多彩な文化の発信拠点が進化 Stranger(東京都墨田区)
コロナ禍の真っただ中に誕生した東京東部で唯一のミニシアター、Stranger(東京都墨田区)が進化を遂げている。今年2024年の2月に運営組織が変わり、新たに20代の女性社長が就任。若い感性で多彩な仕掛けを次々と打ち出し、20代、30代を中心に観客を増やしているという。「映画はもちろん、いろんな文化が寄せ集められている状況を作って、文化の発信拠点としての役割を担っていきたいと考えています」と更谷伽奈子社長(27)はさらなる夢を膨らませる。(藤井克郎)
★おしゃれなカフェに通うついでのカップルも
Strangerを訪ねたのは6月上旬の平日、午後1時からの約束だった。せっかくだから取材の前に映画も見ようと午前11時10分からの回をインターネットで予約したが、当日朝の段階では当方が一番乗り。もしかしたら一人だけの贅沢な上映会になるかも、とどきどきしながら都営地下鉄新宿線の菊川駅に向かった。
駅のA4出口から地上に出て歩くことわずか20秒。外壁に階段状のデコレーションが施されたこぢんまりとしたビルの1階がStrangerだった。ガラス戸を開けると、木目調のカウンターやテーブルがゆったりと配され、今どきのしゃれたカフェの風情だ。映画のポスターがなければ、ここが49席の座席を有した映画館だとは気がつかない。
カフェのカウンターにいたスタッフから「映画をご覧になりますか」と声をかけられて促された劇場内では、すでに10人強の観客が座席に腰を下ろしていた。一人っきりどころか、平日の午前中の、しかも封切りから3カ月もたった地味な作品にしては意外と入っている。予約せずにふらっと立ち寄るという人も案外、多いのかもしれないね。
「動員は前年比110%、興行収入だと120%になっています。ミニシアターではかなり珍しいのですが、年齢層のボリュームゾーンは20代から30代で、近くの清澄白河におしゃれなカフェがいっぱいできていて、そこに足を運ぶカップルがそのままStrangerにも来ていただいているというケースも週末には見られますね」と更谷社長は説明する。
★アニメや封切り新作などより幅広く編成
Strangerがオープンしたのは2022年9月のことだ。ブランディングデザインを手がけるアートアンドサイエンスがクラウドファンディングなどで資金を募って開業。「映画を知る」「映画を観る」「映画を語り合う」「映画を論じる」「映画でつながる」を5本柱に、名匠、巨匠の特集上映や知る人ぞ知るアート系作品など、どちらかと言うと名画座的なラインアップで話題を集めた。
だが作品の調達や集客の面でなかなか思うようにいかなかったこともあり、2024年2月にセールスプロモーションやマーケティングコミュニケーションなど幅広く事業を展開するナカチカ(本社・東京都中央区)がアートアンドサイエンスを子会社化。新たにストレンジャー株式会社として更谷さんが社長に就任し、プログラム編成などを一手に引き受けている。1919年に呉服店向けの包装紙の卸業として創業したナカチカは、2018年に映画事業に参入。2023年1月にはナカチカピクチャーズを創設して、映画の配給、宣伝を行っているが、更谷さんはここの社員として劇場営業を担当していた。
「もともとナカチカピクチャーズを立ち上げようという当初から、制作から配給、興行まで垂直統合で展開するという話がありました。もう興行もするのね、とは思いましたが、弊社が運営することで集客につながるような編成ができるのではないかという見込みがあったのと、立地もすごくよくて魅力的な劇場という見方もしていたので、残していくことができるのではないかという判断でした」と更谷さんは振り返る。
Strangerを引き継いでまず考えたのが、多彩な作品を上映する劇場だということをアピールすることだった。それまではジャン=リュック・ゴダール監督やジョン・カサヴェテス監督の特集など、ディープな映画ファン向けの企画が多かったが、もうちょっとライトな客層にもわかりやすい作品を取り混ぜてみようと、アニメーションを組み入れたり、封切りの新作を上映したりと、徐々に作品の幅を広げている。基本は1日6回転で、5~6作品を上映。以前は2週間分のチケットを先売りしていたが、現在は週刻みでタイムテーブルを変え、柔軟な編成を心がけている。
「1週目の客層を見て、この作品は夜にした方がいいかもと思っても、以前のやり方だと修正しづらかった。今は週ごとにころころ変えていけるので、長く上映することも可能になりました」と更谷さん。ヴィム・ヴェンダース監督の「PERFECT DAYS」などは、地元で撮影されたことなどもあってこの6月20日まで2カ月近くもロングランで公開していたほどだ。
★配給会社と協力してプロモーション活動も
継続していく部分も多い。5本柱の理念はそのまま継承し、「映画を観る」だけではなく、「プラスアルファの付加価値を生み出す劇場というスタイルを作っていきたいなと思っています」と更谷さん。上映作品に関連したDJイベントも、以前からの付き合いのあるDJの人たちに引き続き参加してもらっているし、スタッフによるZINE(雑誌)の制作も続けていくつもりだ。
一方で新作を上映することで、配給会社と一緒にプロモーション活動にも積極的に取り組むことができるようになった。例えば6月28日に封切られるホン・サンス監督の新作「WALK UP」の公開に合わせてホン監督特集を企画。併設のカフェで韓国スイーツを提供するなど、配給会社と相談してさまざまな仕掛けを考えている。
「私自身、配給の仕事もしているので、こういう提案をしたらかなえていただけるのではないかとか、いろいろ発想が膨らみますね。Strangerでお預かりするからには、興行収入以外のところでも貢献できるようなことを心がけて取り組んでいます」と言いながらも、「その分、初日を迎えてみないとわからないので、緊張はしますけど」と打ち明ける。
