目に見えないものを見つめ直す 「ヴァタ~箱あるいは体~」亀井岳監督

 マダガスカルと聞いてぱっと思い浮かぶのは、バオバブの木とワオキツネザルくらいだろうか。そんな日本とは縁遠いアフリカ南東沖に浮かぶ島国で、長編映画を2本も撮り上げた日本人監督がいる。しかもドキュメンタリーの要素を含んだ前作とは異なり、今度の「ヴァタ~箱あるいは体~」はオリジナルストーリーの劇映画だ。マダガスカル独特の死生観や音楽をモチーフにしながら、日本人ならではの祖先への畏敬の念も織り込んだ亀井岳監督(54)は「何が確かなのかがわからなくなってきたこの時代、目に見えないものとは何なのかを見つめ直すという思いもあった」と作品の狙いについて語る。(藤井克郎)

★音楽と死生観の密接な結びつき

 タイトルの「ヴァタ」とは、マダガスカルの言葉で、地域によって「箱」という意味もあれば「体」という意味もあるという。「マダガスカルの研究者にそのことを聞いて、そのままタイトルにしました」と亀井監督は気さくに笑う。

 全編、マダガスカル南東部で撮影したこの作品には、バオバブの木も珍しい動物も出てこない。とある小さな村に住むタンテリは、長老のルナキに、そろそろ姉のニリナが骨になっているころではないかと告げられる。ここでは遺骨が生まれ育った場所に帰ってくることで祖先になって生き続けるという言い伝えがあり、出稼ぎ先で亡くなったニリナの遺骨を持ち帰る必要があった。

 タンテリとザカ、スルの若い3人では心もとないと、長老は離れ小屋の親父を連れていくように提案。こうしてそれぞれ日ごろ親しんでいる楽器を手に、ニリナが亡くなった出稼ぎ先まで片道だけで3日はかかる旅に出た4人は、途中、木の上に立つ盲目の女性と出会い、ロカンガというバイオリンに似た楽器を奏でる男と音楽に興じる。果たして彼らは、無事にニリナの遺骨を村に持って帰ることができるのか。

 亀井監督がこの映画の着想を得たのは、やはりマダガスカルで撮った前作「ギターマダガスカル」(2014年)の撮影中、遺骨が入った箱を運ぶ人々に出会ったことがきっかけだった。

「もともと僕はマダガスカル音楽のマニアだったが、現地で取材したり撮影したりするうちに、音楽が彼らの死生観と密接に関わっていることがわかってきた。『ギターマダガスカル』にも儀礼のシーンはいっぱい出てくるんですが、その死生観をもう少し深めて表現することで、また違った地平が見えてくるんじゃないか。もう前作の制作中には、これは撮らなければならないという感じがありましたね」と亀井監督は振り返る。

★マダガスカルに持ち込んだ幽玄の世界

 前作はドキュメンタリーにドラマを融合させるスタイルで作ったが、今回の「ヴァタ~箱あるいは体~」は完全オリジナルの劇映画で臨んだ。とは言えマダガスカルの土着の文化は最大限に尊重したいと、脚本づくりの前に日本のマダガスカル研究者に教えを請いにいったり、現地での儀礼を見せてもらったりと勉強を重ねた。撮影に入ってからも、マダガスカル人のスタッフ、キャストに違和感がないかどうか確認しながら修正を加えていったという。

「マダガスカルには18の民族があって、儀礼もそれぞれいろんなやり方がある。こうやなかったらあかん、という縛りもないわけじゃないが、意外に地域性でいろんな解釈があるんです。全く異質なものにならない限り最初に僕が創作して、それを現地でみんなと相談しながら、あ、そういうのもあるよね、といった感じで作り上げていきましたね」

 そんな中、亀井監督が工夫を凝らしたのが幽霊の描写だった。映画にはタンテリの姉のニリナをはじめ、何人か死者が登場する。藪の中に彼らがぼーっとたたずんでいる場面などは、日本の薪能をイメージした。

「幽玄の世界を持ち込みました。能ってそういうゆらゆらしたイメージが強いですよね。一方で、現地で音楽って何だと聞くと、祖先と交流するためと言う人が結構いる。自分が楽しむためとか、お金のためとかじゃなくて。日本にも神楽だったり盆踊りだったり、ちょっとでも楽しくして祖先が帰ってきやすくするという音楽はありますが、それが今もリアルにあるというのはすごいことだと思うんです。古典的な音楽だけでなく、ポピュラー音楽もそういうニュアンスを持っていますからね」と亀井監督。マダガスカルの楽器と霊の激しいセッションは、必見、必聴の名場面だ。

★海外でわかる「自分自身とは何者か」

 大阪府出身の亀井監督は、父親が映画好きで、高校では映画研究会に入って8ミリで作品を作ったりしていた。「とは言え、映画ってものすごいスタッフとものすごい資金でやるもので、到底そういう世界に足を踏み入れたいというイメージは湧きませんでしたね」と打ち明ける。

