第261夜「ナミビアの砂漠」山中瑶子監督

 新作映画を見ていると、ときどき、これはもしかしたら歴史の瞬間に立ち会っているんじゃないか、という感覚になることがある。恐らく「七人の侍」(1954年、黒澤明監督)や「スター・ウォーズ」(1977年、ジョージ・ルーカス監督)を封切り時に見た人はそんな感じだったのではと推測するが、山中瑶子監督の本格的な長編第1作となる「ナミビアの砂漠」に試写会で触れたとき、まさにそういう思いにとらわれた。何しろ諧謔性をたたえつつ人間性の深淵に踏み込んだような作品で、しかも捉えどころがないのになぜか圧倒される。見終わってもしばらくは興奮が収まらなかった、というのが正直なところだ。

 ストーリーは、と言っても多分、書いたところでその興奮は伝わらないだろう。主人公は、今を時めく河合優実演じる21歳のカナ。美容脱毛サロンで働きながら、友人のイチカ(新谷ゆづみ)とカフェでだべったり、怪しげなクリエイターのハヤシ(金子大地)と飲みに行ったり、でも自宅に帰ると真面目な同棲相手のホンダ(寛一郎)が優しく出迎えてくれる。自由奔放に生きながら、どこか満たされない毎日に退屈していたカナは、刺激を求めてハヤシと頻繁に会うようになるが……。

 その後もハヤシとの関係、ホンダとの仲、職場の新人指導など、カナの行き当たりばったりの破天荒な生き方が、理屈やつながりなどを超越して何とも乱暴に描かれる。一体何を見せられているのか、考える暇を与えないくらいの目まぐるしい切り替わりで、はじけまくるカナの姿が次から次へとスクリーンに映し出される。

 かと言って、別にカット割りを多用しているわけではない。撮影はほぼ手持ちカメラのように思われるが、激しい動きにも全くぶれずにカナの変幻自在な表情に肉薄する。しかもやり合っている相手のハヤシではなく確実にカナに焦点を当てたまま、ここぞというタイミングで彼女の内面までのぞき込むかのようにズームアップする。撮影の米倉伸は1992年の生まれで、「はだかのゆめ」(2022年、甫木元空監督)や「鯨の骨」(2023年、大江崇允監督)などでも片鱗を見せていたが、とんでもない若手カメラマンが現れたものだ。

 そのカメラが一途に追いかけるカナ役の河合が、もう安定のすさまじさだ。テレビドラマの「不適切にもほどがある!」(2024年、TBS系)で一躍、脚光を浴びたが、「サマーフィルムにのって」(2020年、松本壮史監督)、「由宇子の天秤」(2020年、春本雄二郎監督)、「PLAN75」(2022年、早川千絵監督)など、映画では以前から抜群の存在感を示してきた。

 2024年は「あんのこと」(入江悠監督)の演技もとてつもなかったが、この「ナミビアの砂漠」ではまた新たなポテンシャルが発揮されていて、浮かれているのか、落ち込んでいるのか、怒っているのか、自分でもよく理解していないと思われるカナという複雑な役どころを、まさにそのままの状態で画面上にさらけ出す。この激しさにあっけにとられていると、やがて砂の上に家型のブロックを置いたり、唐田えりかと童謡の「キャンプだホイ」を歌ったり、カナの内面がじわっとにじみ出てきて、なぜだか涙が込み上げる。ちっとも感情移入はできないんだけど、でも心を揺さぶられるって、ホントすごい役者だと思う。

 そして何と言っても山中監督だ。脚本も監督がオリジナルで手がけているが、適当でめちゃくちゃなようでいて、「自分の頭で考えられないやつばっか増えていく」だの、「言ってることと思ってることが違うって怖くないですか」だの、心にズバッと突き刺さる深いせりふがいっぱいちりばめられている。

 何より冒頭の描写がとんでもなく素晴らしい。カナがイチカとカフェで会うところ、近くの男どもがしゃべっている声がうるさくて2人の会話がよく聞き取れない。それも男たちが声高に語っているのはノーパンしゃぶしゃぶの話題なんて、いや、こんな演出、よくぞ考えついたものだ。とにかく全てのショットが意味ありげで、でも勢いだけで撮ったような印象もあり、映画とは別次元の新しい表現形態が誕生している現場を目撃しているような気分にさせられた。カンヌ国際映画祭の監督週間に選出され、国際映画批評家連盟賞を受賞したのも納得だ。

 山中監督は本格的な長編はこれが初めてとは言うものの、独学で制作した66分の自主制作作品「あみこ」が2017年のぴあフィルムフェスティバルで評判を呼び、ベルリン国際映画祭など世界各地で上映されたほか、日本でも劇場公開された。このとき監督インタビューをする機会を得たが、当意即妙に中身の濃い言葉をぽんぽんと紡ぎ出してきて、気がつくと取材時間は優に1時間半を超えていた。

 映画は自分のために撮っていると言いつつ、「私が作った映画が見た人たちの人生のその時間だけ交わっている感じが不思議というか、幸せなことなんじゃないかな」と話していた山中監督は、次作について「一番は自分がやりたいようにできたらいいけれど、まだ具体的に話を進めるのが怖かったりします」と打ち明けていた。その後、短編やテレビドラマはいくつか撮ってはいるものの、それから6年を経ていよいよ初長編を世に送り出した。どうか世紀の証人となるチャンスを逃すことのなきように。(藤井克郎)

 2024年9月6日(金)、東京・TOHOシネマズ日比谷など全国で公開。

© 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

山中瑶子監督「ナミビアの砂漠」から。毎日をむなしく過ごすカナ(河合優実)は…… © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

山中瑶子監督「ナミビアの砂漠」から。カナ(左、河合優実)はクリエイターのハヤシ(金子大地)と自堕落な生活を送ることに…… © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会