★地域との連携を図って相乗効果を創出
大阪府で生まれ育った更谷さんは、大学入学までは映画とそれほど深く関わってはいなかった。映画館に通い詰めたこともなく、どうしても見たい映画を親に頼んで、何とかチケット代をもらって見にいっていた程度だった。ただ映画以外に好きなことがほとんどなく、京都産業大学の文化学部に進学して、将来、何をしたいかと考えたとき、好きなのは映画だよな、と思った。どうやったら映画の仕事にたどり着けるのか勉強したいと、映画の上映会などを企画する京都映画センターでアルバイトを始め、配給会社との交渉を覚える。こうして徐々に、いい映画を世の中に出す間口を広げる仕事をしたいという希望を抱くようになった。
その後、上京して劇場のマネジャーから興行会社の営業などを経てナカチカに入社。ナカチカピクチャーズの設立に立ち会った。今もストレンジャーの社長のかたわら、ナカチカピクチャーズが配給する作品の劇場営業の仕事は並行して続けている。
「劇場の運営でわからないことはすぐ、業界の人に相談しています。配給の仕事で全国の劇場とのお付き合いがあるので、作品のセールスをしつつ、『Strangerのことでご相談なのですが』とお話しすることもあります。皆さん、一緒に映画文化を作っていこうということで協力的ですし、それに場所柄、いわゆる競合館がありませんからね」
隅田川以東の墨東地区には他にミニシアターがなく、地元の人たちにとってもStrangerは大切な場所になっている。「PERFECT DAYS」の上映の際は、映画のロケ場所にもなった墨田区の銭湯、電気湯とコラボ。電気湯でStrangerの劇場カラーである明るいブルーのお湯を再現してもらう一方で、Strangerでは電気湯のグッズを展示するなど、双方で相乗効果を生み出すよう盛り上げた。
「その期間は若いお客さまが多かったと電気湯からフィードバックがありました。地域との連携をいかに取っていくかというのは一つキーにしていたことだったので、電気湯以外にもいろんな方とコミュニケーションを取り始めています」と更谷さんは言う。
★案内表記に代わるスタッフとのコミュニケーション
5本柱の一つ「映画を語り合う」も、更谷さんが大いに重視する部分だ。そのためにはスタッフも重要だが、現在は社員6人、アルバイト4人で切り盛りする。カフェを併設しているとは言え、ミニシアターにしては充実した布陣と言えよう。
「実はStrangerって案内表記がほとんどないんです。どこでチケットを購入できるかとか、どこで飲み物を注文するとか、何ならシアターの入り口も、開いてないとどこにあるのかわからない。そういうところは全部、スタッフとお客さまとのコミュニケーションで補っています」と更谷さん。以前の体制のままという社員スタッフはみんな映画が大好きなメンバーで、英語の映画評を読んで情報を仕入れてくる人や雑誌に寄稿する人などもいて、積極的にStrangerの運営に関わっている。
この日、カフェのカウンターにいた吉田晴妃さん(28)は、シネコンなどと比べて観客との距離感が近く、帰り際に「この映画、大好きです」などと話しかけてくる人も多いと認める。「こういう作品をかけたい、どうやって盛り上げたらいいか、といった意見をスタッフ同士で出し合うこともあり、働き甲斐がありますね」と話す。
また父親がパキスタン人で、アジア映画が大好きというカンサイラさん(22)は、自分が提案して台湾映画の「赤い糸 輪廻のひみつ」(ギデンズ・コー監督)の上映が実現したとうれしそう。「うちでかけているのを見て、他の劇場でも上映することになったという話を聞いて、自分が見えないところでつながっているんだなと不思議な気持ちになりました。今はとにかくStrangerのブランドを大きくしたいな、まずは知ってもらえたらな、という思いですね」
若いスタッフを引っ張っていく自らも若さあふれる更谷社長は力を込める。「やっぱり映画館という同じ空間で不特定多数の方たちと共有しながら作品を受け止める時間って、他の何物にも代えがたい。近所の方もStrangerが何をしているか気にしていただいているみたいで、いろんなお客さまとキャッチボールができる場はすごく美しいし、理想だなと思っています」
Stranger(東京都墨田区)
2022年9月、アートアンドサイエンスの岡村忠征代表がクラウドファンディングを中心に資金を募り、開設。作家性、個性豊かな特集上映を主として運営を続けてきたが、事業譲渡を模索する中で2024年2月、ナカチカに経営移管する。劇場名は、創設者の岡村氏が映画業界のよそ者(Stranger)ということで、クリント・イーストウッド監督の「荒野のストレンジャー」(1972年)などから着想を得た。座席数は49席。東京都墨田区菊川3の7の1菊川会館ビル。
2024年2月から社長としてプログラム編成などを一手に担っている更谷伽奈子さん=2024年6月6日、東京都墨田区のStranger(藤井克郎撮影)
「文化の発信拠点としての役割を担っていきたい」と語る更谷伽奈子さん=2024年6月6日、東京都墨田区のStranger(藤井克郎撮影)
都営地下鉄新宿線の菊川駅から徒歩20秒で、おしゃれな雰囲気のStrangerに=2024年6月6日、東京都墨田区(藤井克郎撮影)
映画を見なくても、館内のカフェスペースでくつろぐことができる=2024年6月6日、東京都墨田区のStranger(藤井克郎撮影)
劇場内は49の座席がゆったりと配されている=2024年6月6日、東京都墨田区のStranger(藤井克郎撮影)
来訪者が気軽に書き込めるノートが置かれているなど、館内は親しみやすい雰囲気に包まれている=2024年6月6日、東京都墨田区のStranger(藤井克郎撮影)