 高校卒業後は大阪芸術大学に進学するが、専攻は彫刻だった。ものを作るのは好きだったし、彫刻は一人でできる。金沢美術工芸大学大学院を出た後は、石川県の能登にある羽咋中学や押水中学などで美術を教えながら、アート作品の創作に取り組んでいた。

 だが2001年ごろのこと、インスタレーション作品を撮影したことがきっかけで映像制作を手がけるようになる。新たな機材が開発され、一人で比較的簡単に安価で編集できるようになったことが大きかった。5分くらいの作品を作って展覧会などで流したりしていたが、来場者はあまりちゃんと作品を見てはくれない。もっときちんと座って見てほしいという不満が募ってきて、映画を作ろうかなとの思いが芽生える。こうして完成させたのが、モンゴルの独特の歌唱法であるホーミーをテーマにドキュメンタリーとドラマを融合させた長編第1作「チャンドマニ~モンゴル ホーミーの源流へ~」(2009年)だった。

 経歴も異色なら、いきなりデビュー作が海外での撮影というのも異質だが、「美術をやると、自分自身が何者かという意識はみんな誰しも付きまとう。ところが海外に行くと自分が育ってきた中で常識だと思ってきたことと違うので、自分のことが逆によくわかる。海外で映画を撮るというのは、自分自身を見つめるという感じでしょうか」と亀井監督はいたって自然体だ。

★見る前も見た後もわくわくする時間

 マダガスカルも10代のころからその音楽の美しさには引きつけられていたが、特段、土地や風景に興味があるわけではない。バオバブの木は島の西の方に行かないと生えておらず、亀井監督は今までほとんど見たことがないという。

「ただマダガスカルと比べると、日本はどんどん祖先との結びつきが薄くなっていると感じます。撮影から帰ってきて父親が亡くなったこともあり、その思いは一層、強くなりました。何が確かかわからない時代になってきている中、みんなそれぞれ価値観は違うし、だから逆に目に見えないものを見つめ直すことが大事になっている。マダガスカルはインフラもあまり整備されていないし、それこそ骨を運ぶ人と会ったときなんか、もう何時間も人がいなかったところに急に現れた。まるで神に会ったような気になったのですが、生き方が1000年以上も前からほとんど変わっていなんじゃないかと思いますね」

 ちなみにマダガスカルにはつい最近まで映画館がなく、「ギターマダガスカル」を撮ったときは、マダガスカルで2本目の映画だと言われた。その後、首都のアンタナナリボに映画館ができたらしいが、まだ「ヴァタ~箱あるいは体~」は上映されていないようだ。2022年のSKIPシティ国際D シネマ映画祭で上映されたときは在日本のマダガスカル大使館員が何人か見にきて、大喜びしていたという。

「この作品は説明が多くない映画だし、わからなかったらわからなくてもいいというのもどこかにあって、自由に感じ取ってほしいなと思います。映画館って、映画を見るまでの時間も見た後のプロセスも何かわくわくしますよね。ぜひ映画館で見ていただきたいなという思いです」

亀井岳(かめい・たけし)

1969年生まれ。大阪府出身。大阪芸術大学美術学科を卒業後、金沢美術工芸大学大学院修了。造形から映像制作へと転身し、旅と音楽をテーマにドキュメンタリーとドラマを融合させるスタイルで映画を手がける。モンゴルで撮影したデビュー作「チャンドマニ~モンゴル ホーミーの源流へ~」(2009年)に続いて、マダガスカルで「ギターマダガスカル」(2014年)を監督。長編3作目となる「ヴァタ~箱あるいは体~」は2022年、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭で上映され、観客賞を受賞した。

「ヴァタ~箱あるいは体~」(2022年/日本、マダガスカル/85分)

出演:フィ、ラドゥ、アルバン、オンジェニ、レマニンジ、サミー

監督・脚本・編集:亀井岳 撮影:小野里昌哉 音楽:高橋琢哉 録音:ライヨ、トキ

製作:亀井岳、櫻井文、スアスア 配給:FLYING IMAGE

2024年8月3日(土)から東京・渋谷ユーロスペースなど順次公開

Ⓒ FLYING IMAGE

マダガスカルの全編ロケで「ヴァタ~箱あるいは体~」を撮った亀井岳監督=2024年7月1日、東京都港区(藤井克郎撮影)

マダガスカルの全編ロケで「ヴァタ~箱あるいは体~」を撮った亀井岳監督=2024年7月1日、東京都港区(藤井克郎撮影)

亀井岳監督の日本、マダガスカル合作「ヴァタ~箱あるいは体~」から。姉の遺骨を持ち帰るために片道3日の旅に出たタンテリたちは…… Ⓒ FLYING IMAGE

亀井岳監督の日本、マダガスカル合作「ヴァタ~箱あるいは体~」から。マダガスカルの楽器と祖先が交流する Ⓒ FLYING IMAGE