに臨む齊藤工審査委員長(左から2人目)と学生応援団の審査委員。左端は進行役の市山尚三プログラミング・ディレクター=2024年11月5日、東京都千代田区のLEXUS MEETS…(藤井克郎撮影)

☆いまだに残る「女性だから」の発想

 新設のウィメンズ・エンパワーメント部門は8本の上映作品中、事前の試写を含めて2本しか見ることができなかったが、11月4日(月)に7時間にわたって開かれたシンポジウム「女性監督は歩き続ける」は途中まで参加して、日本映画におけるジェンダーギャップの実態についてわずかながらも認識することができた。

 例えば「あのこは貴族」(2021年)などの岨手由貴子監督は、指揮系統に男性的な発想を感じることがあるという。「トラブルが起きたときの解決法がサウナに行くことだったりして、私は行きたくないし、何が解決法なのか全然わからない。男性的な理論と言ってしまうと雑かもしれないが、日々100個も200個も決断していくのが撮影現場での監督の仕事で、そのときにこの人に相談していいのか疑心暗鬼になるのがつらい」と打ち明ける。

 また「陰陽師0」(2024年)などの佐藤嗣麻子監督は脚本を書くときに、プロデューサーからよく「女の情念を書け」と言われると告白。「すみません、女の人ってもっとさばさばしていて、情念があるのは男の方じゃないかと思います、と返すことがよくあった」と話せば、「すばらしき世界」(2021年)などの西川美和監督も「女性ならではの繊細な表現」を求められることがよくあって、「女性だから女性をうまく描けるかというと、それは違うだろうと思っている」と言う。

「女性監督だから女性を主体的に描けと言われるのは絶対数が少ないからで、男性の監督でも女性を主人公に描く人はたくさんいるのに、そういうことはあんまり言われないんじゃないか」との指摘は至極ごもっともだ。

 ほかにもウィメンズ・エンパワーメント部門に出品されたトルコ映画「10セカンズ」のジェイラン・オズギュン・オズチェリキ監督や香港映画「母性のモンタージュ」のオリヴァー・チャン監督、日本、フランス合作「徒花-ADABANA-」の甲斐さやか監督らが女性映画にスポットを当てることの意義などについて語り合ったが、実は日本ではもう40年も前に女性映画を集めた映画祭が開催されていて、この日のシンポジウムではその価値が再確認されていた。

ウィメンズ・エンパワーメント部門シンポジウムに参加したオリヴァー・チャン、ジェイラン・オズギュン・オズチェリキ、甲斐さやかの3監督(右から)。左端は進行役を務めた同部門シニア・プログラマーのアンドリヤナ・ツヴェトコビッチさん=2024年11月4日、東京都千代田区のBASE Q(藤井克郎撮影)

☆愛を基本にすれば戦争も起こらない

 1985年、第1回東京国際映画祭の協賛企画としてスタートしたカネボウ国際女性映画週間は、途中で東京国際女性映画祭と名を変えて2012年まで開催。当初は世界でも例を見ない画期的な催しで、企画したのは岩波ホール総支配人の故高野悦子さんだった。シンポジウムの冒頭には、高野さんを「お母さん」と慕うインドネシアの俳優で映画プロデューサーのクリスティン・ハキムさんが登壇し、高野さんとの思い出を、時折涙ぐみながら熱く語った。

「高野さんは女性監督が増えることを望んでいたし、東京国際女性映画祭はそのための大事な役割を果たしていました。今こそ女性の国際映画祭は世界で大きな意義がある。というのも世界で愛が必要とされているからです。私は母として女性としてたくさんの愛を学びました。愛を基本にすれば紛争も戦争も起こらないと信じています」とハキムさんが強く訴えると、会場を埋め尽くした女性中心の入場者から温かい拍手が沸き起こった。

 ハキムさんが高野さんの後押しもあって初めてプロデュースした主演作「枕の上の葉」(1998年、ガリン・ヌグロホ監督)は、1998年の第11回東京国際映画祭に選出され、審査員特別賞を受賞している。そう、当方が受賞結果の記事を失念したあの年だ。

 この作品は翌年には岩波ホールで公開され、再来日したハキムさんにインタビュー取材もしているが、壇上での熱弁に触れて当時の記憶が鮮やかによみがえってきた。これだけの分厚い記事に仕立てたことで、少しは26年前の罪滅ぼしになっただろうか。

カネボウ国際女性映画週間のスライドをバックに故高野悦子さんへの思いを語るクリスティン・ハキム=2024年11月4日、東京都千代田区のBASE Q(藤井克郎撮影)